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第63話.兆シ

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『投降しろ』

ルシヤ兵は再びそう言ったあと、目を閉じた。

「何……?」
「どうした穂高。訳せ」

ふぅ、と呼吸を忘れていた肺に一つ酸素を入れてから口を開いた。

「はい。投降しろと。仲間は全滅で、私たちが最後であると言っております」
「馬鹿な。まやかしだ」
「私もそう思います」

そしてコイツは馬鹿だ。我々がそう言われてハイそうですか、と投降するわけがない。
日本兵は抑圧や脅迫には毅然として対処する。目に見えぬ面目というのを重要視する、誇りと言っても良い。

「仲間はみんな死んだから降伏しろ、お前の命だけは助けてやる」そう言われて手をあげるものがいるだろうか。こう言い返すだろう「死ぬまで戦う」と。
日本人というのは名誉を傷つけられたり、恥をかくということには人一番敏感な人種なのだ。
持ちかけるならば、「仲間はみんな降参したから、お前も降参しろ」だろうか。右にならえは得意だからな。

気がつけばもう銃声は止んでいる。周囲を囲まれてはいるようだが、積極的に攻撃しようとする意思はなくなったらしい。
鬼の居ぬ間にと負傷のない兵に、残った弾薬と装備の確認をさせた。

捕虜の男は、だんまりを決めている。分かったのはイワンという名前だけだ。軍装から将校であるという事は推察できるが、それ以外は何も語らなかった。

「ルシヤは完全に動きが止まったようだな」
「はい」

天城小隊長の言葉に返答する。辺りは先程までの戦闘が嘘のように、静かだ。

「どうしたものか」
「どうとでもしたいが、こちらからできる事は無いように思います」

彼は銃剣を鞘に戻しながら応えた。

「そうだな」
「ルシヤが囲んでくれておるという事は、敵をひきつける目的は達していますから。あとはこのまま時間を稼ぐのみですね」
「うん。聯隊(れんたい)から応援がくれば、彼奴等など一掃してくれよう」
「はい」

負傷した兵の手当てをして、損害を確認する。実に半数が、銃創や切創を負っていた。
あるもので応急処置は行ったが、このまま放置するのは良くないだろう。設備のある場所で適切な処置を施さねば、命に関わる可能性もある。
敵の攻撃も心配である。ルシヤの動向には注意を払っているが、あれから何の動きもない。

そうこうしているうちに空はあかねに、気がつけば腹も減ってきた。
戦闘中であると言っても、ずっと気を張っているわけでもなし。糸が張る時があれば緩む時もある。
「監視を続けたまま、交代で食事を取る」という天城小隊長の指示で、各自食事を取った。

誰もが満足のいく食事が取れるわけではない。火を使わずに食べられるものを、いくらか口に詰めた、という具合である。
やけに喉が乾くが、飲用水の残量が気にかかる為に節約しながら消費する。

そして日は沈み。

結局あれから、ルシヤの第二回となる攻撃はなく、警戒を続けたまま翌日を迎える事となった。

長い夜と、待ち焦がれた日の出。
ズズッと誰かが鼻をすする音が聞こえる。
四月五月でも朝、夜は冷える。
皆外套をまとって小さくなって堪(こら)えたが、どうにも良くない。体温が下がり、震えているものもいる。

「凍えて引き金を引けぬという事のないように。手を擦り合わせて、足は動かしておけよ」

そう言いながら、兵の顔色などを見て回る。

「水……水を」

声をかけてきたのは九重一等卒である。かすれた声のその主に、水を分けてやる。

「大丈夫か」
「……はい」

あまり具合は良くないようだ。肩に銃弾を受けた出血もあり、また青い唇も乾燥してひび割れている。

「ありがとう、ございます」
「ああ、気にするな。大丈夫。今は少し休め、また出番が来るからな」

彼の水筒を返してきたその手は、細かく震えていた。

「はい」

この境遇に不平を口に出すものはいない。
小隊長は、苦い顔で眉の上を指で押さえた。
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