10 / 58
二章 のんびり日常
3.ここで働きます
しおりを挟む
軽快なドアベルの乾いた音が鳴ると、キャメルは落ち着きのある雰囲気に魅了された。
輝かしいだけの貴族のものとは異なり、木製の家具もほのかに明るく照らしてくれる程度のランプも雑然と伸びた植物も全てが新鮮なのに、なんだか安心出来るような包容感を持っていた。カウンターにある椅子に一度座れば、それはもう楽園。それが最初から自分が長年愛用してきたものであったかのようにフィットして、体を中々離してくれなかった。
「くつろいでないで準備しなさい」
「も、もう少しだけ」
「はぁ、いつからそんなに図々しくなったの。ほら、着替えるわよ」
リゼは扉の鍵を閉めると、ため息を一つ吐き、ぐでぐでにカウンターに突っ伏すキャメルの両脇を抱え、椅子から引き摺り下ろした。
「まだ働くと決まった訳じゃないですから」
「あら、そう。折角、厚手の服も温かいお風呂も部屋も食事もあげようと思っていたのだけど。働かないというのなら、外で凍えてもらって構わないわ」
「やっぱり働かせてください!」
リゼがキャメルを引き摺ったまま外に運ぼうとすると、キャメルは必死になって制止させた。もっとも、無一文の彼女にとって働く以外の選択肢は無いので、最初からここで働くのは確定事項であったが。
外は雪こそ降らないもの爽籟が鳴るほど秋を知らせているし、キャメルにはこのエセルター領に衣食住を賄ってくれるアテが無かった。それゆえにキャメルはこの絶好のチャンスを逃すわけにはいかなかった。
「なら良いわ。正午には開きたいからそれまで準備を終わらせましょう」
「はい!」
キャメルはリゼの朗らかな笑みに少しばかりの恐怖を感じ、姿勢を正して返事をした。
「それじゃ、役割を決めましょうか。接客・会計・料理。これを今までは一人でやってきたのだけど、あなたが接客を担当して、私が会計と料理をするわね。どうせあなたの見た目じゃ、料理も出来ないだろうし、新人にお金管理は任せられないしね」
「それが一番いいですね」
キャメルは料理は愚か、会計さえできないことはこの際黙った方がいいかもしれない、と思った。今までの貴族の暮らしで銅貨を一枚、二枚と数える機会が無かったし、大抵金貨を雑に渡せば事足りていたからだ。それに比べて、ナターシャはよく大衆小説を買いに走っていたので、細かい計算は出来るだろう。ナターシャの小説読み聞かせを聞くだけじゃなくて、計算の仕方も聞いておけば良かった、と過去の自分に後悔した。
「それじゃ、あなたはこの服装に着替えて。それと、お客さんが来るまで暇だろうから、接客の練習でもしましょうか」
「分かりました。着てきますね」
こじんまりとした更衣室に入り、キャメルが渡された服に袖を通すと、それがかなり自分のサイズに合っていることに気づいた。姿見鏡で確認すると、従業員の服装としては十分過ぎるほど精巧な作りをしていて、このまま外を出歩いても、違和感に遜色のないくらいだと思えた。
「よく私のサイズにピッタリな服装がありましたね。マリーさんが作ってくれたものなんですか?」
「ええ。昔、私のために作ってくれたものなのだけど...。見ての通り全然成長しなかったから着る機会がなかったのよね。まぁ、その服にとっても本望よ」
リゼはストーンと落ちた胸と低躯を憂いて自虐的にそう言った。もはや、キャメルには何も言うことはあるまい。
「では、着替えも終わりましたし、そろそろ接客の練習をしませんか?」
「それもそうね。それじゃ、私が客の役をやるからあなたは注文票とペンを取って。最初は声を掛けられるか、呼び鈴で呼ばれるかを待つだけでいいから」
リゼはそう言うと、テーブル席に座り、呼び鈴を鳴らした。一等賞を取った風景を思い浮かべさせるような音に釣られ、キャメルはリゼが座った席に向かった。
輝かしいだけの貴族のものとは異なり、木製の家具もほのかに明るく照らしてくれる程度のランプも雑然と伸びた植物も全てが新鮮なのに、なんだか安心出来るような包容感を持っていた。カウンターにある椅子に一度座れば、それはもう楽園。それが最初から自分が長年愛用してきたものであったかのようにフィットして、体を中々離してくれなかった。
