嘘を囁いた唇にキスをした。それが最後の会話だった。

わたあめ

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三章閑話 ナターシャ、エセルター領へ行く

1.貴族として

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キャメルが去っていった...と言っても、表向きはキャメルが暗殺者に殺されてから、一週間も経っていない頃。

「さて、どうしたものか...」

アールマイト伯爵家の当主、ホルスは頭を捻っていた。

無論、それは彼の娘であるキャメルについてのことだ。
彼らはキャメルの訃報が知らされた時から、キャメルの婚約者、ヒルトンの行動を監視していた。

彼を監視していく中で、いくらかの不審な行動を見つけては、ホルスたちの「心の中で留めておくべき願望」というのはやはり膨らんでいった。
そして、彼が結婚をしたという号外が出た時、ホルスたちのその願望はより確信に近づいた。

「キャメルはまだ生きている」

と。
ホルスはそう確信めいた希望を持っていた。
しかしながら、彼に指摘が出来るほど、財力も、証拠も多くはなく、証拠となるのもせいぜい、綺麗なままの白いバッグくらいだ。そして、それも決定的というのにはいささか、乏しい品である。

「ならば彼に指摘をせずに、キャメルが生きていることを確認出来れば早い話か」

ホルスは楽観的に、されど現実的にそう考えた。
何も彼を問い詰め、自白させるのが目的ではない。キャメルが生きていることが確認できたら良いだけなのだ。
その目的に直接行けるとしたら、過程などわざわざ作り出さなくても良い。



「お父様!私を呼んで、いかがなさいましたか?」

「ナターシャ、やっと来たか」

「畑仕事の途中で、少しばかり湯船に浸かり、着替えもしましたので」

「·····農民の人々とは仲良くしているか」

「もちろん、してますよ!今日はアンドリーさんの畑仕事を手伝って、その後はアンドリーさんの娘にマフラーの編み方を教えていました。『お父さんにプレゼントするんだ』って、頑張ってましたよ」

ホルスは使用人に頼み、執務室にナターシャを呼びつけた。
彼女としては動きやすい平民の仕事着を着て、平民を装って会話の一つや二つしてみたいものが、目の前の当主はそうでもないらしい。

彼女は身に付けたばかりのドレスを鬱陶しそうに靡かせながらソファーに座り、自身の、貴族としての立場を取り繕った。

「それで、用件とはなんでしょうか?」

「キャメルの件に関してなんだが...。ナターシャは、彼女がまだ生きていると思うか?」

「·····生きてはいると思います。ただ、どこにいるのかは、皆目見当もつきません。もしかしたら、どこかで監禁されているかもしれませんし、既に国外へ逃げているかもしれません。そして、それを私たちが知る術はありません」

ホルスの問いにナターシャはそう答えた。
結局、その願望がいくら確信に近づいたとして、願望は願望に過ぎない。

「ただ、それは『今は』ということだけです」

しかしながら、奇しくも探偵小説の中で、真実は「いくらかの証拠と運」で出来ていると言う。
今はその運とやらが向いていないだけだ。
じきにその時はやってくる。

「そうか。そしたら、その時が来るまで待つとしよう」

「ええ、そうですね」

「ところでナターシャ。貴族の礼儀作法はもう覚えたか?」

「大体は...」

「そうか。礼儀作法を教えてくれる先生が、夕飯後に応接室に来るらしいから、今日もしっかり勉強するんだぞ」

「·····ええ、分かってます。それでは」

当主に別れを告げると、ナターシャは足早に執務室を出た。



やがて夕飯時になり、礼儀作法を学ぶ時間がやってくる。

キャメルが居なくなってからというもの、ナターシャは貴族の礼儀作法を学んでいた。それは彼女がこの家の跡取りなるかもしれないからだ。
今は平民の仕事を手伝っているが、それも下らないと言われる日が来るのだろう。彼女が貴族を下らないと、思っているように。


「それでは、昨日の続きから始めますよ」

先生がそう言う。
馬鹿みたいだ。次の日には平民を装っているというのに。

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