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二章 のんびり日常
3.ここで働きます
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軽快なドアベルの乾いた音が鳴ると、キャメルは落ち着きのある雰囲気に魅了された。
輝かしいだけの貴族のものとは異なり、木製の家具もほのかに明るく照らしてくれる程度のランプも雑然と伸びた植物も全てが新鮮なのに、なんだか安心出来るような包容感を持っていた。カウンターにある椅子に一度座れば、それはもう楽園。それが最初から自分が長年愛用してきたものであったかのようにフィットして、体を中々離してくれなかった。
「くつろいでないで準備しなさい」
「も、もう少しだけ」
「はぁ、いつからそんなに図々しくなったの。ほら、着替えるわよ」
リゼは扉の鍵を閉めると、ため息を一つ吐き、ぐでぐでにカウンターに突っ伏すキャメルの両脇を抱え、椅子から引き摺り下ろした。
「まだ働くと決まった訳じゃないですから」
「あら、そう。折角、厚手の服も温かいお風呂も部屋も食事もあげようと思っていたのだけど。働かないというのなら、外で凍えてもらって構わないわ」
「やっぱり働かせてください!」
リゼがキャメルを引き摺ったまま外に運ぼうとすると、キャメルは必死になって制止させた。もっとも、無一文の彼女にとって働く以外の選択肢は無いので、最初からここで働くのは確定事項であったが。
外は雪こそ降らないもの爽籟が鳴るほど秋を知らせているし、キャメルにはこのエセルター領に衣食住を賄ってくれるアテが無かった。それゆえにキャメルはこの絶好のチャンスを逃すわけにはいかなかった。
「なら良いわ。正午には開きたいからそれまで準備を終わらせましょう」
「はい!」
キャメルはリゼの朗らかな笑みに少しばかりの恐怖を感じ、姿勢を正して返事をした。
「それじゃ、役割を決めましょうか。接客・会計・料理。これを今までは一人でやってきたのだけど、あなたが接客を担当して、私が会計と料理をするわね。どうせあなたの見た目じゃ、料理も出来ないだろうし、新人にお金管理は任せられないしね」
「それが一番いいですね」
キャメルは料理は愚か、会計さえできないことはこの際黙った方がいいかもしれない、と思った。今までの貴族の暮らしで銅貨を一枚、二枚と数える機会が無かったし、大抵金貨を雑に渡せば事足りていたからだ。それに比べて、ナターシャはよく大衆小説を買いに走っていたので、細かい計算は出来るだろう。ナターシャの小説読み聞かせを聞くだけじゃなくて、計算の仕方も聞いておけば良かった、と過去の自分に後悔した。
「それじゃ、あなたはこの服装に着替えて。それと、お客さんが来るまで暇だろうから、接客の練習でもしましょうか」
「分かりました。着てきますね」
こじんまりとした更衣室に入り、キャメルが渡された服に袖を通すと、それがかなり自分のサイズに合っていることに気づいた。姿見鏡で確認すると、従業員の服装としては十分過ぎるほど精巧な作りをしていて、このまま外を出歩いても、違和感に遜色のないくらいだと思えた。
「よく私のサイズにピッタリな服装がありましたね。マリーさんが作ってくれたものなんですか?」
「ええ。昔、私のために作ってくれたものなのだけど...。見ての通り全然成長しなかったから着る機会がなかったのよね。まぁ、その服にとっても本望よ」
リゼはストーンと落ちた胸と低躯を憂いて自虐的にそう言った。もはや、キャメルには何も言うことはあるまい。
「では、着替えも終わりましたし、そろそろ接客の練習をしませんか?」
「それもそうね。それじゃ、私が客の役をやるからあなたは注文票とペンを取って。最初は声を掛けられるか、呼び鈴で呼ばれるかを待つだけでいいから」
リゼはそう言うと、テーブル席に座り、呼び鈴を鳴らした。一等賞を取った風景を思い浮かべさせるような音に釣られ、キャメルはリゼが座った席に向かった。
輝かしいだけの貴族のものとは異なり、木製の家具もほのかに明るく照らしてくれる程度のランプも雑然と伸びた植物も全てが新鮮なのに、なんだか安心出来るような包容感を持っていた。カウンターにある椅子に一度座れば、それはもう楽園。それが最初から自分が長年愛用してきたものであったかのようにフィットして、体を中々離してくれなかった。
「くつろいでないで準備しなさい」
「も、もう少しだけ」
「はぁ、いつからそんなに図々しくなったの。ほら、着替えるわよ」
リゼは扉の鍵を閉めると、ため息を一つ吐き、ぐでぐでにカウンターに突っ伏すキャメルの両脇を抱え、椅子から引き摺り下ろした。
「まだ働くと決まった訳じゃないですから」
「あら、そう。折角、厚手の服も温かいお風呂も部屋も食事もあげようと思っていたのだけど。働かないというのなら、外で凍えてもらって構わないわ」
「やっぱり働かせてください!」
リゼがキャメルを引き摺ったまま外に運ぼうとすると、キャメルは必死になって制止させた。もっとも、無一文の彼女にとって働く以外の選択肢は無いので、最初からここで働くのは確定事項であったが。
外は雪こそ降らないもの爽籟が鳴るほど秋を知らせているし、キャメルにはこのエセルター領に衣食住を賄ってくれるアテが無かった。それゆえにキャメルはこの絶好のチャンスを逃すわけにはいかなかった。
「なら良いわ。正午には開きたいからそれまで準備を終わらせましょう」
「はい!」
キャメルはリゼの朗らかな笑みに少しばかりの恐怖を感じ、姿勢を正して返事をした。
「それじゃ、役割を決めましょうか。接客・会計・料理。これを今までは一人でやってきたのだけど、あなたが接客を担当して、私が会計と料理をするわね。どうせあなたの見た目じゃ、料理も出来ないだろうし、新人にお金管理は任せられないしね」
「それが一番いいですね」
キャメルは料理は愚か、会計さえできないことはこの際黙った方がいいかもしれない、と思った。今までの貴族の暮らしで銅貨を一枚、二枚と数える機会が無かったし、大抵金貨を雑に渡せば事足りていたからだ。それに比べて、ナターシャはよく大衆小説を買いに走っていたので、細かい計算は出来るだろう。ナターシャの小説読み聞かせを聞くだけじゃなくて、計算の仕方も聞いておけば良かった、と過去の自分に後悔した。
「それじゃ、あなたはこの服装に着替えて。それと、お客さんが来るまで暇だろうから、接客の練習でもしましょうか」
「分かりました。着てきますね」
こじんまりとした更衣室に入り、キャメルが渡された服に袖を通すと、それがかなり自分のサイズに合っていることに気づいた。姿見鏡で確認すると、従業員の服装としては十分過ぎるほど精巧な作りをしていて、このまま外を出歩いても、違和感に遜色のないくらいだと思えた。
「よく私のサイズにピッタリな服装がありましたね。マリーさんが作ってくれたものなんですか?」
「ええ。昔、私のために作ってくれたものなのだけど...。見ての通り全然成長しなかったから着る機会がなかったのよね。まぁ、その服にとっても本望よ」
リゼはストーンと落ちた胸と低躯を憂いて自虐的にそう言った。もはや、キャメルには何も言うことはあるまい。
「では、着替えも終わりましたし、そろそろ接客の練習をしませんか?」
「それもそうね。それじゃ、私が客の役をやるからあなたは注文票とペンを取って。最初は声を掛けられるか、呼び鈴で呼ばれるかを待つだけでいいから」
リゼはそう言うと、テーブル席に座り、呼び鈴を鳴らした。一等賞を取った風景を思い浮かべさせるような音に釣られ、キャメルはリゼが座った席に向かった。
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