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本編

第三十四話 障害対応状況のご連絡

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 あらいトクミチの死因については確認できる雰囲気ではなかった。
 過労死か、自殺か、事故死か、病死か……あらゆる可能性がありつつも確認できない以上は憶測に過ぎない。
 確実に言える事は、システム障害の原因の一つは洗トクミチの手掛けたプログラムにあり、その経緯について知るものはもはや居ないということだ。

 ――参ったな。
 サトシは煙混じりの大きなため息をつくと、自分のデスクに戻った。



 障害発生時、システム開発に携わる人間がやらないといけない事は数多くある。

 システム的な対応としては「暫定ざんてい対応」と「恒久対応」。業務的な対応としては「障害報告」と「再発防止」だ。

 今、可及的速やかに行わなければならないのは、前述の「暫定対応」となる。

 最初に手を付けるのは障害状態からの復旧。停止した業務を回すために「とりあえず」のシステム稼働状態を実現しなければならない。
 そのためには障害による被害の規模を正確に把握することが必要だ。
 各データの作成にかかわる機能はどこなのか。そのデータの復旧方法はどのようなものか。それを明らかにして、修復を実行に移す。
 復旧が遅れればその分だけシステム利用者の業務が停止する。
 今回手掛けたシステムの利用者は日本総合電信の各社員だ。全国でおよそ三〇〇部署、四〇〇〇人近い社員の業務が停止することになる。
 時給に換算すれば一時間あたりおよそ一千万円の被害となる。迅速に障害状態を復旧しなければならない。(※もっとも、それは極端な表現で、実際のシステム障害が発生した場合、各社員はシステムを使用しない別業務を行う事が多い)

「新田さんは設計書から今回のデータ不備によって影響の出るデータを洗い出して。片山は障害発生箇所の改修をお願い」

「了解です」

 部長のサヤカはサトシとユカにテキパキと指示を出し、自分は障害報告資料の作成に取り掛かった。


 グローバルシステムズ株式会社の長い一日が始まった。





 一時間後、ユカは山のような設計書から障害の影響が疑われる箇所をリストアップした。

 ユカから「【初報】障害影響テーブル一覧」とのタイトルのメールがサヤカとサトシに送付される。
 二人がメールに添付されたファイルを開くと、そこには夜間処理で更新されるデータの実に半数近いものが列挙されていた。

「おぅ……これはキッツいなぁ……」

 サヤカがため息をつく。この洗い出し結果すべてに対してデータの補正作業が必要だ。
 データ補正。これは不具合の影響を受けたデータを本来あるべき状態に戻すことだ。
 簡単なデータ補正であれば表計算ソフトを使用して対応することも可能だが、今回の様な広範に渡るデータ補正の場合は専用の補正プログラムの作成が必要になる。

「全量のデータ補正するのは本日中の復旧は無理ね。新田さんはデータ補正作業に着手して。レポート系のデータからやって頂戴」

「了解しました」

 サヤカはすぐに日本総合電信の今田主査に電話を入れた。
 今田主査は一コールで電話に出た。

「グローバルシステムズの中川です」

「中川さん、どう? すぐに復旧できそう?」

「それが……本日中の復旧は難しいと思われます」

「難しいじゃなくてさぁ、なんとかしてよ」

「暫定の対応として、本日の業務に必要なレポート系のデータについては手動で作成。まだ所要工数の見積もり中ではありますが、おそらく午後一には間に合うかと思われます」

「じゃぁ、それで。で、今夜の夜間バッチはどうなる?」

「今夜の夜間バッチはエラー発生部分を停止して、その処理で作成されるデータは手動作成して後続の処理を実行するというのが現実的な対応かと思われます」

「分かった。とりあえず一時間後の報告会で詳細は説明して」

「承知いたしました」

 一旦報告をしたことでサヤカは少しホッとした。
 状況を他者と共有するとそれだけで安堵感を得ることができるものだ。
 これからの対応を考えるとかなり厳しいものになるだろうが、数秒間の安らぎが彼女を支えた。

 すぐにモードを次の仕事に切り替える。

「片山、ここからの対応お願いね。出社してくるメンバーは好きに使っていいから」

 そう言うとサヤカはノートパソコンを持って社屋を出た。
 障害報告資料の残分は移動中に作成するつもりだ。





 降ろされたプロジェクトに意外な形で戻ったサトシだったが、腕は鈍ってはいなかった。
 九時過ぎに出社してきた同期の唐澤アキラとその配下メンバー「西野」「吉川」も障害対応に参加させ、作業指示を出した。

