嘘を囁いた唇にキスをした。それが最後の会話だった。

わたあめ

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三章 甘い恋

9.『平民貴族』と二度の一目惚れ

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『平民貴族』は貴族と金髪の平民が結婚し、幸せになるという身分の隔てりがない恋愛小説で、これを著したのはホレイナだ。レイナという名前で執筆活動をしているが、そこに不同という関係はない。全くの同一人物だ。ところで彼がこれを著そうと思ったきっかけは、エセルター領とは別のところにあった。

ジェレマイア領。それはエセルター領の東に位置し、ホレイナが『平民貴族』を著そうと思ったきっかけとなった場所だ。もっと絞り込めば、その主役はジェレマイア領のアールマイト伯爵家のナターシャとその姉、キャメルになる。

ナターシャは大の探偵小説好きで、特にレイナの描く恋愛要素のある探偵小説が好きだった。それは自身が主人公の探偵のように振る舞い、キャメルやヒルトンを陰ながら尾行するほどであった。
そしてある日、彼女は偶然にもヒルトンが他の貴族令嬢マリアンと会うのを目撃した。それがただの外交であれば問題ないのだが、彼女は彼らが逢瀬するのをその後何度も目撃し、それがただの外交ではなく浮気であることを確信した。
ただ、それを彼女が周りに相談したところで伯爵家であるアールマイト家ではどうこう出来る問題ではなく、彼らの自然消滅を待つか、あるいは最悪な状況を待つしかなかった。
ナターシャはそのどこか煮え切らない思いを発散しようとホレイナに密かに相談した。「お姉様の婚約相手の様子がおかしい」と。

一目惚れした令嬢の婚約破棄の危機だ。あわよくばキャメルの耳に入り、エセルター領を亡命場所に選び、無事結婚!みたいな下衆げすな妄想はあれど、ホレイナの手を動かすのは容易であった。すぐに『平民貴族』は書き上げられ、大通りのとある喫茶店に並べられた。そして飛ぶように売れた。
平民とて結婚さえできずとも貴族に対して恋愛感情を抱くことは少なくなく、感情移入も容易だった。実際ただの一小説、一恋愛小説であったがその人気は凄まじく、エセルター領の領民が一様にして金髪の平民を真似るほど人気を博した。そして、領民のほとんどが金髪になるという異様さも現れた。
その背景にはエセルター領当主の推進があったからであるのだが、つまるところホレイナの計画通りという訳だ。
かくしてエセルター領には髪染めの文化ができ、金髪の平民に混ざるようにも紛れるようになった。キャメルにとってはあまりいいものとは言えないが、最悪な状況のその後の生活は保障されていると言えるだろう。

それが日常になったある日のこと。ホレイナもまた金髪の平民に紛れ、大通りを歩いていると馬車から降りる四人の女性を見つけた。リゼとマリーとアンともう一人。彼女は美麗でいて髪染めとは違う純粋な金髪を靡かせ、優雅に馬車から降り立った。彼女が一度顔を上げると、ホレイナはその美貌に見蕩れ、一目惚れし、ペンダントの中の女性と重ねた。彼の瞳に映る女性はペンダントの中の時間に囚われた彼女が大人びて成長した姿のようで、奇跡のような感慨深さが心を埋めた。
あれはまさしくキャメル嬢だ、とホレイナが喜びを噛み締めていると、キャメルがリゼに手を引かれ、歩いているのが見えた。
あの方向はリゼの喫茶店だ、とホレイナはニヤつきを抑えながら公爵邸へと後戻りした。そしてその晩、キャメル嬢がいることを願いながら彼は大層な麻袋を携えながらその扉を三回叩いた。今に扉が開く。目の前には小さな少女が立っていた。

「何のご用ですか、?」
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