「くつろいでないで準備しなさい」
「も、もう少しだけ」
「はぁ、いつからそんなに図々しくなったの。ほら、着替えるわよ」
リゼは扉の鍵を閉めると、ため息を一つ吐き、ぐでぐでにカウンターに突っ伏すキャメルの両脇を抱え、椅子から引き摺り下ろした。
「まだ働くと決まった訳じゃないですから」
「あら、そう。折角、厚手の服も温かいお風呂も部屋も食事もあげようと思っていたのだけど。働かないというのなら、外で凍えてもらって構わないわ」
「やっぱり働かせてください!」
リゼがキャメルを引き摺ったまま外に運ぼうとすると、キャメルは必死になって制止させた。もっとも、無一文の彼女にとって働く以外の選択肢は無いので、最初からここで働くのは確定事項であったが。
外は雪こそ降らないもの爽籟が鳴るほど秋を知らせているし、キャメルにはこのエセルター領に衣食住を賄ってくれるアテが無かった。それゆえにキャメルはこの絶好のチャンスを逃すわけにはいかなかった。
「なら良いわ。正午には開きたいからそれまで準備を終わらせましょう」
「はい!」
キャメルはリゼの朗らかな笑みに少しばかりの恐怖を感じ、姿勢を正して返事をした。
「それじゃ、役割を決めましょうか。接客・会計・料理。これを今までは一人でやってきたのだけど、あなたが接客を担当して、私が会計と料理をするわね。どうせあなたの見た目じゃ、料理も出来ないだろうし、新人にお金管理は任せられないしね」
「それが一番いいですね」
キャメルは料理は愚か、会計さえできないことはこの際黙った方がいいかもしれない、と思った。今までの貴族の暮らしで銅貨を一枚、二枚と数える機会が無かったし、大抵金貨を雑に渡せば事足りていたからだ。それに比べて、ナターシャはよく大衆小説を買いに走っていたので、細かい計算は出来るだろう。ナターシャの小説読み聞かせを聞くだけじゃなくて、計算の仕方も聞いておけば良かった、と過去の自分に後悔した。
「それじゃ、あなたはこの服装に着替えて。それと、お客さんが来るまで暇だろうから、接客の練習でもしましょうか」
「分かりました。着てきますね」
こじんまりとした更衣室に入り、キャメルが渡された服に袖を通すと、それがかなり自分のサイズに合っていることに気づいた。姿見鏡で確認すると、従業員の服装としては十分過ぎるほど精巧な作りをしていて、このまま外を出歩いても、違和感に遜色のないくらいだと思えた。
「よく私のサイズにピッタリな服装がありましたね。マリーさんが作ってくれたものなんですか?」
「ええ。昔、私のために作ってくれたものなのだけど...。見ての通り全然成長しなかったから着る機会がなかったのよね。まぁ、その服にとっても本望よ」
リゼはストーンと落ちた胸と低躯を憂いて自虐的にそう言った。もはや、キャメルには何も言うことはあるまい。
「では、着替えも終わりましたし、そろそろ接客の練習をしませんか?」
「それもそうね。それじゃ、私が客の役をやるからあなたは注文票とペンを取って。最初は声を掛けられるか、呼び鈴で呼ばれるかを待つだけでいいから」
リゼはそう言うと、テーブル席に座り、呼び鈴を鳴らした。一等賞を取った風景を思い浮かべさせるような音に釣られ、キャメルはリゼが座った席に向かった。
3
お気に入りに追加
120
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
運命に勝てない当て馬令嬢の幕引き。
ぽんぽこ狸
恋愛
気高き公爵家令嬢オリヴィアの護衛騎士であるテオは、ある日、主に天啓を受けたと打ち明けられた。
その内容は運命の女神の聖女として召喚されたマイという少女と、オリヴィアの婚約者であるカルステンをめぐって死闘を繰り広げ命を失うというものだったらしい。
だからこそ、オリヴィアはもう何も望まない。テオは立場を失うオリヴィアの事は忘れて、自らの道を歩むようにと言われてしまう。
しかし、そんなことは出来るはずもなく、テオも将来の王妃をめぐる運命の争いの中に巻き込まれていくのだった。
