上 下
49 / 58
三章閑話 ナターシャ、エセルター領へ行く

5.矜恃

しおりを挟む
「そうですね」

ナターシャはカップの水面に映る、自分の姿を見ながら、そう呟いた。

水面に落ちた影はゆらゆらと揺れ、所在不明に漂い、やがて鮮明な影となった。
それは揺らいだ感情から、やがて鮮明な感情になるように。
どうやら、彼女の心の柵は何かから開放されたように、消え失せたらしい。

「何だか、心がすっきりしました。ありがとうございます」

「それなら良かった。今後とも、俺の薬屋をご贔屓にしてくれ」

「ええ、約束しましょう。アールマイト伯爵家の貴族として、あなたの薬屋の成長を応援することを」

ナターシャは貴族としての誇りに、自覚が持てたように胸を張り、そう答えた。

リリックはそんなナターシャを見て、少しばかり、彼女の姿と王宮から追放された貴族の姿と、を重ねた。
王宮から追放された貴族もまた、胸を張って告げていた。
『私の助けが必要な人がいる』と。

「馬鹿らしいな...」

リリックは何かに取り憑かれたように呟き、おもむろに机から立ち上がると、ナターシャの手を掴み、壁に押さえ付けた。

「私を押し倒そうとしているのですか?」

彼女の真っ直ぐな瞳が目と鼻の先に見えると、リリックはハッとしたように、目を見開いた。

自分でもどうしてこんな行動をしたのか、理解出来なかったからだ。
それでも、これが彼女に対する卑しい気持ちから来るものではない、ということは理解出来た。

あるいは、今の彼女と旧知の貴族を重ね、何か贖罪をしたかったかもしれない。
それでも、彼は心の中にそれをしまうことにした。贖罪をすべき相手は、別にいるのだから。

「平民を安直に信頼するんじゃない。お前を押し倒すのだって、殺すのだって、今みたいに簡単に出来る」

「でも、私はあなたを信頼していますよ」

「ふん、言った傍から...。お前、さては馬鹿だな?」

「ええ、私は馬鹿ですよ。だから、あなたが貴族に向かって偉そうに、タメ口で話しているのも、特別に許してあげます。なので、早く手を離してください。さもなくば、私を尾けている使用人が、間違って出てきてしまいますので」

「そうかい。分かったよ」

ナターシャに囁かれると、リリックはその手を解いて、彼女から離れた。
彼女はきょとんとしながら、自分の手を払い、彼に問う。

「おや?簡単に引き下がってくれるんですね。てっきり、このまま奥の部屋にでも、連れて行かれるのかと」

「そんな部屋はねぇよ。たとえ、それがあったとしても、あんたなんかを連れていく理由の方が見つからねぇ」

「だって、私は貴族ですよ?売れば、大金になります!」

「·····そうだったな」

ナターシャがもう一度、胸を張り答えると、リリックはふっと鼻で笑った。
やはり、彼女は旧知の貴族とは違う。どうやら彼女は、貴族としての矜恃を持っているらしかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】悪女のなみだ

じじ
恋愛
「カリーナがまたカレンを泣かせてる」 双子の姉妹にも関わらず、私はいつも嫌われる側だった。 カレン、私の妹。 私とよく似た顔立ちなのに、彼女の目尻は優しげに下がり、微笑み一つで天使のようだともてはやされ、涙をこぼせば聖女のようだ崇められた。 一方の私は、切れ長の目でどう見ても性格がきつく見える。にこやかに笑ったつもりでも悪巧みをしていると謗られ、泣くと男を篭絡するつもりか、と非難された。 「ふふ。姉様って本当にかわいそう。気が弱いくせに、顔のせいで悪者になるんだもの。」 私が言い返せないのを知って、馬鹿にしてくる妹をどうすれば良かったのか。 「お前みたいな女が姉だなんてカレンがかわいそうだ」 罵ってくる男達にどう言えば真実が伝わったのか。 本当の自分を誰かに知ってもらおうなんて望みを捨てて、日々淡々と過ごしていた私を救ってくれたのは、あなただった。

初夜に大暴言を吐かれた伯爵夫人は、微笑みと共に我が道を行く ―旦那様、今更擦り寄られても困ります―

望月 或
恋愛
「お前の噂を聞いたぞ。毎夜町に出て男を求め、毎回違う男と朝までふしだらな行為に明け暮れているそうだな? その上糸目を付けず服や装飾品を買い漁り、多大な借金を背負っているとか……。そんな醜悪な女が俺の妻だとは非常に不愉快極まりない! 今後俺に話し掛けるな! 俺に一切関与するな! 同じ空気を吸ってるだけでとんでもなく不快だ……!!」 【王命】で決められた婚姻をし、ハイド・ランジニカ伯爵とオリービア・フレイグラント子爵令嬢の初夜は、彼のその暴言で始まった。 そして、それに返したオリービアの一言は、 「あらあら、まぁ」 の六文字だった。  屋敷に住まわせている、ハイドの愛人と噂されるユーカリや、その取巻きの使用人達の嫌がらせも何のその、オリービアは微笑みを絶やさず自分の道を突き進んでいく。 ユーカリだけを信じ心酔していたハイドだったが、オリービアが屋敷に来てから徐々に変化が表れ始めて…… ※作者独自の世界観満載です。違和感を感じたら、「あぁ、こういう世界なんだな」と思って頂けたら有難いです……。

【完結】今世も裏切られるのはごめんなので、最愛のあなたはもう要らない

曽根原ツタ
恋愛
隣国との戦時中に国王が病死し、王位継承権を持つ男子がひとりもいなかったため、若い王女エトワールは女王となった。だが── 「俺は彼女を愛している。彼女は俺の子を身篭った」 戦場から帰還した愛する夫の隣には、別の女性が立っていた。さらに彼は、王座を奪うために女王暗殺を企てる。 そして。夫に剣で胸を貫かれて死んだエトワールが次に目が覚めたとき、彼と出会った日に戻っていて……? ──二度目の人生、私を裏切ったあなたを絶対に愛しません。 ★小説家になろうさまでも公開中

【完結】私のことはお構いなく、姉とどうぞお幸せに

曽根原ツタ
恋愛
公爵令嬢ペリューシアは、初恋の相手セドリックとの結婚を控え、幸せの絶頂のはず……だった。 だが、結婚式で誓いの口づけをする寸前──姉と入れ替わってしまう。 入れ替わりに全く気づかず婿入りしたセドリックの隣で、姉は不敵に微笑む。 「この人の子どもを身篭ったの。だから祝ってくれるわよね。お姉様?」 ペリューシアが掴んだはずの幸せは、バラバラと音を立てて崩壊する。 妊娠を知ったペリューシアは絶望し、ふたりの幸せを邪魔しないよう家を出た。 すると、ひとりの青年だけが入れ替わりを見抜き……?

【完結】妹に全部奪われたので、公爵令息は私がもらってもいいですよね。

曽根原ツタ
恋愛
 ルサレテには完璧な妹ペトロニラがいた。彼女は勉強ができて刺繍も上手。美しくて、優しい、皆からの人気者だった。  ある日、ルサレテが公爵令息と話しただけで彼女の嫉妬を買い、階段から突き落とされる。咄嗟にペトロニラの腕を掴んだため、ふたり一緒に転落した。  その後ペトロニラは、階段から突き落とそうとしたのはルサレテだと嘘をつき、婚約者と家族を奪い、意地悪な姉に仕立てた。  ルサレテは、妹に全てを奪われたが、妹が慕う公爵令息を味方にすることを決意して……?  

完結 冗談で済ますつもりでしょうが、そうはいきません。

音爽(ネソウ)
恋愛
王子の幼馴染はいつもわがまま放題。それを放置する。 結婚式でもやらかして私の挙式はメチャクチャに 「ほんの冗談さ」と王子は軽くあしらうが、そこに一人の男性が現れて……

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

好きだと言ってくれたのに私は可愛くないんだそうです【完結】

須木 水夏
恋愛
 大好きな幼なじみ兼婚約者の伯爵令息、ロミオは、メアリーナではない人と恋をする。 メアリーナの初恋は、叶うこと無く終わってしまった。傷ついたメアリーナはロメオとの婚約を解消し距離を置くが、彼の事で心に傷を負い忘れられずにいた。どうにかして彼を忘れる為にメアが頼ったのは、友人達に誘われた夜会。最初は遊びでも良いのじゃないの、と焚き付けられて。 (そうね、新しい恋を見つけましょう。その方が手っ取り早いわ。) ※ご都合主義です。変な法律出てきます。ふわっとしてます。 ※ヒーローは変わってます。 ※主人公は無意識でざまぁする系です。 ※誤字脱字すみません。

処理中です...