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第15話.戸長役場

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役場での生活は充実したものだ。
月給は六円。多くはないが、住み込みであるために食うには困らなかった。

昼は書類仕事に、雑用。
雪が積もれば雪をかき、田畑に獣が出れば鉄砲を撃った。

そしてとかく仕事の合間に勉強をした。
明而の北部雑居地(ほっかいどう)について、諸国との日本国の関係性について。夏は蛍の光で、冬は窓の雪だ。

役場にある本はどうにも英語や露語での書籍が多いものであるから、何を学ぶも日本語でできた前世日本と違って勉強するのも一苦労だ。手間はかかるが手書きで日本語訳の写本を作って読みこんだ。
英語はまだ良いが、露語は難儀した。生前の防衛大学校時代にロシアをテーマに卒論を書いた経験が無ければ、断念していたかも知れない。

この時代、進んだ文化はみな西洋から来るという信仰があり、それは一部に限定すれば半ば事実でもあった。訳本は戸長の目にも留まり驚かれたが、勉強したと言うと素直に納得した。

さて、そうして調べられた明而(めいじ)と明治(めいじ)の差異というのはこのように理解した。

大きな事実は、「日清戦争」が起こらなかった事。それによって、極東のパワーバランスは史実と大きく違う。
そして朝鮮半島、満州は清の影響下にあり、清国は巨大国家として西洋諸国から、一定の評価を受けている。

日本は清国とは友好的な関係にあるものの、列強からの評価は、極東の小国止まりであると言える。

一方、強国ルシヤ帝国(前世ロシア)は勢力を強め南下政策を取っている。現在、北部雑居地はルシヤとの国境を定めておらず、日露両国間で北部雑居地に兵を置くなどの占有行為を禁じる条約を結んでいる。

これは危うい。

この状況下。
不凍港を求めてか、太平洋に影響力を強めようとしてか。ルシヤ帝国が、いつ条約を破り日本を占領せしめようとしてもおかしくはない。
国力増強が急務であるのは当然として、国際関係を上手く乗り切っていかねば、日本国自体が地図から消える可能性すらあるだろう。
学べば学ぶほど危機感は募り、地方の役場で働く我が身がもどかしくなった。

そんな生活を続けて季節は巡り、二回目の春の事。


……


「タカ、休憩にしよう」
「はい」

雪倉戸長が珈琲(コーヒー)を進めてくれた。
この時代ではまだ珍しいのだが彼の趣味で良く取り寄せていた。

砂糖をさじに一杯。
溜まった書類を脇に退かしただけの机で、戸長とコーヒーブレイクだ。風情も何もあったものじゃないが、疲れた体に糖分はありがたい。

「それはそうと、タカは政治に興味があるのかね」

タカ、タカと呼ばれるのはいつからだったかな。いつの間にか私を指す愛称として定着してしまった。

「政治……わしは政治に興味があるんでしょうか。この国をなんとかしたい、そういう気持ちはあります」
「そうかね。いや、そうでなければ」

真っ黒な珈琲(コーヒー)を口元に運ぶ。
少し酸味が気になるが、十分美味い。美味いのだが、この辺りでこのようなものを好むのは私と戸長だけである。

「実はな。北部雑居地に官費で通える学校が出来る」
「それは」

それは願ってもない話だ。
すでにこの役場や、雪倉戸長の所持している本は全て読破してしまった。これ以上の知識を得ようと思えば、学校に通う必要があるだろう。
良家の子弟であれば苦もないが、私のような人間には授業料と生活費を払って学校に通うと言うのは厳しい。

「北部方面総合学校(ほくぶほうめんそうごうがっこう)と言うが。内情は陸軍の学校施設らしい」
「陸軍?北部雑居地(このちいき)にですか」

この地域はルシヤ帝国との条約があるので兵を置く事は勿論、軍事施設は建設できない筈である。

「そうだ。有事の際には軍の施設となり、その際に学生は陸軍の指揮に入る。だから学費については官費で賄われるのだよ」

一口、珈琲(コーヒー)を飲んで続ける。

「まぁそういう経緯であるから、誰彼ともなく入学できるというわけではない。政府の息のかかった人間から推薦を受けた者を集めているのだな」

私のような……と続けて、椅子に深く座り直した。つまり表立っては総合学校と呼称してあるが、内実は士官学校とでも言えるものだろう。

「ルシヤとの関係は良くないのですか」
「表面上は悪くはないよ。しかし万事問題無くとも言えんよな」
「そうですか……」
「タカ、この国で身を立てようと思えば軍に所属するというのは、大きな一つの道だ」
「……」

しばしの沈黙。
そう言った考えはなかったが、そうか。

「私は、君がこんな田舎で骨を埋める人間ではないと、そう思うがね。行きたまえよ、君はそう言う人間だ」

少し考えてから、私は頷いた。

「戸長、是非推薦状をお願いします」

雪倉戸長は、メガネの下の目を細く歪ませて言った。

「そうするのが良いだろう」

そして北部方面総合学校への推薦が決まった。
それは私が陸軍へ入隊する事が決定した瞬間でもあった。
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