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本編
第三十七話 この度はご迷惑をお掛けしました。
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誰もが自分の生きたいように生きられるわけではない。
それが前向きであるか後ろ向きであるかはさておいて、人生は「選択」という「可能性の放棄」の繰り返しで形作られる。
選択の根拠になるものは個人の価値観であり、それは宗教などの信条であったり、常識などの文化であったり、打算であったり、欲望であったり、あるいは自身の能力による消去法だったりする。
サトシとタケルの身体的器質的能力は似通っていたが、その選択の違いが別の人生を歩ませた。
「考える事」よりも「感じる事」に重きを置いたタケルは多くの壁にぶつかりながら成長した。
その様子を側で見ていたサトシは「考える事」に重きを置き、壁を避けて成長した。
どちらの生き方が良いか。などとは考える事自体がナンセンスだ。
「良い」と思うこと自体が観測者の主観に因るからだ。
サトシは障壁を避ける人生を選択しつづけてきた。その結果、感情の波の穏やかな人を送ることができていた。
そんな彼が「好きなように生きても、その結果は他人の責任となる」という状況を経験した。
その期間は約半年。人一人の価値観が変わるには十分な時間だ。
この経験はサトシの選択の基準を変化させた。
「思い通りに生きる」という甘露は、精密機械のように「正しく」動いていたサトシの心を乱した。
一人の選択がもたらす結果は、他者の選択に影響を与える。
そうやって人間社会はうねっている。
サトシを軸にした人間関係のうねりは狂い始めていた。
◇
宿泊の翌日、サトシは求めた自由が「こっちの世界」には存在しないことを悟った。
ふと、助手席で眠るユカの寝顔を眺めた時に今いる場所が「自分の人生」であることがしっくりと認識出来た。
サトシは車の向き先を東方に返し、自宅を目指して走り始めた。
今のサトシにとって「こっちの世界」を構成する要素のうち、最も重要だったのは仕事でもなく、剣道でもなく、両親や妹などの肉親でもなかった。
それはユカだった。
人生経験の豊富な人であれば、交際相手が人生の最大の要素になることは滅多にないだろう。
それは男女交際がいつしか終わりを迎える関係であることを知っているからだ。
サトシにとってユカは最初の交際相手である。
まだ別れを経験した事のないサトシは、ユカとの関係を自分の人生と誤認している。
何はともあれ、そこに至る経緯の良し悪しはさておいて、サトシは自分の人生と再び向き合う気持ちになった。
人は誰かにはなれない。サトシはそれを再確認した。
◇◆◇
「申し訳ありませんでした」
サトシの横でユカも深々と頭を下げた。
その前には社長と、部長である中川サヤカが無表情に座っている。
宿泊の翌々日。グローバルシステムズ社屋の会議ブース。
座った二人は一言も発しない。
頭を下げた二人はそのままの姿勢を保っている。
シーンとした社内、社員たちは平然と仕事をしている風を装っているが、内心はこれから起こることに興味津々だ。
他人の身に降りかかる不幸であったり事件であったりするものを人は好む。
ただ一人、サトシの同期である唐澤アキラは二人の事を心底心配していた。
「まぁ、座れや」
赤黒く日焼けした社長が二人に座るよう指示する。
申し訳なさそうにサトシとユカは椅子に座る。
「で、どうするんな? 片山」
無表情なまま社長はサトシに訊いた。
出社するにあたって用意していた答えをサトシは言った。
「今回の行動はすべて私一人の判断でした。ご迷惑をかけた責任はすべて私にあります」
「そらそうや。どう考えても悪いのは片山、お前や」
社長は当然のこととしてそう答えた。ユカはサトシの顔をちらりと見たが、その表情から何を考えているのかを読み取ることは出来なかった。
「今回、三日の無断欠勤があったな。その間に何があったと思う? 新田、どう思う?」
社長は少し表情を緩めユカの顔を見た。
「……日本総合電信様の障害経緯資料の作成中でした。経緯を知っている私がいなかったので、資料が作成できなかったのではないかと思います」
「うん。じゃぁ資料が作成できなかったらどうなる?」
「クライアントとの合意事項に未達になるので、信用を失うと思います」
「信用を失ったらどうなる?」
「……提案中案件が失注したり、来期の開発案件を受注できないようになります」
「そうやね。そうしたら誰に迷惑がかかるんや?」
「……この会社の人に……」
そう答えるとユカはうつむいた。
うつむいたユカに向かって社長が続ける。
「惜しい。正確にはこの会社で働く人とその家族に迷惑がかかるんやぞ」
「……本当に申し訳ございません……」
ユカは状況に流された自分の愚かさを後悔し、涙を零した。
社長はそのようなユカの様子を確認後、サトシに言った。
「片山よぉ。新田でもこれくらいのことは分かるんやぞ。マネージャーのお前が分からんことはないよなぁ?」
心の底まで覗き込むような鋭い目つきで社長は訊いた。
命のやり取りとは異なる威圧感がある。その威圧感に気圧され、サトシはうめくように返事をした。
「……はい」
「まぁ、新田に関しては片山にそそのかされたからな。今回の件については欠勤を有給として認める」
「え……? はい、承知しました……」
ユカは厳罰を覚悟していたが、何の罰もなく済んだ事に驚いた。
「じゃぁ、新田についてはこれでおしまい。席に戻ってもええぞ」
社長の言葉を受けユカは会議ブースから出て自席に戻った。
その様子を他の社員達が興味深そうに眺めていた。
◇
「で、片山……お前どうすればええと思っとるんな?」
社長はサトシの意思を確認するように訊いた。
サトシは用意していた答えを述べる。
「今回の事を含め、会社には多大なるご迷惑をかけております。……なので退職を考えております」
「おう、そうきたか。責任から逃げると」
「いえ、そういう訳では無く……」
「そういう訳やで、片山。それじゃぁ何にも責任は取れんぞ」
サトシは答えに困った。
自分としてはこれ以外にないという考えだったから、他に答えを用意できていなかった。
「俺の考えを言うぞ」
「はい」
サトシはどのような厳しいことを言われても受け入れるつもりだった。
「三日だっけか、無断欠勤は。欠勤分については給与から日割り計算で差し引き。今年度の昇進や昇給は期待しないでくれ」
「え?」
「で、引き続き自社製品の開発を継続。今期末までに必ずサービス開始させろ」
「えっと……」
サトシは混乱した。自分が命令されていることの意味を真意を汲み取れない。
混乱した様子のサトシをみて社長は続ける。
「要するに、責任持って今のプロジェクトを完遂せぇって言うとるんや。ケジメ見せろって言うとるんやで」
「辞職は……」
「アホか、責任から逃げるな。向かい合えって言うとるのがまだ分からんのか」
サトシの目頭が熱くなる。涙は零れなかった。
◇
社長との話を終え、サトシは喫煙ブースにいた。
先程まで話していた社長、その隣で座っていたサヤカも一緒だ。
唐澤もやってきた。
先程の深刻な話が無かったかのように、タバコを吸いながら四人は雑談するのだった。
雑談をしながらサトシはもう一度自分の人生に向かい直し、「自分がなにをするべきか」見つめ直そうと思うのだった。
それが前向きであるか後ろ向きであるかはさておいて、人生は「選択」という「可能性の放棄」の繰り返しで形作られる。
選択の根拠になるものは個人の価値観であり、それは宗教などの信条であったり、常識などの文化であったり、打算であったり、欲望であったり、あるいは自身の能力による消去法だったりする。
サトシとタケルの身体的器質的能力は似通っていたが、その選択の違いが別の人生を歩ませた。
「考える事」よりも「感じる事」に重きを置いたタケルは多くの壁にぶつかりながら成長した。
その様子を側で見ていたサトシは「考える事」に重きを置き、壁を避けて成長した。
どちらの生き方が良いか。などとは考える事自体がナンセンスだ。
「良い」と思うこと自体が観測者の主観に因るからだ。
サトシは障壁を避ける人生を選択しつづけてきた。その結果、感情の波の穏やかな人を送ることができていた。
そんな彼が「好きなように生きても、その結果は他人の責任となる」という状況を経験した。
その期間は約半年。人一人の価値観が変わるには十分な時間だ。
この経験はサトシの選択の基準を変化させた。
「思い通りに生きる」という甘露は、精密機械のように「正しく」動いていたサトシの心を乱した。
一人の選択がもたらす結果は、他者の選択に影響を与える。
そうやって人間社会はうねっている。
サトシを軸にした人間関係のうねりは狂い始めていた。
◇
宿泊の翌日、サトシは求めた自由が「こっちの世界」には存在しないことを悟った。
ふと、助手席で眠るユカの寝顔を眺めた時に今いる場所が「自分の人生」であることがしっくりと認識出来た。
サトシは車の向き先を東方に返し、自宅を目指して走り始めた。
今のサトシにとって「こっちの世界」を構成する要素のうち、最も重要だったのは仕事でもなく、剣道でもなく、両親や妹などの肉親でもなかった。
それはユカだった。
人生経験の豊富な人であれば、交際相手が人生の最大の要素になることは滅多にないだろう。
それは男女交際がいつしか終わりを迎える関係であることを知っているからだ。
サトシにとってユカは最初の交際相手である。
まだ別れを経験した事のないサトシは、ユカとの関係を自分の人生と誤認している。
何はともあれ、そこに至る経緯の良し悪しはさておいて、サトシは自分の人生と再び向き合う気持ちになった。
人は誰かにはなれない。サトシはそれを再確認した。
◇◆◇
「申し訳ありませんでした」
サトシの横でユカも深々と頭を下げた。
その前には社長と、部長である中川サヤカが無表情に座っている。
宿泊の翌々日。グローバルシステムズ社屋の会議ブース。
座った二人は一言も発しない。
頭を下げた二人はそのままの姿勢を保っている。
シーンとした社内、社員たちは平然と仕事をしている風を装っているが、内心はこれから起こることに興味津々だ。
他人の身に降りかかる不幸であったり事件であったりするものを人は好む。
ただ一人、サトシの同期である唐澤アキラは二人の事を心底心配していた。
「まぁ、座れや」
赤黒く日焼けした社長が二人に座るよう指示する。
申し訳なさそうにサトシとユカは椅子に座る。
「で、どうするんな? 片山」
無表情なまま社長はサトシに訊いた。
出社するにあたって用意していた答えをサトシは言った。
「今回の行動はすべて私一人の判断でした。ご迷惑をかけた責任はすべて私にあります」
「そらそうや。どう考えても悪いのは片山、お前や」
社長は当然のこととしてそう答えた。ユカはサトシの顔をちらりと見たが、その表情から何を考えているのかを読み取ることは出来なかった。
「今回、三日の無断欠勤があったな。その間に何があったと思う? 新田、どう思う?」
社長は少し表情を緩めユカの顔を見た。
「……日本総合電信様の障害経緯資料の作成中でした。経緯を知っている私がいなかったので、資料が作成できなかったのではないかと思います」
「うん。じゃぁ資料が作成できなかったらどうなる?」
「クライアントとの合意事項に未達になるので、信用を失うと思います」
「信用を失ったらどうなる?」
「……提案中案件が失注したり、来期の開発案件を受注できないようになります」
「そうやね。そうしたら誰に迷惑がかかるんや?」
「……この会社の人に……」
そう答えるとユカはうつむいた。
うつむいたユカに向かって社長が続ける。
「惜しい。正確にはこの会社で働く人とその家族に迷惑がかかるんやぞ」
「……本当に申し訳ございません……」
ユカは状況に流された自分の愚かさを後悔し、涙を零した。
社長はそのようなユカの様子を確認後、サトシに言った。
「片山よぉ。新田でもこれくらいのことは分かるんやぞ。マネージャーのお前が分からんことはないよなぁ?」
心の底まで覗き込むような鋭い目つきで社長は訊いた。
命のやり取りとは異なる威圧感がある。その威圧感に気圧され、サトシはうめくように返事をした。
「……はい」
「まぁ、新田に関しては片山にそそのかされたからな。今回の件については欠勤を有給として認める」
「え……? はい、承知しました……」
ユカは厳罰を覚悟していたが、何の罰もなく済んだ事に驚いた。
「じゃぁ、新田についてはこれでおしまい。席に戻ってもええぞ」
社長の言葉を受けユカは会議ブースから出て自席に戻った。
その様子を他の社員達が興味深そうに眺めていた。
◇
「で、片山……お前どうすればええと思っとるんな?」
社長はサトシの意思を確認するように訊いた。
サトシは用意していた答えを述べる。
「今回の事を含め、会社には多大なるご迷惑をかけております。……なので退職を考えております」
「おう、そうきたか。責任から逃げると」
「いえ、そういう訳では無く……」
「そういう訳やで、片山。それじゃぁ何にも責任は取れんぞ」
サトシは答えに困った。
自分としてはこれ以外にないという考えだったから、他に答えを用意できていなかった。
「俺の考えを言うぞ」
「はい」
サトシはどのような厳しいことを言われても受け入れるつもりだった。
「三日だっけか、無断欠勤は。欠勤分については給与から日割り計算で差し引き。今年度の昇進や昇給は期待しないでくれ」
「え?」
「で、引き続き自社製品の開発を継続。今期末までに必ずサービス開始させろ」
「えっと……」
サトシは混乱した。自分が命令されていることの意味を真意を汲み取れない。
混乱した様子のサトシをみて社長は続ける。
「要するに、責任持って今のプロジェクトを完遂せぇって言うとるんや。ケジメ見せろって言うとるんやで」
「辞職は……」
「アホか、責任から逃げるな。向かい合えって言うとるのがまだ分からんのか」
サトシの目頭が熱くなる。涙は零れなかった。
◇
社長との話を終え、サトシは喫煙ブースにいた。
先程まで話していた社長、その隣で座っていたサヤカも一緒だ。
唐澤もやってきた。
先程の深刻な話が無かったかのように、タバコを吸いながら四人は雑談するのだった。
雑談をしながらサトシはもう一度自分の人生に向かい直し、「自分がなにをするべきか」見つめ直そうと思うのだった。
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