五万文字いかない程度のお話です。さくっと終わりますので読者様の暇つぶしになればと思います。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
大嫌いなんて言ってごめんと今さら言われても
はなまる
恋愛
シルベスタ・オリヴィエは学園に入った日に恋に落ちる。相手はフェリオ・マーカス侯爵令息。見目麗しい彼は女生徒から大人気でいつも彼の周りにはたくさんの令嬢がいた。彼を独占しないファンクラブまで存在すると言う人気ぶりで、そんな中でシルベスタはファンクアブに入り彼を応援するがシルベスタの行いがあまりに過激だったためついにフェリオから大っ嫌いだ。俺に近づくな!と言い渡された。
だが、思わぬことでフェリオはシルベスタに助けを求めることになるが、オリヴィエ伯爵家はシルベスタを目に入れても可愛がっており彼女を泣かせた男の家になどとけんもほろろで。
フェリオの甘い誘いや言葉も時すでに遅く…
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
あなたのおかげで吹っ切れました〜私のお金目当てならお望み通りに。ただし利子付きです
じじ
恋愛
「あんな女、金だけのためさ」
アリアナ=ゾーイはその日、初めて婚約者のハンゼ公爵の本音を知った。
金銭だけが目的の結婚。それを知った私が泣いて暮らすとでも?おあいにくさま。あなたに恋した少女は、あなたの本音を聞いた瞬間消え去ったわ。
私が金づるにしか見えないのなら、お望み通りあなたのためにお金を用意しますわ…ただし、利子付きで。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】広間でドレスを脱ぎ捨てた公爵令嬢は優しい香りに包まれる【短編】
青波鳩子
恋愛
シャーリー・フォークナー公爵令嬢は、この国の第一王子であり婚約者であるゼブロン・メルレアンに呼び出されていた。
婚約破棄は皆の総意だと言われたシャーリーは、ゼブロンの友人たちの総意では受け入れられないと、王宮で働く者たちの意見を集めて欲しいと言う。
そんなことを言いだすシャーリーを小馬鹿にするゼブロンと取り巻きの生徒会役員たち。
それで納得してくれるのならと卒業パーティ会場から王宮へ向かう。
ゼブロンは自分が住まう王宮で集めた意見が自分と食い違っていることに茫然とする。
*別サイトにアップ済みで、加筆改稿しています。
*約2万字の短編です。
*完結しています。
*11月8日22時に1、2、3話、11月9日10時に4、5、最終話を投稿します。
子育てが落ち着いた20年目の結婚記念日……「離縁よ!離縁!」私は屋敷を飛び出しました。
さくしゃ
恋愛
アーリントン王国の片隅にあるバーンズ男爵領では、6人の子育てが落ち着いた領主夫人のエミリアと領主のヴァーンズは20回目の結婚記念日を迎えていた。
忙しい子育てと政務にすれ違いの生活を送っていた二人は、久しぶりに二人だけで食事をすることに。
「はぁ……盛り上がりすぎて7人目なんて言われたらどうしよう……いいえ!いっそのことあと5人くらい!」
気合いを入れるエミリアは侍女の案内でヴァーンズが待つ食堂へ。しかし、
「信じられない!離縁よ!離縁!」
深夜2時、エミリアは怒りを露わに屋敷を飛び出していった。自室に「実家へ帰らせていただきます!」という書き置きを残して。
結婚20年目にして離婚の危機……果たしてその結末は!?
王様の恥かきっ娘
青の雀
恋愛
恥かきっ子とは、親が年老いてから子供ができること。
本当は、元気でおめでたいことだけど、照れ隠しで、その年齢まで夫婦の営みがあったことを物語り世間様に向けての恥をいう。
孫と同い年の王女殿下が生まれたことで巻き起こる騒動を書きます
物語は、卒業記念パーティで婚約者から婚約破棄されたところから始まります
これもショートショートで書く予定です。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる