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第96話.狙撃
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三月。
日の無い時間帯には凍えるものの日中は少しずつ暖かさを感じるようになってくる頃合いである。
真冬の一面雪化粧というのは万人に通ずる美しさがある。それは白の世界が隠(かく)り世(よ)とも思える幻想的な美しさであるからだ。地に足をつかない儚さと言っても良い。
一方で、この雪が溶けかけて泥が混じる今頃はどうか。美しい銀世界が崩された、汚く、見るべきものでは無いと断ずる人もいる。一面、そういう評価もあるだろう。
しかし本当に、雪と泥が混じったこの大地は汚らわしいものであろうか。いや、私はそうは思わない。美しい季節だとすら感じる。
整った白を壊してできたその世界は、新しい生命の誕生を祝う混沌なのだ。雪の切れ目から覗いた泥に新芽などが芽吹いていると、生命力の偉大さを感じずにはいられない。
しかし。
まぁそれはそれとして、だ。
「穂高、この道で良いのか。随分と歩き難いが」
ぼそぼそと、吾妻が小さな声で不平を言う。雪が半ば溶けかけてぬかるんだ地面は、歩きやすいとはとても言えない。わざわざ大きく回り込んで、山の手を歩いているのは遠巻きに敵地を偵察する為である。
ドーランの代わりに泥を塗りたくっているために、よく表情がわからない。
「良い、派手な音を鳴らすなよ。急ぐ必要も無い。ゆっくり気をつけて歩け、自然にな」
「敵地も敵地、ど真ん中だが、普通に歩いて大丈夫か」
「今は大丈夫だ」
生き物の目は不自然な動きに注目する性質がある。素早い動きや、強い視線など。自然の中に混ざった不自然には本能が危険を知らせるのだ。
漫画のように、物陰から物陰へ素早く飛び歩くなど以ての外である。寝ている猫だって喜んで飛んでくるだろう。
「おい、タカ」
静かに、それでいて緊張感を感じさせる声でウナが言った。私の合図で全員がかがんで藪に隠れる。ウナが見る方向に目を向けた。
「いるな、一人二人……三人か。吾妻、遠眼鏡は出すなよ」
「あ、ああ。ここから見えるのか?」
遠眼鏡を出そうとしていた吾妻を制する。光は非常に遠くまで届く、小さな鏡であっても地平線の先(約五キロ)まで余裕である。※鏡を使ってヘリコプターを誘導することもできるくらいだ。
遠眼鏡のレンズに光が反射して発見される、と言うのは十分あり得る話である。
「ああ見えるよ」
「タカ撃つのか?」
「いや、撃たない。追跡する」
懐から地図を取り出す。
中将から与えられたこれは地図とは名ばかりの代物で、抜けがあるどころか所々間違っている。それに書き込みを加えていく。
兵を殺すのが任務ではない、彼らがどこへ帰り、そこに何があるのか。その情報を持ち帰る事が重要なのだ。
改めて敵を見る。
小銃は装備しているが、帯刀も無い。装備を見る限り、一般の兵卒だろう。何か話しながら、だらだら歩いている。こちらに気がついている様子はない。ルシヤの斥候だろうか?だとすればお粗末な事だが。
「行くぞ」
見つからぬように、慎重に距離を詰める事にした。
……
「なるほどな」
見回りだったのだろうか、彼らが戻った先は土嚢を積んだ小さな陣地であった。欺瞞効果を期待してか雪や泥を塗り込んでいるが、兵隊がこれではそう意味はない。彼らに気がつかれた様子はなく、機関銃に手をかけて遊んですらいる。
「ウナ、吾妻。辺りを警戒しろ、頭は出すなよ」
「機関銃がある、撃つのか?」