「……以上が今回のシステムの仕様と障害の概要だ。新田さんがメインのデータ復旧を行うから、マスタ系の復旧は西野と吉川がやってくれ」

「うす。了解です」

「唐澤は俺の修正結果の検証を頼む」

「ほいほい」

 サトシにとって久々のシステム開発の現場だ。
 かつて死に物狂いで取り組んでいた仕事だったが、本当の命懸けの毎日を過ごしてきたサトシにとっては、命を落とす恐れの無い仕事に恐怖はなかった。

 「こっちの世界」で暮らしていた頃のサトシは、仕事の失敗や、人生のつまずきなどに対して強い不安と恐怖を感じながら生きていた。
 失敗がもたらす結果について恐れるというより、失敗そのものを恐れていた。
 自分の考える「完璧」を必須のものとし、それをこなすことで安心を得ようとしていた。
 その結果、手に入れたモノは「少しずつ成長する自分」であり「昨日よりマシな今日」であり「大きな変化の無い日々」であった。

 大事にしていたそれは「あっちの世界」に触れたことで完全に崩壊した。
 何が起こるか分からない不安、命を落とすかもしれないという恐怖の前には、「少しずつ成長する自分」などは無力であり、「昨日よりマシな今日」なんてものは期待できなかった。

 しかしながらその中で感じる達成感や使命感があった。
 そして「確実なものは何もない」ということを経験の中で実感を持って理解した。

 隣の席を見る。
 モニターに食い入るようなユカの姿があった。
 愛する人。自分だけの人。そうありたかった彼女はもはや兄との共有物だ。


 ――退屈だな。
 サトシはプログラムを修正しながらそう感じた。





 作業は順調に進んだ。
 正午にはまず第一弾のデータとしてユカの補正したレポート系のデータが日本総合電信に送付された。
 送付されたデータは運用業者によってシステムに適用される。
 とりあえずこれで、本日の業務のうち主なものは行うことができる状態になったはずだ。

 一方でプログラムの修正も完了、その動作確認についても夕方までには完了できそうだった。

「ふぅ……」

 喫煙所でサトシは一息ついた。
 手にはいつもの缶コーヒー。キャンペーン中らしく、缶の上部におまけが付いている。
 おまけのフィギュアを喫煙所の窓辺に置いて、ソファに腰掛ける。

「この調子なら今夜の夜間バッチ前に修正プログラムを適用できそうだな」

 唐澤が電子タバコをセットしながら喫煙所にやってきた。

「だといいんだけどね」

「今見ている限り修正内容には問題なさそうだ」

「そっか、ありがと」

 二人同時に煙を吐き出す。一瞬の沈黙が流れる。

「洗さんのモジュールだろ? 障害の箇所」

 唐澤はサトシの隣に座る。

「あぁ。未実装のままリリースな……洗さんにしては考えにくいミスだった」

「もうぶっ壊れてたんだろうな……」

 唐澤は床のシミを見ながら呟いた。

「え?」

「俺は洗さんの事故は偶然じゃないと思ってるんだ」

 ――事故……洗さんは事故で亡くなったのか……

「あの人、四〇にもなって嫁さんもいねぇ、趣味もねぇ、仕事しかなかった人じゃん?」

「あぁ……その分仕事には命懸けてたって感じだったな」

 唐澤の話の通りだ。
 洗トクミチは毎日夜中まで会社にいた。
 食事もパソコンの前で摂り、他の者がするような趣味のサイトを覗き見るようなこともなかった。
 出社して、夜中まで仕事して、休憩時間には昼寝して。
 仕事上のコミュニケーションに問題はなかったが、「楽しい日常会話」というものには縁が無いような人だった。

「多分、仕事だけで生きていくのってさ、限界あると思うんだよ」

「限界かぁ……そうかもな」

「変化の無い日々って安定してそうな気がするけど、実は緩やかな後退なんだと思うんだわ最近」

「というと?」

「何ていうかな……年取ると一年が短く感じるじゃん? 俺は家族がいるし、お前はユカちゃんがいるけど洗さんにはそういうのなかったでしょ。ものすごい早さで毎日が過ぎてたんだろうなって思うんだよ」

「つまり……どういうこと?」

「もう生きてる時間が終わっちゃってたんじゃないかな、あの人」

「生きてる時間?」

「そう、生物的な意味じゃなくて、なんていうかエネルギーみたいなさ。生きるエネルギーが尽きたんじゃないかなってさ」

 サトシはなぜだかゾッとした。
 その理由は自分でもわからなかった。




 結局障害対応済みのプログラムは一日置いて障害発生の翌日に適用された。
 サトシたちは三十六時間の勤務を終え、それぞれ帰宅したのだった。
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