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第82話.進撃ト反撃

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これを破竹の勢いと呼ばずして、何をそう呼べるのか。敵地を一個乗り越えた我らが明而陸軍は快進撃を続けた。
物も武器も、人も。ありとあらゆる可能な限りの資源を使って北へ北へと進軍していった。我々が指揮をとる師団司令部も、その後を追って血で作られた赤絨毯を歩いて北上した。
日本の攻勢に恐れをなしたのか、ルシヤ兵らは後退を続け、大規模な塹壕はもはや低地に立て籠もる一つを残すばかりである。
そして、残されたそれにすら一斉攻撃が行われようとした時、一つの連絡が司令部に届いた。

「敵塹壕を占拠した兵が負傷した?どういう事だ」

士官の報告に、浅間中将が片方の眉をすくと上げて聞き返した。

「制圧した塹壕内から突如雲が現れて、それにまかれた兵らが次々と倒れたという事であります」

勝利の波に乗っていたところに湧いた不可解な話に、どう返事をして良いものかと皆が黙って報告を聞いた。

「現地の視界は極めて悪く、状況が掴めておりません。兵らは混乱を極めて、現地判断で撤退した部隊もでております。炎も上がっておらぬのに全身に火傷のような痕が残っている者もあると」

雲……化学兵器か?
頭をよぎったのは、第一次大戦で猛威を振るった毒ガス兵器だ。

「中将閣下!ルシヤはなんらかの毒ガスを使った可能性があります」
「毒ガスだと?」
「状況を聞くに、その可能性が高い。急いで兵らを後退させて、そして出来るだけ高台に引き上げて下さい。全滅の恐れもある」

ルシヤはなんでもやるのか。毒ガスなどと、人が死ぬどころか住めなくなる!なにもかもが侵されて、土地がどうなろうと知らぬというのか。戦争の後の事を、何も考えてはいないのか!?

「土地には人が暮らしているんだろうが……!山も森も、使えなくしてどうするのか」

毒ガス、一般に化学兵器と呼ばれるものは核兵器と同じく、大量破壊兵器という括りに属する。それは文字通り人間を一度に大量に殺傷する事が可能な兵器である。極めて強力な兵器であるが、その特性上扱いが難しく前世では条約で禁止されている。
一度散布されれば、広範囲の人間を無差別に殺傷する。更に致命傷を逃れたとしても後遺症が残る事が多く、長期に渡って曝露したものを苦しめる。

「大規模に化学兵器が使われたのは第一次大戦であったと記憶している。歴史がもつれているのが原因か……それとも識者(しきしゃ)の入れ知恵か」

口の中で小さく独り言を言った。
後者だとすれば、毒ガスが何をもたらすかは承知のはず。
蛮族(ゆうしょくじんしゅ)が住みついている島など、どうなったところで知らぬということか、余計に腹がたつ。

「だれか連絡は取れるのか?詳しく状況を知りたい。被害を受けたものと話はできるか」

報告の士官に問うた。
彼は中将の顔を伺い、閣下が頷くと口を開いた。

「可能です。帰還している部隊があります」
「繋いでくれ」


……


「……こちら第二大隊第三中隊第一小隊の鶴見伍長です」
「穂高少尉だ鶴見伍長。雲にまかれたそうだな、君の身体状況を知りたい」

かすれた声の男が出た。すぐに本題を振る。

「ゴホ。突如現れた雲によって視界悪く、すぐ隣におった兵も見えませんでした。小隊長の引き上げの命令が届いた者から後退しましたが、歩けぬ者もおり……ゴホ」

声が聞き取りにくいのは音質のせいか、喉をやられているからか。

「咳が出るのか?痛みはどうだ」
「ゴホ。目が痛み、涙が出てとまらんです。咳も出ます。身体じゅうが熱く、自分自身どうなってしまったか分からんのです」

神経毒ではなさそうだが、毒ガスには間違いなさそうだ。種類はなんだ、マスタードガスか、塩素ガスか。なんにせよ厄介なものに違いはない。

「雲に包まれた時に匂いはしたか?」

私のその問いに、彼は一瞬の間を開けて答えた。

「分からんです、悪臭がしたようにも思いますが、混乱しておって。申し訳ございません」
「そうか、ありがとう鶴見伍長。君のおかげで原因がわかった、皆じきに回復に向かうだろう。大丈夫だ、しばらく休んでくれ」
「ゴホ、了解しました」

通信を終えて、目を閉じて一つ息を吐いた。
中将に向き直って言った。

「やはり毒ガス攻撃の可能性が高い。彼らの衣類にまだ毒が付着している恐れがあります。収容した兵らは服を脱がせてから毛布か何かを与えてやって下さい」

もし液化した毒が衣類に付着したままであれば、治療に当たる者へ二次災害を起こすことは容易に想像できる。
首の動きだけで返事を返してくれた後、浅間中将は言った。

「穂高少尉」
「はい」
「君が兵の状況を直接見て来てくれ、いつ攻撃を再開できるのか知りたい。私も行きたいが、腹の傷と医者がそれを許してくれんからな」

命令が下った。

「馬を使え。急ぎで頼むぞ」
「了解しました」

乗馬は学校以来だな、うまく乗りこなせれば良いが。
そんな事を考えていると、また他の士官が血相を変えて飛び込んできた。

「浅間中将閣下!」
「どうしたこの緊急時に。慌てすぎだ」
「失礼しました!阿蘇(あそう)大将閣下より緊急の連絡です」
「……わかった、聞こう」

彼は中将の近くに歩みより、他の者に聞こえぬように耳元で報告をした。

「海軍の封鎖作戦が失敗した!?」

せっかく他の者へ聞こえないように取り計らったようだが、中将が大声で復唱したため、それは意味をなさなかった。
中将は我々に向き直って言った。

「皆聞け、海軍の港封鎖作戦が失敗した。明而海軍は打撃を受け、敵艦隊を見失ったということだ」

静まった部屋に、パチリとストーブの薪が爆ぜる音だけが響いた。同時に将校らが口々に言葉を発する。

「馬鹿な!何をしているのか!」
「偉そうに我々(りくぐん)に攻めよとけしかけておいてこれか!」
「ああも戦費を食いつぶしてこのざまとは」

海軍に対して、何だかんだと恨み言が続いた。
すっと中将の右手のひらが上がる。ののしりの言葉は止み、中将の次の言葉に皆が注目する。

「雑居地にルシヤの増援が投入されるだろう。とにかく、穂高少尉は前線と兵の様子を視察してくれ、いつ攻撃を再開できるのか知りたい。セヴェスクと港を射程に収める高地を占拠できれば、敵の艦隊が来ようと仔細ない」

敵の増援が到着して体制が整う前に押し込んでしまう。セヴェスクを囲むように砲兵隊の布陣が整えば増援が来ようと後の祭りだ、どうとでもなる。そういう算段だ。
逆に言えば我々の攻撃が間に合わず、ルシヤ軍が万全の状態になれば勝機はない。
本当に上手くいくのか。
思うことはいくつもある。しかし、今はやれる事を全力でやるしかない。

「了解しました。すぐに前線の現場視察に参ります」

私は、そう言って司令部を出た。
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