「いや、まだだ」
まだ撃たない。
地図に敵陣地の位置と人員と装備を書き込む。
彼らの様子がいかにも油断している。ならば補給だとか交代だとか、そういった連絡があるはずだ。泳がせておけば、まだまだ情報は芋づる式に出てくるだろう。
ウナと吾妻に考えを伝える。吾妻は黙って頷き、ウナもそれに従った。戦争は情報だ、目の前の敵を叩けば良いと言うものではない。
姿勢は低く、藪に紛れて待つ。
しばらく時が過ぎた。
途中握り飯を片手に食いつつも、視線は外さずに監視を続けた。ぐっしょりと湿った空気と泥が、確実に体温と集中力を奪っていく。
彼我の視線が通る場所にいるのは私だけだ、ウナと吾妻は少し引いた場所で私の周囲に目を光らせている。監視しているつもりが、逆に狙われていたと言うのも考えられるからだ。
そうこうしていると敵に動きがあった。
数人の兵卒が徒歩(かち)で現れて、陣地の者に何かを受け渡したのだ。表情まで読み取るのは難しいが、おそらく飯でも持って来たのではないだろうか。
静かに手で合図を送って、吾妻とウナを呼んだ。中腰の姿勢で集結する。
「何者かが陣地の者に接触した。すぐに動き出すようだ、次はやつらを追跡するぞ」
「何者だ?」
「分からん。何かを受け渡したようだが、飯かもしれん。そうであれば他にも回るはずだ。それを追う」
「タカこっちから追いかけた方が良い。足跡が残らないし風下だ」
顔がぶつかる程の距離で、必要な事だけを伝達し合う。短い会議を終えた後、移動する兵を追いかける。
彼らはいくらかの小規模な陣地を転々した後、本丸に到着した。他のものより大規模な収容力を持つ機関銃壕だ。コンクリートで固められた銃眼から銃口が覗いて見える。
先程と同じような陣形で、私のみが敵の監視に着いた。敵装備と人数を数えて地図に記載する。
遠巻きにしばらく監視を続けると、彼らに動きがあった。何かに警戒するような動きだ。
雪兎の二脚を組み上げ、射撃の準備に移る。ゆっくり静かに伏せ撃ちの姿勢を取った。肘の骨が大地と一体化する。
その時、将校らしき男が視界に現れた。佩刀しており、しきりに何かを兵隊に話しかけている。こいつが指揮官か。ジェスチャーでウナを呼ぶ。
「撃つのか?」
「撃つ、今殺す。耳を塞いでいろ、命中したかを報告してくれ」
そう言って呼吸を整える。
「ふぅー……」
すっと、蜘蛛の糸が銃口から伸びた。それはきらりと日の光を受けて敵将校の胸に走った。あの線だ、実感としてわかる。
これが雪兎の弾道の通る道筋。
無心で引き金を落とす。
大きな衝撃と爆音!視界が一瞬白く消えた。同時にウナの声が命中を告げる。
標的も確認せずに、間髪入れずボルトを操作して、廃莢。次弾を装填した。
再び雪兎を構えると、先程の将校が半分に割れていた。表現が難しいが、その字のままだ。
真っ赤な塊になったそれを無視して銃口を滑らせる。次に狙うのは敵機関銃のそれ自体だ。銃眼の奥に見えるその機関部に狙いを定める。
再び発砲。
銃眼の奥で、ちかりと火花のようなものが見えた。「命中!銃が吹き飛んだ」遅れてウナの報告。
「よし引き上げるぞ」
灼熱の銃身に触れないように雪兎を引き戻すと、二脚を折り畳んだ。二発撃って二十秒はかかっていない、刹那の早業である。
「こっちだ、誰もいない」
姿勢は低く保ったまま、後ろの吾妻の方へ撤収した。
……
※遭難などで救助ヘリに合図を送る場合、左手の手のひらを相手に向けて、その手のひらに向けて光を当てましょう。照準器の代わりになり指の間から正確に光を送ることができます。また、明滅させる事で人為的な光である事を知らせる事ができます。
