4 / 135
第4話.山ト定ト
しおりを挟む
手負いのエゾシカと睨み合う。
奴の創傷はそんなに浅くはない。致命的なダメージを受けてなお、生き延びようとする精神力だけで立っているのであろう。
「ふぅっ、ふぅっ、ふうっ」
心拍数が上がっているのがわかる。槍でとどめを刺そうと、右足に力を込めた。その瞬間エゾシカは頭を下げ、角を構えてこちらに突っ込んできた!
「……っ!」
逃げずに向かって来るとは。槍を保持したまま身を翻(ひるがえ)し、左側に跳んだ。
大きな角を間一髪で回避して、再び奴の方向に向き直る。穂先は真っ直ぐそちらに向けたままだ。
通り過ぎたエゾシカは、その場でステップを踏むようにこちらに向き直ろうとして……姿勢が崩れた!
失血ゆえか、後ろ脚がかくんと折れる。
「うわああああああっ!!」
好機とばかりに大きく踏み込み、その首の付け根に向かって槍を突き立てた。ずるりと皮を裂き肉に食い込む感触が、長い柄を通して手に伝わる。すぐさま刃を引き抜き、二歩下がった。
「はぁっはぁっ……っ!」
どくっどくっと傷口から鮮血が溢れ出す。三秒遅れてエゾシカは横倒しに倒れた。拍動に合わせて命が失われていく、その眼から光が失われ濁った。
私は槍を構えたまま動けず、呆然(ぼうぜん)とそれを見ていた。自分の呼吸音がやけに大きく聞こえる。もう動かないシカの、その顔から目が離せなくなっていた。
「よぐやった」
「あっ……」
いつのまにか爺様達が隣まで来ている。
彼らは倒れた獲物の姿を見て、私の肩を叩いて一つ二つ言葉をかけてくれた。
口を開こうとしたが、しかしすぐには言葉を返せなかった、おおっぴらに喜ぶのも何か違う気がしたからだ。
幸運にも獲物が捕れたが、すぐに解体には移らない。狩が成功した時には、お祈りの言葉を奏上(そうじょう)する決まりがあるのだそうだ。
吉五郎にならって顔を下げて目を閉じる。
ひとしきり爺様が聞き取れない言葉で祈りを捧げてから、戦利品を解体することになった。
「せばいぐか」
爺様の言葉で目を開ける。
再び目に飛び込んできた雪の白は、まばゆいばかりに光り輝いて見えた。
……
作業は沢の近くで行う。
脚に縄をかけ、三人で引っ張って降りた。かなり重量がある、これだけでも重労働だ。
水辺に着くやいなや、爺様が慣れた手つきで、胸に小刀(ナイフ)を入れて骨を剥がしていく。力を込めて斬るというよりは、剥がすという表現が適当であるように思う。切り口からは白い蒸気が立ち上がった。
おもむろに切り取った心臓を手渡される。
寸前まで動いていたそれは、溶けた鉄でも触ったかのような熱量を持っていた。鹿は体温が高いとは言うが、それだけではない命の熱さと言うのを感じたのだ。
すぐにそれを沢の水で洗い流しはじめる。
取り出した心臓や肝臓は大量の血を含んでいる。無造作に雪の上に置いてしまうと、体温で溶けた雪に埋まって、血が抜ける前に凍りついてしまう。すると端的に言うと不味くなるのだという。
その間にも、爺様と吉五郎は無言でテキパキと残りの仕事を片付けていく。胸のあとは腹だ、皮と内臓の間に手を入れながらぐぅっと開けていく。手で引き剥がすように手際よく部位に分けてしまった。
一息ついたところで、吉五郎が先ほど処理した心臓を持ってやってきた。それを薄く小刀(ナイフ)でスライスして、私の前に突き出しす。
「け」※1
その一切れを受け取って、眺める。いわゆる心臓(ハツ)の刺身だ。※2少し動揺したものの、今の私は明治の猟師(マタギ)の孫である。
「……ええい」
思い切って、口に入れた。
プリとした食感、想像していたようなクセは無く、淡白な味わいが美味い。
「美味い。 ……でも醤油が欲しいな」
顔を上げてそう言った。
その言葉を聞いた爺様は僅かに目尻を下げて、わさびも合うぞと応えた。その時、私は初めて猟師(マタギ)の一員になれた気がした。
十三歳の春。これが私の初狩猟であった。
……
※1「け」
=「食べろ」
※2肉の生食は食中毒のリスクがあります。
奴の創傷はそんなに浅くはない。致命的なダメージを受けてなお、生き延びようとする精神力だけで立っているのであろう。
「ふぅっ、ふぅっ、ふうっ」
心拍数が上がっているのがわかる。槍でとどめを刺そうと、右足に力を込めた。その瞬間エゾシカは頭を下げ、角を構えてこちらに突っ込んできた!
「……っ!」
逃げずに向かって来るとは。槍を保持したまま身を翻(ひるがえ)し、左側に跳んだ。
大きな角を間一髪で回避して、再び奴の方向に向き直る。穂先は真っ直ぐそちらに向けたままだ。
通り過ぎたエゾシカは、その場でステップを踏むようにこちらに向き直ろうとして……姿勢が崩れた!
失血ゆえか、後ろ脚がかくんと折れる。
「うわああああああっ!!」
好機とばかりに大きく踏み込み、その首の付け根に向かって槍を突き立てた。ずるりと皮を裂き肉に食い込む感触が、長い柄を通して手に伝わる。すぐさま刃を引き抜き、二歩下がった。
「はぁっはぁっ……っ!」
どくっどくっと傷口から鮮血が溢れ出す。三秒遅れてエゾシカは横倒しに倒れた。拍動に合わせて命が失われていく、その眼から光が失われ濁った。
私は槍を構えたまま動けず、呆然(ぼうぜん)とそれを見ていた。自分の呼吸音がやけに大きく聞こえる。もう動かないシカの、その顔から目が離せなくなっていた。
「よぐやった」
「あっ……」
いつのまにか爺様達が隣まで来ている。
彼らは倒れた獲物の姿を見て、私の肩を叩いて一つ二つ言葉をかけてくれた。
口を開こうとしたが、しかしすぐには言葉を返せなかった、おおっぴらに喜ぶのも何か違う気がしたからだ。
幸運にも獲物が捕れたが、すぐに解体には移らない。狩が成功した時には、お祈りの言葉を奏上(そうじょう)する決まりがあるのだそうだ。
吉五郎にならって顔を下げて目を閉じる。
ひとしきり爺様が聞き取れない言葉で祈りを捧げてから、戦利品を解体することになった。
「せばいぐか」
爺様の言葉で目を開ける。
再び目に飛び込んできた雪の白は、まばゆいばかりに光り輝いて見えた。
……
作業は沢の近くで行う。
脚に縄をかけ、三人で引っ張って降りた。かなり重量がある、これだけでも重労働だ。
水辺に着くやいなや、爺様が慣れた手つきで、胸に小刀(ナイフ)を入れて骨を剥がしていく。力を込めて斬るというよりは、剥がすという表現が適当であるように思う。切り口からは白い蒸気が立ち上がった。
おもむろに切り取った心臓を手渡される。
寸前まで動いていたそれは、溶けた鉄でも触ったかのような熱量を持っていた。鹿は体温が高いとは言うが、それだけではない命の熱さと言うのを感じたのだ。
すぐにそれを沢の水で洗い流しはじめる。
取り出した心臓や肝臓は大量の血を含んでいる。無造作に雪の上に置いてしまうと、体温で溶けた雪に埋まって、血が抜ける前に凍りついてしまう。すると端的に言うと不味くなるのだという。
その間にも、爺様と吉五郎は無言でテキパキと残りの仕事を片付けていく。胸のあとは腹だ、皮と内臓の間に手を入れながらぐぅっと開けていく。手で引き剥がすように手際よく部位に分けてしまった。
一息ついたところで、吉五郎が先ほど処理した心臓を持ってやってきた。それを薄く小刀(ナイフ)でスライスして、私の前に突き出しす。
「け」※1
その一切れを受け取って、眺める。いわゆる心臓(ハツ)の刺身だ。※2少し動揺したものの、今の私は明治の猟師(マタギ)の孫である。
「……ええい」
思い切って、口に入れた。
プリとした食感、想像していたようなクセは無く、淡白な味わいが美味い。
「美味い。 ……でも醤油が欲しいな」
顔を上げてそう言った。
その言葉を聞いた爺様は僅かに目尻を下げて、わさびも合うぞと応えた。その時、私は初めて猟師(マタギ)の一員になれた気がした。
十三歳の春。これが私の初狩猟であった。
……
※1「け」
=「食べろ」
※2肉の生食は食中毒のリスクがあります。
0
お気に入りに追加
25
あなたにおすすめの小説
装甲列車、異世界へ ―陸上自衛隊〝建設隊〟 異界の軌道を行く旅路―
EPIC
ファンタジー
建設隊――陸上自衛隊にて編制運用される、鉄道運用部隊。
そしてその世界の陸上自衛隊 建設隊は、旧式ながらも装甲列車を保有運用していた。
そんな建設隊は、何の因果か巡り合わせか――異世界の地を新たな任務作戦先とすることになる――
陸上自衛隊が装甲列車で異世界を旅する作戦記録――開始。
注意)「どんと来い超常現象」な方針で、自衛隊側も超技術の恩恵を受けてたり、めっちゃ強い隊員の人とか出てきます。まじめな現代軍隊inファンタジーを期待すると盛大に肩透かしを食らいます。ハジケる覚悟をしろ。
・「異世界を――装甲列車で冒険したいですッ!」、そんな欲望のままに開始した作品です。
・現実的な多々の問題点とかぶん投げて、勢いと雰囲気で乗り切ります。
・作者は鉄道関係に関しては完全な素人です。
・自衛隊の名称をお借りしていますが、装甲列車が出てくる時点で現実とは異なる組織です。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
日本が危機に?第二次日露戦争
杏
歴史・時代
2023年2月24日ロシアのウクライナ侵攻の開始から一年たった。その日ロシアの極東地域で大きな動きがあった。それはロシア海軍太平洋艦隊が黒海艦隊の援助のために主力を引き連れてウラジオストクを離れた。それと同時に日本とアメリカを牽制する為にロシアは3つの種類の新しい極超音速ミサイルの発射実験を行った。そこで事故が起きた。それはこの事故によって発生した戦争の物語である。ただし3発も間違えた方向に飛ぶのは故意だと思われた。実際には事故だったがそもそも飛ばす場所をセッティングした将校は日本に向けて飛ばすようにセッティングをわざとしていた。これは太平洋艦隊の司令官の命令だ。司令官は黒海艦隊を支援するのが不服でこれを企んだのだ。ただ実際に戦争をするとは考えていなかったし過激な思想を持っていた為普通に海の上を進んでいた。
なろう、カクヨムでも連載しています。
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
超克の艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
「合衆国海軍ハ 六〇〇〇〇トン級戦艦ノ建造ヲ計画セリ」
米国駐在武官からもたらされた一報は帝国海軍に激震をもたらす。
新型戦艦の質的アドバンテージを失ったと判断した帝国海軍上層部はその設計を大幅に変更することを決意。
六四〇〇〇トンで建造されるはずだった「大和」は、しかしさらなる巨艦として誕生する。
だがしかし、米海軍の六〇〇〇〇トン級戦艦は誤報だったことが後に判明。
情報におけるミスが組織に致命的な結果をもたらすことを悟った帝国海軍はこれまでの態度を一変、貪欲に情報を収集・分析するようになる。
そして、その情報重視への転換は、帝国海軍の戦備ならびに戦術に大いなる変化をもたらす。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる