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第119話.始動
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ルシヤ軍は、水の補給の為に川沿いを南下するルートを辿ると考えられる。そこで、先だって浅間師団はその道中にある集落を立ち退かせた。村民は皇国陸軍の後退に合わせて、共に札幌まで移動する事になる。
移動の妨げにならない程度の物品の所持は許可したが、携行できないものは全て焼却処分とした。
皇国陸軍は暴力に頼らず、国民にルシヤ軍の脅威について整然と説得し、彼らもそれに応えた。
また我々狙撃隊と防衛大隊も、本隊から漏れた村落へ立ち退きの指示(おねがい)に向かった。
……
「じきにルシヤ軍が来る。村民は一人残らず荷物を纏めて札幌へ避難してくれ」
とある村の避難指示を受け持ったため、私は村長の家に家長を集めさせてそう言った。
囲炉裏の近くに車座になっていながらも、彼らの表情は厳しい。
「お前達は国を守るのが仕事だろう。なんで俺たちが避難して、お前らは逃げるんだ!」
「戦えよ、陸軍はどうなってるんだ!」
「これから田んぼも忙しくなって来るっていうのに、どうするんだよ」
ぶしつけに避難指示をする私の言葉に、村の男らが反撃に出た。どうするも何もない、逃げるのだ。
「田も家も置いて、札幌まで直ちに避難する。どうか了解してくれ。」
「そんな勝手な物言いで!」
「ルシヤは来る。必ずくるし、すぐに来る。そうすればもう終わりだ。男は殺されて女は犯される。飯に金品は根こそぎだ、だから……」
私が言い終わる前に、一人の男が立ち上がって声をあげる。
「だからお前達兵隊が居るんだろう!?ルシヤから守るのが仕事じゃないのか」
「今の我々に敵をここで食い止めるだけの力はない。これも国と、国民を守る為なのだ。辛いだろうが、どうか了解してほしい」
「この野郎!」
斜め向かいに座っていた腕っ節に自信がありそうな男が、右手を振り上げてこちらに詰め寄って来た。私を小突くつもりだろうか、それでも良い。それで気がすむのであれば。
黙って座っていると、静止の声が上がった。
「待て!やめよ」
「だけどよ、じいさま。こいつら……」
「いや良い、皆で避難しよう」
長い髭を蓄えた老人が、そう言った。彼はこの村の長であり、村の意思を決定するに足る人物だ。
「村長さん!」
「兵隊さん。どうか、どうか日本をお願いします」
男らが不平を言うが、村長は私に頭を下げて見せた。
「じっちゃん!せっかくここまで来たんだろう。ようやく米も野菜も軌道に乗って……ここで離れたらまた一からになる!それでも」
「それでも良い。また復興しよう」
「……!」
「生きておれればそれで良い、わしらも元々内地の人間だろうが。また同じように拓けば良い。命あってのことだで」
彼は囲炉裏の灰を少しだけ指でつまんで、中心にぱっと投げながら言った。
「それに兵隊さんはなんて言った。どうか、と。どうか了解してくれと。我々に言ってくれとるんだ。それを言う兵隊さんの気持ちに応えねばならんよ。わしらは避難する、良いな」
村長は手振りで立ち上がった男らを座らせると、もう一度「良いな」と言った。
「……わかった」
「兵隊さん。申し訳ない、カッとなって怒鳴ったりして」
「いや。ご理解を感謝します」
目を見据えて礼を言う。
村長に助けられたか。しかし我々は必ず彼らの気持ちに応えねばならない。
その後、しばらくして村人は馬を引いて札幌に向けて出発した。
それぞれ持てるだけの荷を持って歩き去って行った。中にはボロ切れのような着物を着て、風呂敷に収まる程度の荷を担いで歩いて行くものもあり、皆が決して悠々自適な生活だったとは言えぬ事が見て取れた。
彼らを見送った後に井戸を埋め、家屋には火を放った。木造の、十分な年季の入った慎ましい家々は軽い音を立てて、時には大きな呻き声を上げて燃えて崩れ去った。
この地で、彼らが艱難辛苦を乗り越えて生きたその証が。ものの数刻で灰になり炭となって消えていく。
心の中で、彼らに頭を下げた。
「タカ?」
「なんだ」
橙色の光が眼の奥を照らす。いつの間にか隣に立っていたウナが言った。
「くしゃくしゃだ。どうしたんだ、辛いのか?」
「辛くはない」
「……ただ、そうだな。悔しいのかな」
数字の上ではわかっていても、そうするべきだと。そうすれば被害が減るのだとしても。命が守れるのだとしても。
実際に目の前でこうすると、どうにも不甲斐なさを感じる。
ぼうっと立っておると「穂高中尉」と呼ぶ声がした。振り返ると一人の兵が向かって来ており、彼は近づいてきて言った。
「中尉殿。近隣にもう一つ集落があるようなのですが、どうも日本語がイマイチ通らんようで」
「ルシヤ人か?」
元々雑居の地である。ルシヤ人が残っていても不思議ではないが。
「いえ、それもはっきりせんようです。対応している者の手に負えぬので、ルシヤ語ができる中尉に一度来て貰いたいとのことです」
「うん」
何者か、見てみない事にはわからんだろう。
厄介者で無ければ良いが。
移動の妨げにならない程度の物品の所持は許可したが、携行できないものは全て焼却処分とした。
皇国陸軍は暴力に頼らず、国民にルシヤ軍の脅威について整然と説得し、彼らもそれに応えた。
また我々狙撃隊と防衛大隊も、本隊から漏れた村落へ立ち退きの指示(おねがい)に向かった。
……
「じきにルシヤ軍が来る。村民は一人残らず荷物を纏めて札幌へ避難してくれ」
とある村の避難指示を受け持ったため、私は村長の家に家長を集めさせてそう言った。
囲炉裏の近くに車座になっていながらも、彼らの表情は厳しい。
「お前達は国を守るのが仕事だろう。なんで俺たちが避難して、お前らは逃げるんだ!」
「戦えよ、陸軍はどうなってるんだ!」
「これから田んぼも忙しくなって来るっていうのに、どうするんだよ」
ぶしつけに避難指示をする私の言葉に、村の男らが反撃に出た。どうするも何もない、逃げるのだ。
「田も家も置いて、札幌まで直ちに避難する。どうか了解してくれ。」
「そんな勝手な物言いで!」
「ルシヤは来る。必ずくるし、すぐに来る。そうすればもう終わりだ。男は殺されて女は犯される。飯に金品は根こそぎだ、だから……」
私が言い終わる前に、一人の男が立ち上がって声をあげる。
「だからお前達兵隊が居るんだろう!?ルシヤから守るのが仕事じゃないのか」
「今の我々に敵をここで食い止めるだけの力はない。これも国と、国民を守る為なのだ。辛いだろうが、どうか了解してほしい」
「この野郎!」
斜め向かいに座っていた腕っ節に自信がありそうな男が、右手を振り上げてこちらに詰め寄って来た。私を小突くつもりだろうか、それでも良い。それで気がすむのであれば。
黙って座っていると、静止の声が上がった。
「待て!やめよ」
「だけどよ、じいさま。こいつら……」
「いや良い、皆で避難しよう」
長い髭を蓄えた老人が、そう言った。彼はこの村の長であり、村の意思を決定するに足る人物だ。
「村長さん!」
「兵隊さん。どうか、どうか日本をお願いします」
男らが不平を言うが、村長は私に頭を下げて見せた。
「じっちゃん!せっかくここまで来たんだろう。ようやく米も野菜も軌道に乗って……ここで離れたらまた一からになる!それでも」
「それでも良い。また復興しよう」
「……!」
「生きておれればそれで良い、わしらも元々内地の人間だろうが。また同じように拓けば良い。命あってのことだで」
彼は囲炉裏の灰を少しだけ指でつまんで、中心にぱっと投げながら言った。
「それに兵隊さんはなんて言った。どうか、と。どうか了解してくれと。我々に言ってくれとるんだ。それを言う兵隊さんの気持ちに応えねばならんよ。わしらは避難する、良いな」
村長は手振りで立ち上がった男らを座らせると、もう一度「良いな」と言った。
「……わかった」
「兵隊さん。申し訳ない、カッとなって怒鳴ったりして」
「いや。ご理解を感謝します」
目を見据えて礼を言う。
村長に助けられたか。しかし我々は必ず彼らの気持ちに応えねばならない。
その後、しばらくして村人は馬を引いて札幌に向けて出発した。
それぞれ持てるだけの荷を持って歩き去って行った。中にはボロ切れのような着物を着て、風呂敷に収まる程度の荷を担いで歩いて行くものもあり、皆が決して悠々自適な生活だったとは言えぬ事が見て取れた。
彼らを見送った後に井戸を埋め、家屋には火を放った。木造の、十分な年季の入った慎ましい家々は軽い音を立てて、時には大きな呻き声を上げて燃えて崩れ去った。
この地で、彼らが艱難辛苦を乗り越えて生きたその証が。ものの数刻で灰になり炭となって消えていく。
心の中で、彼らに頭を下げた。
「タカ?」
「なんだ」
橙色の光が眼の奥を照らす。いつの間にか隣に立っていたウナが言った。
「くしゃくしゃだ。どうしたんだ、辛いのか?」
「辛くはない」
「……ただ、そうだな。悔しいのかな」
数字の上ではわかっていても、そうするべきだと。そうすれば被害が減るのだとしても。命が守れるのだとしても。
実際に目の前でこうすると、どうにも不甲斐なさを感じる。
ぼうっと立っておると「穂高中尉」と呼ぶ声がした。振り返ると一人の兵が向かって来ており、彼は近づいてきて言った。
「中尉殿。近隣にもう一つ集落があるようなのですが、どうも日本語がイマイチ通らんようで」
「ルシヤ人か?」
元々雑居の地である。ルシヤ人が残っていても不思議ではないが。
「いえ、それもはっきりせんようです。対応している者の手に負えぬので、ルシヤ語ができる中尉に一度来て貰いたいとのことです」
「うん」
何者か、見てみない事にはわからんだろう。
厄介者で無ければ良いが。
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