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第11話.包囲網
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一歩役場を飛び出して驚いた。舞い上がった雪の白で、一寸先も見えぬほどの状況だったのだ。
地形の起伏が目視できない。地面と空の境界がわからないと言えば良いのだろうか。下手に屋敷から離れると、目と鼻の先ですら遭難する可能性すらある。
そんな有様であるから手早く打ち合わせして、玄関より役場の外壁を左右に別れて一周する事にした。
私と爺様は、左手を壁に付けながらぐるりと反時計回りに屋敷の周りを歩く。昨晩討ち損ねた事を思い出し、無意識に手に力が入る。
「どこだ……今度こそは」
「力いるるとけってまね」
爺様の静かな言葉に、はっとして頷いた。冷静にならなければ。命を取ろうと言うのだ、下手を打てば死ぬのは私かもしれない。焦る気持ちを抑えつつ、小銃の照準を視線と合わせて慎重に歩を進める。まつ毛も凍る向かい風の中、前方で何かが動くのが見えた。
「動くな!」
声を張り上げて静止を促す。銃口をぴたりとその方向へ向けた。
「待て、撃つな池口だ!」
返答が返ってくる。どうやら逆方向から建物を周っていた巡査達と出会ったらしい。
「巡査!?……と言うことは、ヒグマは逃げたのでしょうか」
「うむ。そうらしい、窓際に引っ掻き傷が残されていたがそれだけだ。姿は既に無かった」
銃を肩に掛け直す。
巡査の言う窓を見ると、その近くの壁面に大きな爪痕が残されており黒い毛が散らばっている。ヒグマの物だろう、姿を見る事ができなかったが、確実にここに居たのだ。
私達が動くと見るや立ち去ったのだろう、随分と慎重な事だ。歯の奥がぎちりと音を立てた。
「ひとまず屋内へ戻りましょう」
雪倉戸長が言った。この雪ではヒグマを追う事もできまい。全員が同意し室内へ戻る。
また、あいつが来た時いち早く発見するために、窓際と玄関には見張りを置く事になった。
……
あれからいくらかの時が経った。天候はいまだ回復せず、ヒグマは以降も何度か襲来した。毎回壁を叩き、引っ掻き傷を付けるのみで立ち去っている。
直接危害を加えられた者は居ないが、避難している村民は恐怖から外に出る事も、眠る事も出来ずに憔悴しきっている。
これがあいつの意図するところなのであれば、効果は絶大だ。かく言う私自身もいつまで冷静さを保って居られるか……。
ガリガリガリガリッ……!
姿は見えないが、またあの音が響いた。子供の泣き声が聞こえる。飛び出して付近を捜索するも、すでにヒグマの影は無い。落胆して屋内に戻ると、一人の村民が尋ねた。
「あのクマは、クマは何が目的なんでしょうか。こんな執拗に……」
池口巡査は私達の方を向いて意見を求める。
「うむ、そうだな。マタギらはどう見る?」
「はい。ヒグマは自分の所有物、つまり獲物に異常なまでの執着心を持ちます。それで今回これだけ執拗に襲撃を加えて来ている、と考えますが」
「んだな」
「獲物とは、我々の事か?」
「それもありますが今回の場合、雪に埋められていた少年を掘り起こして救助しました。あいつはあの子を既に自分の所有物(もの)であると理解しておるのかも知れません」
「なるほど、そして取り返そうと?」
「可能性はあります」
むしろに寝かされている男の子を見る。怪我をしたものの、一命を取りとめた運の良い子だ。
今は寝ているが、先ほどは意識もはっきりしていた。あの地獄の中、本当に良く生還してくれたものだ。
話を聞いていた背中の曲がった年寄りの男が、恐る恐る口を開いた。
「その子は、狐太郎はもう身寄りが無いんだ。もしあのクマがそれで堪忍してくれるなら……」
「それ以上言っちゃなんね」
言い終わるのを待たずに爺様が止める。
しかし「それで堪忍してくれる」とは。必死で生き残った子を、再び生贄にせよと言うか!
