63 / 135
第63話.兆シ
しおりを挟む
『投降しろ』
ルシヤ兵は再びそう言ったあと、目を閉じた。
「何……?」
「どうした穂高。訳せ」
ふぅ、と呼吸を忘れていた肺に一つ酸素を入れてから口を開いた。
「はい。投降しろと。仲間は全滅で、私たちが最後であると言っております」
「馬鹿な。まやかしだ」
「私もそう思います」
そしてコイツは馬鹿だ。我々がそう言われてハイそうですか、と投降するわけがない。
日本兵は抑圧や脅迫には毅然として対処する。目に見えぬ面目というのを重要視する、誇りと言っても良い。
「仲間はみんな死んだから降伏しろ、お前の命だけは助けてやる」そう言われて手をあげるものがいるだろうか。こう言い返すだろう「死ぬまで戦う」と。
日本人というのは名誉を傷つけられたり、恥をかくということには人一番敏感な人種なのだ。
持ちかけるならば、「仲間はみんな降参したから、お前も降参しろ」だろうか。右にならえは得意だからな。
気がつけばもう銃声は止んでいる。周囲を囲まれてはいるようだが、積極的に攻撃しようとする意思はなくなったらしい。
鬼の居ぬ間にと負傷のない兵に、残った弾薬と装備の確認をさせた。
捕虜の男は、だんまりを決めている。分かったのはイワンという名前だけだ。軍装から将校であるという事は推察できるが、それ以外は何も語らなかった。
「ルシヤは完全に動きが止まったようだな」
「はい」
天城小隊長の言葉に返答する。辺りは先程までの戦闘が嘘のように、静かだ。
「どうしたものか」
「どうとでもしたいが、こちらからできる事は無いように思います」
彼は銃剣を鞘に戻しながら応えた。
「そうだな」
「ルシヤが囲んでくれておるという事は、敵をひきつける目的は達していますから。あとはこのまま時間を稼ぐのみですね」
「うん。聯隊(れんたい)から応援がくれば、彼奴等など一掃してくれよう」
「はい」
負傷した兵の手当てをして、損害を確認する。実に半数が、銃創や切創を負っていた。
あるもので応急処置は行ったが、このまま放置するのは良くないだろう。設備のある場所で適切な処置を施さねば、命に関わる可能性もある。
敵の攻撃も心配である。ルシヤの動向には注意を払っているが、あれから何の動きもない。
そうこうしているうちに空はあかねに、気がつけば腹も減ってきた。
戦闘中であると言っても、ずっと気を張っているわけでもなし。糸が張る時があれば緩む時もある。
「監視を続けたまま、交代で食事を取る」という天城小隊長の指示で、各自食事を取った。
誰もが満足のいく食事が取れるわけではない。火を使わずに食べられるものを、いくらか口に詰めた、という具合である。
やけに喉が乾くが、飲用水の残量が気にかかる為に節約しながら消費する。
そして日は沈み。
結局あれから、ルシヤの第二回となる攻撃はなく、警戒を続けたまま翌日を迎える事となった。
長い夜と、待ち焦がれた日の出。
ズズッと誰かが鼻をすする音が聞こえる。
四月五月でも朝、夜は冷える。
皆外套をまとって小さくなって堪(こら)えたが、どうにも良くない。体温が下がり、震えているものもいる。
「凍えて引き金を引けぬという事のないように。手を擦り合わせて、足は動かしておけよ」
そう言いながら、兵の顔色などを見て回る。
「水……水を」
声をかけてきたのは九重一等卒である。かすれた声のその主に、水を分けてやる。
「大丈夫か」
「……はい」
あまり具合は良くないようだ。肩に銃弾を受けた出血もあり、また青い唇も乾燥してひび割れている。
「ありがとう、ございます」
「ああ、気にするな。大丈夫。今は少し休め、また出番が来るからな」
彼の水筒を返してきたその手は、細かく震えていた。
「はい」
この境遇に不平を口に出すものはいない。
小隊長は、苦い顔で眉の上を指で押さえた。
ルシヤ兵は再びそう言ったあと、目を閉じた。
