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第一章 浮遊霊始めました
12.白衣
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百目木胡桃は学校から帰ってきてからずっと考え事をしていた。帰り道に見た物はいったい何だったのだろう。あれだけはっきり見えたのだから見間違いや気のせいということは無いはずだ。
でも対向車は人をはねて引きずっていたのにそのまま行ってしまったし、こちらの車を運転していた朝日さんも何も見ていなかったの様に平然と通り過ぎてしまった。
しかもひかれた男の子、多分同い年くらいだと思うんだけど全身が真っ白けだったように見えた。一体なんだったんだろう。
「胡桃さん、お夕食の用意ができました」
康子さんが呼んでいる。今日のメニューは何だろう。食にそれほど興味はないけれど、康子さんの作ってくれる食事は彩が良くきれいに盛り付けられていて素敵だ。
特別美人ではないにせよ、上品で人当たりが良くて家事は完ぺきで、特に料理の腕前はプロ級なのに、なぜあんな下品なパパの愛人なんてやってるんだろう。しかも別居している娘のお手伝いさんみたいな真似をして。
胡桃は勉強用の大きなメガネから普段使いの細いフレームのメガネに付け替え、席を立って部屋を出た。
「康子さん、お待たせ。今日はお肉なのね」
「はい、お父様が鹿肉を送ってきてくださったのでローストにしてみました。そろそろ鹿猟の季節も終わりですから食べ納めかもしれませんね」
真っ白いお皿に薄切りにした鹿のロースト、それに山菜を蒸したものが添えられている。赤ワインのソースが点々とお皿の周囲を飾っていて、とても家で食べるような料理には見えない。ほぼ毎日こんな感じのおしゃれな料理を出してくれるのだが、かといってかしこまってお上品に食べなくても良いのが自宅の良いところだ。
「おいしそうだし凄くきれいな盛り付けね。パパに言ってお店でも出させてもらったらいいのに」
過去から何度こんな会話をしたかわからないが、これは嫌味や当てつけではなく胡桃の本心だった。こんなすごい料理の腕前が胡桃相手にしか披露されないなんてもったいない。本当になんで康子さんがこんな生活しているのか百目木家の七不思議の一つだわ。
そんなことを頭に巡らせながら胡桃は味噌汁を一口飲んだ。メインディッシュからは考えられないかもしれないが、夕食には白いご飯と味噌汁でないとダメな性質なのだ。
その後薄切りのローストを一枚口に運びギュッと一噛みすると、適度な油分とあっさりした肉汁、そしてワインの香りがほんのりと口の中に広がり思わずほおが緩んだ。
「んー、おいしい!パパはしばらく来ないのかしら」
「そうですねぇ、近々いらっしゃるようなことはおっしゃっていませんでしたね。たまにはお電話でもしたらいいのに」
「ううん、私は特に用があるわけじゃないの。康子さんが寂しいんじゃないかと思ってるだけよ」
「あらあら、それはありがとう。でもちっとも寂しくないから大丈夫ですよ」
口ではこう言っているけど本心はわからないな。胡桃は康子が父親の愛人だと信じて疑っていないが、康子はそれをやんわりと否定する。別にバレバレなんだから隠さなくてもいいし、恥ずかしいなんて歳でもなかろう。それなのになぜ否定するのか胡桃には不思議で仕方なかった。
そもそも中学生の娘が親元を離れて一人暮らしをするなんてことはあまり一般的ではない。でも色々と事情があり胡桃は父親の元を離れた。その際、田上康子と同居することを条件として許しを貰ったのだ。
それからもう四年ほど経った。なんでもない関係の女性がその娘と同居するために仕事を辞めて知らない土地に来るわけないじゃない。
胡桃と康子が初めて会ったのは小学校五年生の秋頃だ。進学のことで揉めていた際、農家兼猟師の父が鹿や猪の肉を卸しているというレストランに連れて行ってくれた。そこで同居の条件を出されたのだが、その時から胡桃は父と康子の関係を疑っているのだ。
初めて会った康子は優しい笑顔で迎えてくれ、父の提案にゆっくりとしっかりと頷いていた。おそらく事前に話はついていたのだろう。
そんな無茶な申し出を受け入れることができる相手がただの知り合いだなんて考えられない。かといって憎たらしいとか不潔だとか、嫌な気持ちにさせないのが康子の凄いところだろう。
少なくとも、ド近眼用のぐるぐる眼鏡に白衣以外の姿を見たことが無い、研究一辺倒の母親よりは、今では身近な存在になっている。
ママは農作物や家畜の遺伝子を研究しているらしいが、胡桃には難しすぎてピンと来ない。ただ、一に研究二に研究、三四も研究、五も研究でちっとも家に帰らず年に数度しか顔を合わせることが無いことは確かだ。
そんなインテリのママがどうやってあんな野蛮な田舎者のパパと知り合い、結婚までして私を産むことになったのか想像もつかない。あ、これも七不思議のひとつになるわね。胡桃はそんなことを考え思わず含み笑いをした。
「ごちそうさま、とてもおいしかった」
「お口に合ったなら良かったわ。まだ残っているから明日のお弁当はサンドイッチにしましょうか」
「いいわね、お願いしまーす」
胡桃はきれいに平らげた食器をキッチンへ運び手際よく濯いでから食器洗い機に入れた。一番最後に白い皿を入れようとしたときに先ほどのことをまた思い出し一瞬手が止まる。それはほんの一瞬だったかもしれないし、数秒だったかもしれない。
そして誰にも聞こえないくらいの小さな声でつぶやいていた。
「あの真っ白な男の子はいったい何だったんだろう」
でも対向車は人をはねて引きずっていたのにそのまま行ってしまったし、こちらの車を運転していた朝日さんも何も見ていなかったの様に平然と通り過ぎてしまった。
しかもひかれた男の子、多分同い年くらいだと思うんだけど全身が真っ白けだったように見えた。一体なんだったんだろう。
「胡桃さん、お夕食の用意ができました」
康子さんが呼んでいる。今日のメニューは何だろう。食にそれほど興味はないけれど、康子さんの作ってくれる食事は彩が良くきれいに盛り付けられていて素敵だ。
特別美人ではないにせよ、上品で人当たりが良くて家事は完ぺきで、特に料理の腕前はプロ級なのに、なぜあんな下品なパパの愛人なんてやってるんだろう。しかも別居している娘のお手伝いさんみたいな真似をして。
胡桃は勉強用の大きなメガネから普段使いの細いフレームのメガネに付け替え、席を立って部屋を出た。
「康子さん、お待たせ。今日はお肉なのね」
「はい、お父様が鹿肉を送ってきてくださったのでローストにしてみました。そろそろ鹿猟の季節も終わりですから食べ納めかもしれませんね」
真っ白いお皿に薄切りにした鹿のロースト、それに山菜を蒸したものが添えられている。赤ワインのソースが点々とお皿の周囲を飾っていて、とても家で食べるような料理には見えない。ほぼ毎日こんな感じのおしゃれな料理を出してくれるのだが、かといってかしこまってお上品に食べなくても良いのが自宅の良いところだ。
「おいしそうだし凄くきれいな盛り付けね。パパに言ってお店でも出させてもらったらいいのに」
過去から何度こんな会話をしたかわからないが、これは嫌味や当てつけではなく胡桃の本心だった。こんなすごい料理の腕前が胡桃相手にしか披露されないなんてもったいない。本当になんで康子さんがこんな生活しているのか百目木家の七不思議の一つだわ。
そんなことを頭に巡らせながら胡桃は味噌汁を一口飲んだ。メインディッシュからは考えられないかもしれないが、夕食には白いご飯と味噌汁でないとダメな性質なのだ。
その後薄切りのローストを一枚口に運びギュッと一噛みすると、適度な油分とあっさりした肉汁、そしてワインの香りがほんのりと口の中に広がり思わずほおが緩んだ。
「んー、おいしい!パパはしばらく来ないのかしら」
「そうですねぇ、近々いらっしゃるようなことはおっしゃっていませんでしたね。たまにはお電話でもしたらいいのに」
「ううん、私は特に用があるわけじゃないの。康子さんが寂しいんじゃないかと思ってるだけよ」
「あらあら、それはありがとう。でもちっとも寂しくないから大丈夫ですよ」
口ではこう言っているけど本心はわからないな。胡桃は康子が父親の愛人だと信じて疑っていないが、康子はそれをやんわりと否定する。別にバレバレなんだから隠さなくてもいいし、恥ずかしいなんて歳でもなかろう。それなのになぜ否定するのか胡桃には不思議で仕方なかった。
そもそも中学生の娘が親元を離れて一人暮らしをするなんてことはあまり一般的ではない。でも色々と事情があり胡桃は父親の元を離れた。その際、田上康子と同居することを条件として許しを貰ったのだ。
それからもう四年ほど経った。なんでもない関係の女性がその娘と同居するために仕事を辞めて知らない土地に来るわけないじゃない。
胡桃と康子が初めて会ったのは小学校五年生の秋頃だ。進学のことで揉めていた際、農家兼猟師の父が鹿や猪の肉を卸しているというレストランに連れて行ってくれた。そこで同居の条件を出されたのだが、その時から胡桃は父と康子の関係を疑っているのだ。
初めて会った康子は優しい笑顔で迎えてくれ、父の提案にゆっくりとしっかりと頷いていた。おそらく事前に話はついていたのだろう。
そんな無茶な申し出を受け入れることができる相手がただの知り合いだなんて考えられない。かといって憎たらしいとか不潔だとか、嫌な気持ちにさせないのが康子の凄いところだろう。
少なくとも、ド近眼用のぐるぐる眼鏡に白衣以外の姿を見たことが無い、研究一辺倒の母親よりは、今では身近な存在になっている。
ママは農作物や家畜の遺伝子を研究しているらしいが、胡桃には難しすぎてピンと来ない。ただ、一に研究二に研究、三四も研究、五も研究でちっとも家に帰らず年に数度しか顔を合わせることが無いことは確かだ。
そんなインテリのママがどうやってあんな野蛮な田舎者のパパと知り合い、結婚までして私を産むことになったのか想像もつかない。あ、これも七不思議のひとつになるわね。胡桃はそんなことを考え思わず含み笑いをした。
「ごちそうさま、とてもおいしかった」
「お口に合ったなら良かったわ。まだ残っているから明日のお弁当はサンドイッチにしましょうか」
「いいわね、お願いしまーす」
胡桃はきれいに平らげた食器をキッチンへ運び手際よく濯いでから食器洗い機に入れた。一番最後に白い皿を入れようとしたときに先ほどのことをまた思い出し一瞬手が止まる。それはほんの一瞬だったかもしれないし、数秒だったかもしれない。
そして誰にも聞こえないくらいの小さな声でつぶやいていた。
「あの真っ白な男の子はいったい何だったんだろう」
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