私は、目を覚ますことなく静かに寝ている少年を見ながら言った。
「あれは、あのヒグマは神様じゃあない、人を食う悪い獣だ。堪忍などといった概念はありません。一つ食えば二つ、二つ食えば三つ。際限なく人を襲うでしょう」
「しかし……どうすんだ。飯も満足に無い、眠る事もままならない。このままじゃ皆死んじまうよ」
「雪が弱まるのを待ちましょう。そうなれば応援も呼べるし、追跡して仕留める事もできる」
「雪が……って、あんた。これが三日も続くかも知れんよ。そうなったらどうしてくれるんだ。かつえ死にだよ皆!」
老人の語気が荒くなったところで、「落ち着いて」と雪倉戸長が割って入った。
「いつまでもこんな天気と言う事は無い、今は耐えましょう。それにマタギ殿や警察の皆さんに当たっても仕方ない、彼等はよくやってくれていますから」
「……そうか。そんだよな、悪かった」
「憎むべきはヒグマよ。今は耐え難きを忍ぶ他ない」
池口巡査が窓の外を見ながらそう言った。
地形の起伏が目視できない。地面と空の境界がわからないと言えば良いのだろうか。下手に屋敷から離れると、目と鼻の先ですら遭難する可能性すらある。
そんな有様であるから手早く打ち合わせして、玄関より役場の外壁を左右に別れて一周する事にした。
私と爺様は、左手を壁に付けながらぐるりと反時計回りに屋敷の周りを歩く。昨晩討ち損ねた事を思い出し、無意識に手に力が入る。
「どこだ……今度こそは」
「力いるるとけってまね」
爺様の静かな言葉に、はっとして頷いた。冷静にならなければ。命を取ろうと言うのだ、下手を打てば死ぬのは私かもしれない。焦る気持ちを抑えつつ、小銃の照準を視線と合わせて慎重に歩を進める。まつ毛も凍る向かい風の中、前方で何かが動くのが見えた。
「動くな!」
声を張り上げて静止を促す。銃口をぴたりとその方向へ向けた。
「待て、撃つな池口だ!」
返答が返ってくる。どうやら逆方向から建物を周っていた巡査達と出会ったらしい。
「巡査!?……と言うことは、ヒグマは逃げたのでしょうか」
「うむ。そうらしい、窓際に引っ掻き傷が残されていたがそれだけだ。姿は既に無かった」
銃を肩に掛け直す。
巡査の言う窓を見ると、その近くの壁面に大きな爪痕が残されており黒い毛が散らばっている。ヒグマの物だろう、姿を見る事ができなかったが、確実にここに居たのだ。
私達が動くと見るや立ち去ったのだろう、随分と慎重な事だ。歯の奥がぎちりと音を立てた。
「ひとまず屋内へ戻りましょう」
雪倉戸長が言った。この雪ではヒグマを追う事もできまい。全員が同意し室内へ戻る。
また、あいつが来た時いち早く発見するために、窓際と玄関には見張りを置く事になった。
……
あれからいくらかの時が経った。天候はいまだ回復せず、ヒグマは以降も何度か襲来した。毎回壁を叩き、引っ掻き傷を付けるのみで立ち去っている。
直接危害を加えられた者は居ないが、避難している村民は恐怖から外に出る事も、眠る事も出来ずに憔悴しきっている。
これがあいつの意図するところなのであれば、効果は絶大だ。かく言う私自身もいつまで冷静さを保って居られるか……。
ガリガリガリガリッ……!
姿は見えないが、またあの音が響いた。子供の泣き声が聞こえる。飛び出して付近を捜索するも、すでにヒグマの影は無い。落胆して屋内に戻ると、一人の村民が尋ねた。
「あのクマは、クマは何が目的なんでしょうか。こんな執拗に……」
池口巡査は私達の方を向いて意見を求める。
「うむ、そうだな。マタギらはどう見る?」
「はい。ヒグマは自分の所有物、つまり獲物に異常なまでの執着心を持ちます。それで今回これだけ執拗に襲撃を加えて来ている、と考えますが」
「んだな」
「獲物とは、我々の事か?」
「それもありますが今回の場合、雪に埋められていた少年を掘り起こして救助しました。あいつはあの子を既に自分の所有物(もの)であると理解しておるのかも知れません」
「なるほど、そして取り返そうと?」
「可能性はあります」
むしろに寝かされている男の子を見る。怪我をしたものの、一命を取りとめた運の良い子だ。
今は寝ているが、先ほどは意識もはっきりしていた。あの地獄の中、本当に良く生還してくれたものだ。
話を聞いていた背中の曲がった年寄りの男が、恐る恐る口を開いた。
「その子は、狐太郎はもう身寄りが無いんだ。もしあのクマがそれで堪忍してくれるなら……」
「それ以上言っちゃなんね」
言い終わるのを待たずに爺様が止める。
しかし「それで堪忍してくれる」とは。必死で生き残った子を、再び生贄にせよと言うか!
私は、目を覚ますことなく静かに寝ている少年を見ながら言った。
「あれは、あのヒグマは神様じゃあない、人を食う悪い獣だ。堪忍などといった概念はありません。一つ食えば二つ、二つ食えば三つ。際限なく人を襲うでしょう」
「しかし……どうすんだ。飯も満足に無い、眠る事もままならない。このままじゃ皆死んじまうよ」
「雪が弱まるのを待ちましょう。そうなれば応援も呼べるし、追跡して仕留める事もできる」
「雪が……って、あんた。これが三日も続くかも知れんよ。そうなったらどうしてくれるんだ。かつえ死にだよ皆!」
老人の語気が荒くなったところで、「落ち着いて」と雪倉戸長が割って入った。
「いつまでもこんな天気と言う事は無い、今は耐えましょう。それにマタギ殿や警察の皆さんに当たっても仕方ない、彼等はよくやってくれていますから」
「……そうか。そんだよな、悪かった」
「憎むべきはヒグマよ。今は耐え難きを忍ぶ他ない」
池口巡査が窓の外を見ながらそう言った。
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