あくまで緊急時に限り、絶対に無用な時にヘリコプターに向かって光を向けないで下さい。
日の無い時間帯には凍えるものの日中は少しずつ暖かさを感じるようになってくる頃合いである。
真冬の一面雪化粧というのは万人に通ずる美しさがある。それは白の世界が隠(かく)り世(よ)とも思える幻想的な美しさであるからだ。地に足をつかない儚さと言っても良い。
一方で、この雪が溶けかけて泥が混じる今頃はどうか。美しい銀世界が崩された、汚く、見るべきものでは無いと断ずる人もいる。一面、そういう評価もあるだろう。
しかし本当に、雪と泥が混じったこの大地は汚らわしいものであろうか。いや、私はそうは思わない。美しい季節だとすら感じる。
整った白を壊してできたその世界は、新しい生命の誕生を祝う混沌なのだ。雪の切れ目から覗いた泥に新芽などが芽吹いていると、生命力の偉大さを感じずにはいられない。
しかし。
まぁそれはそれとして、だ。
「穂高、この道で良いのか。随分と歩き難いが」
ぼそぼそと、吾妻が小さな声で不平を言う。雪が半ば溶けかけてぬかるんだ地面は、歩きやすいとはとても言えない。わざわざ大きく回り込んで、山の手を歩いているのは遠巻きに敵地を偵察する為である。
ドーランの代わりに泥を塗りたくっているために、よく表情がわからない。
「良い、派手な音を鳴らすなよ。急ぐ必要も無い。ゆっくり気をつけて歩け、自然にな」
「敵地も敵地、ど真ん中だが、普通に歩いて大丈夫か」
「今は大丈夫だ」
生き物の目は不自然な動きに注目する性質がある。素早い動きや、強い視線など。自然の中に混ざった不自然には本能が危険を知らせるのだ。
漫画のように、物陰から物陰へ素早く飛び歩くなど以ての外である。寝ている猫だって喜んで飛んでくるだろう。
「おい、タカ」
静かに、それでいて緊張感を感じさせる声でウナが言った。私の合図で全員がかがんで藪に隠れる。ウナが見る方向に目を向けた。
「いるな、一人二人……三人か。吾妻、遠眼鏡は出すなよ」
「あ、ああ。ここから見えるのか?」
遠眼鏡を出そうとしていた吾妻を制する。光は非常に遠くまで届く、小さな鏡であっても地平線の先(約五キロ)まで余裕である。※鏡を使ってヘリコプターを誘導することもできるくらいだ。
遠眼鏡のレンズに光が反射して発見される、と言うのは十分あり得る話である。
「ああ見えるよ」
「タカ撃つのか?」
「いや、撃たない。追跡する」
懐から地図を取り出す。
中将から与えられたこれは地図とは名ばかりの代物で、抜けがあるどころか所々間違っている。それに書き込みを加えていく。
兵を殺すのが任務ではない、彼らがどこへ帰り、そこに何があるのか。その情報を持ち帰る事が重要なのだ。
改めて敵を見る。
小銃は装備しているが、帯刀も無い。装備を見る限り、一般の兵卒だろう。何か話しながら、だらだら歩いている。こちらに気がついている様子はない。ルシヤの斥候だろうか?だとすればお粗末な事だが。
「行くぞ」
見つからぬように、慎重に距離を詰める事にした。
……
「なるほどな」
見回りだったのだろうか、彼らが戻った先は土嚢を積んだ小さな陣地であった。欺瞞効果を期待してか雪や泥を塗り込んでいるが、兵隊がこれではそう意味はない。彼らに気がつかれた様子はなく、機関銃に手をかけて遊んですらいる。
「ウナ、吾妻。辺りを警戒しろ、頭は出すなよ」
「機関銃がある、撃つのか?」
「いや、まだだ」
まだ撃たない。
地図に敵陣地の位置と人員と装備を書き込む。
