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1.白い結婚
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ここは王立薬草研究所、私はここで週に四日ほど働いている。主に資料の整理という退屈な業務だけど誰かがやらなければ全国からの報告書で研究所は埋もれてしまうだろう。つまり誰でも出来るけど誰もやりたがらない仕事と言うわけだ。
今日は特別忙しいわけではなかったが、ほとんどの同僚が帰宅した後の静かな研究所でまだデスクに向かっていた。時計の針は午後二十時を指したばかり。それでも未処理の資料が山と積まれていて終わりそうにない。
それはなぜか。今日に限って私の心の中が嵐のような騒がしさで、仕事がちっともはかどっていなかったからだ。もちろん私の手際が悪いからこうなってしまったのだけど、それにはちょっとした、いいえ、とんでもない理由があった。
毎日同じことの繰り返しで退屈だし変わり映えの無い、それでも平穏な日常に満足していたはずなのに…… 突然プロポーズなんてされてしまったので、すべての歯車がかみ合わなくなってしまったような感覚になっている。
昼休みに自分の席で食事をとっていると、同僚のグラムエルが近づいてきて私に向かって突拍子もない一言を放った。
「なあバーバラ、僕と結婚しないかい?」
もちろん私は聞き返した。だって今まで仕事に関係のないことで男性から声をかけられたことなんてなかったのだ。研究所内だろうが買い物中であろうが、酒場で独りの時にだってそんな浮ついた経験はない。
そんな私なのだから、なにかの聞き間違いだと思うに決まっている。
グラムエルはやれやれと言ってからにっこりと笑い同じ言葉を繰り返す。聞き間違いではなかったのか!? 彼はさらに言葉を続けた。
「結婚と言うのはある種の契約だから難しく考える必要はないさ。毎日一人でいるよりも二人のほうが楽しいだろうし、一緒にいるうちに愛が芽生えるかもしれないじゃないか。
それにキミは家で好きにしてていい、生活は僕が支えよう。白い結婚だと思ってくれても構わない。働かなくても良くなるのだからキミにとってもいいことだと思わないかい?」
グラムエルの言葉は耳に残り続けていた。その言葉が彼女の心に不安と期待の波を呼び起こす。
だが三十路を迎え、これまで男性に縁がなかったバーバラにとって彼の提案は願ってもない申し出と言える。恋人同士でもないどころかろくに話をしたこともない二人が『白い結婚』という名の契約を結ぶ。それはまるで自分とは無関係で空想的で非現実的な話に思えた。
しかし、将来への不安や孤独な日々から逃れ、見た目だけでも幸せな結婚生活を手に入れるためにはそんな突拍子もない選択も悪くないかもしれない。
こうして私はプロポーズを受け入れた。最初の一年は彼との生活が新鮮で楽しかった。生活のために働かなければならない煩わしさはなく、自由に過ごせる時間だけはたっぷりとある。それはまさにバラ色の結婚生活だった。
だが、二年、三年、と時が進むにつれ、その『自由』はただの退屈な怠惰に変わっていった。退屈は人を変えて行くのだろうか。私は次第に刺激のある生活が欲しくなってしまった。
それにグラムエルの行動にはなにか別の意図が隠されているかもしれないとも考え始めた。この三年で彼が得た物は? メリットは? 一体何があると言うのだろう。そう考えるといてもたってもいられず誰かに相談したくて仕方が無くなった。
しかし家にこもるような生活を送ってきた私にはもはや外部との伝手はない。出来ることと言えば日々理想的な妻を演じることだけである。グラムエルは相変わらず私に指一本触れようとせず、食事を済ませてから帰宅するとさっさと寝てしまう。これのどこが理想的な妻なのだろうか。
日々の悩みと葛藤とが私を狂わせたのだろうか。ある日私は元の職場である王立薬草研究所へ向ってしまった。とは言え王国の機密情報を扱う場所でもあるため勝手には入れない。
諦めて帰宅しようとした私の前に一人の女性が現れて声をかけてきた。
「バーバラ? バーバラではないの、どうしたのこんなところで。随分お久しぶりよね、結婚生活はどうかしら、楽しんでいるの? 私は相変わらず仕事ばかりで寂しい毎日なの、あなたが羨ましいわ」
「カトリーヌ! 本当に久しぶりね。少しやせたのではないかしら? 元気ならそれでもいいけれど、あまり無理はしないようにね」
「久し振りにあったんだもの、時間があればお茶でも飲んでいかない?」
元同僚のカトリーヌに誘われた私は、三年ぶりに外のカフェへと向かった。
今日は特別忙しいわけではなかったが、ほとんどの同僚が帰宅した後の静かな研究所でまだデスクに向かっていた。時計の針は午後二十時を指したばかり。それでも未処理の資料が山と積まれていて終わりそうにない。
それはなぜか。今日に限って私の心の中が嵐のような騒がしさで、仕事がちっともはかどっていなかったからだ。もちろん私の手際が悪いからこうなってしまったのだけど、それにはちょっとした、いいえ、とんでもない理由があった。
毎日同じことの繰り返しで退屈だし変わり映えの無い、それでも平穏な日常に満足していたはずなのに…… 突然プロポーズなんてされてしまったので、すべての歯車がかみ合わなくなってしまったような感覚になっている。
昼休みに自分の席で食事をとっていると、同僚のグラムエルが近づいてきて私に向かって突拍子もない一言を放った。
「なあバーバラ、僕と結婚しないかい?」
もちろん私は聞き返した。だって今まで仕事に関係のないことで男性から声をかけられたことなんてなかったのだ。研究所内だろうが買い物中であろうが、酒場で独りの時にだってそんな浮ついた経験はない。
そんな私なのだから、なにかの聞き間違いだと思うに決まっている。
グラムエルはやれやれと言ってからにっこりと笑い同じ言葉を繰り返す。聞き間違いではなかったのか!? 彼はさらに言葉を続けた。
「結婚と言うのはある種の契約だから難しく考える必要はないさ。毎日一人でいるよりも二人のほうが楽しいだろうし、一緒にいるうちに愛が芽生えるかもしれないじゃないか。
それにキミは家で好きにしてていい、生活は僕が支えよう。白い結婚だと思ってくれても構わない。働かなくても良くなるのだからキミにとってもいいことだと思わないかい?」
グラムエルの言葉は耳に残り続けていた。その言葉が彼女の心に不安と期待の波を呼び起こす。
だが三十路を迎え、これまで男性に縁がなかったバーバラにとって彼の提案は願ってもない申し出と言える。恋人同士でもないどころかろくに話をしたこともない二人が『白い結婚』という名の契約を結ぶ。それはまるで自分とは無関係で空想的で非現実的な話に思えた。
しかし、将来への不安や孤独な日々から逃れ、見た目だけでも幸せな結婚生活を手に入れるためにはそんな突拍子もない選択も悪くないかもしれない。
こうして私はプロポーズを受け入れた。最初の一年は彼との生活が新鮮で楽しかった。生活のために働かなければならない煩わしさはなく、自由に過ごせる時間だけはたっぷりとある。それはまさにバラ色の結婚生活だった。
だが、二年、三年、と時が進むにつれ、その『自由』はただの退屈な怠惰に変わっていった。退屈は人を変えて行くのだろうか。私は次第に刺激のある生活が欲しくなってしまった。
それにグラムエルの行動にはなにか別の意図が隠されているかもしれないとも考え始めた。この三年で彼が得た物は? メリットは? 一体何があると言うのだろう。そう考えるといてもたってもいられず誰かに相談したくて仕方が無くなった。
しかし家にこもるような生活を送ってきた私にはもはや外部との伝手はない。出来ることと言えば日々理想的な妻を演じることだけである。グラムエルは相変わらず私に指一本触れようとせず、食事を済ませてから帰宅するとさっさと寝てしまう。これのどこが理想的な妻なのだろうか。
日々の悩みと葛藤とが私を狂わせたのだろうか。ある日私は元の職場である王立薬草研究所へ向ってしまった。とは言え王国の機密情報を扱う場所でもあるため勝手には入れない。
諦めて帰宅しようとした私の前に一人の女性が現れて声をかけてきた。
「バーバラ? バーバラではないの、どうしたのこんなところで。随分お久しぶりよね、結婚生活はどうかしら、楽しんでいるの? 私は相変わらず仕事ばかりで寂しい毎日なの、あなたが羨ましいわ」
「カトリーヌ! 本当に久しぶりね。少しやせたのではないかしら? 元気ならそれでもいいけれど、あまり無理はしないようにね」
「久し振りにあったんだもの、時間があればお茶でも飲んでいかない?」
元同僚のカトリーヌに誘われた私は、三年ぶりに外のカフェへと向かった。
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