「何……?」
「どうした穂高。訳せ」
ふぅ、と呼吸を忘れていた肺に一つ酸素を入れてから口を開いた。
「はい。投降しろと。仲間は全滅で、私たちが最後であると言っております」
「馬鹿な。まやかしだ」
「私もそう思います」
そしてコイツは馬鹿だ。我々がそう言われてハイそうですか、と投降するわけがない。
日本兵は抑圧や脅迫には毅然として対処する。目に見えぬ面目というのを重要視する、誇りと言っても良い。
「仲間はみんな死んだから降伏しろ、お前の命だけは助けてやる」そう言われて手をあげるものがいるだろうか。こう言い返すだろう「死ぬまで戦う」と。
日本人というのは名誉を傷つけられたり、恥をかくということには人一番敏感な人種なのだ。
持ちかけるならば、「仲間はみんな降参したから、お前も降参しろ」だろうか。右にならえは得意だからな。
気がつけばもう銃声は止んでいる。周囲を囲まれてはいるようだが、積極的に攻撃しようとする意思はなくなったらしい。
鬼の居ぬ間にと負傷のない兵に、残った弾薬と装備の確認をさせた。
捕虜の男は、だんまりを決めている。分かったのはイワンという名前だけだ。軍装から将校であるという事は推察できるが、それ以外は何も語らなかった。
「ルシヤは完全に動きが止まったようだな」
「はい」
天城小隊長の言葉に返答する。辺りは先程までの戦闘が嘘のように、静かだ。
「どうしたものか」
「どうとでもしたいが、こちらからできる事は無いように思います」
彼は銃剣を鞘に戻しながら応えた。
「そうだな」
「ルシヤが囲んでくれておるという事は、敵をひきつける目的は達していますから。あとはこのまま時間を稼ぐのみですね」
「うん。聯隊(れんたい)から応援がくれば、彼奴等など一掃してくれよう」
「はい」
負傷した兵の手当てをして、損害を確認する。実に半数が、銃創や切創を負っていた。
あるもので応急処置は行ったが、このまま放置するのは良くないだろう。設備のある場所で適切な処置を施さねば、命に関わる可能性もある。
敵の攻撃も心配である。ルシヤの動向には注意を払っているが、あれから何の動きもない。
そうこうしているうちに空はあかねに、気がつけば腹も減ってきた。
戦闘中であると言っても、ずっと気を張っているわけでもなし。糸が張る時があれば緩む時もある。
「監視を続けたまま、交代で食事を取る」という天城小隊長の指示で、各自食事を取った。
誰もが満足のいく食事が取れるわけではない。火を使わずに食べられるものを、いくらか口に詰めた、という具合である。
やけに喉が乾くが、飲用水の残量が気にかかる為に節約しながら消費する。
そして日は沈み。
結局あれから、ルシヤの第二回となる攻撃はなく、警戒を続けたまま翌日を迎える事となった。
長い夜と、待ち焦がれた日の出。
ズズッと誰かが鼻をすする音が聞こえる。
四月五月でも朝、夜は冷える。
皆外套をまとって小さくなって堪(こら)えたが、どうにも良くない。体温が下がり、震えているものもいる。
「凍えて引き金を引けぬという事のないように。手を擦り合わせて、足は動かしておけよ」
そう言いながら、兵の顔色などを見て回る。
「水……水を」
声をかけてきたのは九重一等卒である。かすれた声のその主に、水を分けてやる。
「大丈夫か」
「……はい」
あまり具合は良くないようだ。肩に銃弾を受けた出血もあり、また青い唇も乾燥してひび割れている。
「ありがとう、ございます」
「ああ、気にするな。大丈夫。今は少し休め、また出番が来るからな」
彼の水筒を返してきたその手は、細かく震えていた。
「はい」
この境遇に不平を口に出すものはいない。
小隊長は、苦い顔で眉の上を指で押さえた。
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる