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三章 甘い恋

3.エセルター公爵家

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キャメルたちはヘレンに別れを告げ、大通りを並んで歩いていた。本来ならば喫茶店に帰るものだが、彼女たちには用事が一つ残っていた。

「それで次はエセルター公爵家に行くんですよね?なんだか緊張してきました」

「無理はないわね。どんなこと言われるか分からないんだもの」

「国に帰れと言われたらどうしましょうか」

「そんなことは言わないと思うけど、もし言われたら大人しく帰った方がいいわね。ここの当主様は怒ると怖いから」

「リゼさんは怒られたことがあるんですか?」

「ええ、あるわ。大通りに喫茶店を開いたときに営業時間のことで一度だけね。あのときは殺されるんじゃないかと思ったほどだったわ。今でもたまに夢に出てくるの、あの鬼の形相が」

リゼが恐ろしそうに言うと、キャメルもそれが他人事ではない気がして身を震わせた。なんだかキャメルの歩幅が小さくなった気さえした。

キャメルがジェレマイア領の貴族である、ということは暗殺者の一人が全て自白したことでリゼにバレていた。しかし、リゼはさほど態度を改めることはなく、今まで通りにキャメルに接していて、キャメルはそれが優しさであることを知っていた。
そして、キャメルが聞くにその暗殺者を雇ったのがヒルトンらしい。自身の裏事情を知っている者がいたら排斥しようとするのは当たり前で、運良く殺されなかったのが奇跡のようなものだ。しかしながら、元は四人組であるということは理解出来なかった。結局来たのは一人だけであったし、彼が言う化け物とやらにでも取って食われたのだろうか。キャメルはそんなことを考えながら大通りを渡った。

大通りを抜けると、そこには公爵の位に相応しい大きな屋敷が広がっており、ジェレマイア公爵家の屋敷と同等かそれ以上の大きさである屋敷は大きな門を開けてキャメルたちを仰々しくお出迎えしていた。

「さっそく中に入りましょう。当主様が待ちくたびれているだろうから」

「少し待ってください。深呼吸をしたいので」

キャメルは一つ、二つと深呼吸をすると意を決して、公爵家の敷地に足を踏み入れた。キャメルは一歩、二歩と歩く度に深呼吸で得た安らぎが徐々に失われている気がして、使用人が向ける眼差しも獲物を見つけた狩人のような気さえして、キャメルは心無しか肩をすぼめながら歩いていた。
そんなキャメルとは対照的にリゼは堂々と歩いていた。リゼにとっては何度も訪れた場所だ。何も怖がることはなかった。
やがて玄関にたどり着くと、キャメルはもう一度呼吸を整えた。ただでさえ門から玄関までに命を削るような思いで歩いてきたのだ。キャメルはこの先の見えない地獄に行くのに用心深くも再度、一つ、二つと深呼吸をした。

「そんなに気を張らせるようなことでも無いと思うんだけど。それに外は寒いから早く中に入りたいわ」

「深呼吸は、これからどんなことを言われても受け入れる、という自分を勇気づける儀式みたいなものなので、これを大事なときにしておかないと落ち着かないんです」

「そう、そしたら一緒に待ってあげるわ。私だけ行ってもしょうがないしね」

「ありがとうございます」

キャメルとリゼは外の寒さを凌ぐために互いの手を握りあいながら深呼吸をした。
息を吸う音が心地よく耳に残り、息を吐く音が木枯らしに流れる。キャメルは心に残った蟠りを捨てるように息を吐き、新しい勇気を得るように息を吸った。そして、今の現状をヒルトンに婚約破棄された時と重ね合わせて、深く考え込んだ。
誰かに捨てられるのも国を追放されるのももう経験済みだし、大切な誰かを失うのもこれが初めてではない。エセルター領当主に何か言われたら潔くそれを受け取り、それに応えよう、とキャメルは再三意を決して扉を叩いた。

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