彼らの様子がいかにも油断している。ならば補給だとか交代だとか、そういった連絡があるはずだ。泳がせておけば、まだまだ情報は芋づる式に出てくるだろう。
ウナと吾妻に考えを伝える。吾妻は黙って頷き、ウナもそれに従った。戦争は情報だ、目の前の敵を叩けば良いと言うものではない。
姿勢は低く、藪に紛れて待つ。
しばらく時が過ぎた。
途中握り飯を片手に食いつつも、視線は外さずに監視を続けた。ぐっしょりと湿った空気と泥が、確実に体温と集中力を奪っていく。
彼我の視線が通る場所にいるのは私だけだ、ウナと吾妻は少し引いた場所で私の周囲に目を光らせている。監視しているつもりが、逆に狙われていたと言うのも考えられるからだ。
そうこうしていると敵に動きがあった。
数人の兵卒が徒歩(かち)で現れて、陣地の者に何かを受け渡したのだ。表情まで読み取るのは難しいが、おそらく飯でも持って来たのではないだろうか。
静かに手で合図を送って、吾妻とウナを呼んだ。中腰の姿勢で集結する。
「何者かが陣地の者に接触した。すぐに動き出すようだ、次はやつらを追跡するぞ」
「何者だ?」
「分からん。何かを受け渡したようだが、飯かもしれん。そうであれば他にも回るはずだ。それを追う」
「タカこっちから追いかけた方が良い。足跡が残らないし風下だ」
顔がぶつかる程の距離で、必要な事だけを伝達し合う。短い会議を終えた後、移動する兵を追いかける。
彼らはいくらかの小規模な陣地を転々した後、本丸に到着した。他のものより大規模な収容力を持つ機関銃壕だ。コンクリートで固められた銃眼から銃口が覗いて見える。
先程と同じような陣形で、私のみが敵の監視に着いた。敵装備と人数を数えて地図に記載する。
遠巻きにしばらく監視を続けると、彼らに動きがあった。何かに警戒するような動きだ。
雪兎の二脚を組み上げ、射撃の準備に移る。ゆっくり静かに伏せ撃ちの姿勢を取った。肘の骨が大地と一体化する。
その時、将校らしき男が視界に現れた。佩刀しており、しきりに何かを兵隊に話しかけている。こいつが指揮官か。ジェスチャーでウナを呼ぶ。
「撃つのか?」
「撃つ、今殺す。耳を塞いでいろ、命中したかを報告してくれ」
そう言って呼吸を整える。
「ふぅー……」
すっと、蜘蛛の糸が銃口から伸びた。それはきらりと日の光を受けて敵将校の胸に走った。あの線だ、実感としてわかる。
これが雪兎の弾道の通る道筋。
無心で引き金を落とす。
大きな衝撃と爆音!視界が一瞬白く消えた。同時にウナの声が命中を告げる。
標的も確認せずに、間髪入れずボルトを操作して、廃莢。次弾を装填した。
再び雪兎を構えると、先程の将校が半分に割れていた。表現が難しいが、その字のままだ。
真っ赤な塊になったそれを無視して銃口を滑らせる。次に狙うのは敵機関銃のそれ自体だ。銃眼の奥に見えるその機関部に狙いを定める。
再び発砲。
銃眼の奥で、ちかりと火花のようなものが見えた。「命中!銃が吹き飛んだ」遅れてウナの報告。
「よし引き上げるぞ」
灼熱の銃身に触れないように雪兎を引き戻すと、二脚を折り畳んだ。二発撃って二十秒はかかっていない、刹那の早業である。
「こっちだ、誰もいない」
姿勢は低く保ったまま、後ろの吾妻の方へ撤収した。
……
※遭難などで救助ヘリに合図を送る場合、左手の手のひらを相手に向けて、その手のひらに向けて光を当てましょう。照準器の代わりになり指の間から正確に光を送ることができます。また、明滅させる事で人為的な光である事を知らせる事ができます。
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