甘雨ふりをり

麻田

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第12話

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 この前までの雨が嘘かのように、青空に太陽がまぶしい。遠くでセミが鳴いていて、じりじりと肌を焼く日差しは厳しいが、ずっと待ち望んでいたような気もする。
 変じゃないかな、と何度も鏡の前で確認をしてから、部屋を出る。近くの県立公園で待ち合わせをした。今日というご褒美のおかげで、勉強ははかどった。何よりも、気まぐれに佳純が勉強を教えてくれた。言葉少ない彼は、整った美しい字でノートに丁寧に解答方法を記述した。何度も何度も、その字を振り返って、今日への思いを募らせ、乗り越えられた。おかげで、機嫌よく、今日を迎えられたのだ。
 少し早め、実は待ち合わせまではあと三十分もあるのだが、足早に部屋を出てきてしまった。軽く汗を拭うと待ち合わせの噴水の前に出る。彼の姿はなく、ふうと呼吸を整え、ベンチに座ろうと木陰のある場所を探したときだった。木陰のベンチで、横になる佳純を見つけた。

「ごめん、待たせた?」

 瞼を降ろす彼にそう声をかける。

「まだ、時間じゃないだろ」

 目をつむったまま佳純は答えた。じゃあなんでいるの、と心の中で疑問がわいて、笑ってしまった。
 私服の佳純は、より洗練された美丈夫だった。いつもの制服をだるそうに着ているときからわかっていたが、背は高く、手足がすらりと長い。しかし、引き締まっていて、色気もある、と思う。切れ長の目はクールだし、耳には控え目だけど高価なものだとわかる上品なピアスがついている。今回、彼が着ている服は、最初ブランドものだと思ったが、どうやらファストファッションのようだった。僕もよく買いにいくような値段と飽きないデザイン性を売っているブランド。ただ、無地のシャツに黒いパンツをはいているだけなのに、着こなされたそれは、僕やその辺の人が着ても、こうは輝けないだろう。なんだか、隣にいるのが場違いなような気もして、突っ立ったままでいると、彼は身を起こして、ベンチの隣を促した。おずおずと隣に座ると、彼はイヤホンを片方差し出してきた。今時、ワイヤレスが主流になりつつある世の中なのに、彼は使い古したコードのイヤホンを使う。そういう、一つのものを大切に使うところも素敵だと思う。
 それを耳にさすと、穏やかなピアノのジャズが流れてくる。意図がわからず、彼を見やると、瞼を閉じてすでに眠っているようだった。なんだかわからないが、なんとなしに彼の優しい気遣いな気がして緊張がほどける。隣で、今日見る映画の原作小説を手に取り、ページを開いた。
 しばらくそうしていると、時間を見計らったように佳純が立ち上がったので、それに並んで移動した。試写会のため、映画の出演陣のトークや制作秘話、さらには原作者の登場にも心熱くしたが、何よりも映画の内容が原作に忠実で大満足だった。この興奮を昼食をとりながら熱く語る。彼は特別、この作品などに興味はなさそうだったが、僕の話をたまにうなずきながら、じっくり聞いてくれた。そのあとは、場所を移して、国内でも屈指の大きな図書館に行った。実はずっと行ってみたかったのだ。でも、一人で行く勇気も、はつらつな友人二人にわがままを言って付き合わせる図々しさも僕にはなかった。佳純は僕の思いを知ってかどうかは、相変わらず図れなかったが、適当に席を見つけて、二人で読書に没頭しても良い空気はすごく居心地がよかった。僕は今日みた映画の作家の絶版本を手に取り席に戻ると、彼は何やら難しい英語の本を読んでいた。こんな生真面目な姿は初めて見るもので、どきりと心臓が跳ねたのを感じた。静かに座席につき、僕も本の世界に浸る。こんな風に無言の時間を楽しめる相手って、本当に存在するんだなと奇跡のように感じながら僕は彼の隣の時間を味わった。



 時間を忘れて、一日が一瞬で過ぎ去ってしまったような感覚になるのは、久しぶりだった。夕飯も、二人でファストフードでハンバーガーを食べた。佳純は初めて食べたようで、目を輝かせていた。好きだと思って、緊張しながらも提案してよかったと思う。
 帰り道、噴水の前を通って、僕の寮まで送ってくれる彼にぽつりとこぼした。

「今日はありがとう」

 佳純は隣で僕の歩幅に合わせながら、目線は前を向けたまま、じっと僕の話を聴いてくれているのがわかっていたので、言葉を続ける。

「僕の好きなものを知ってくれてて、嬉しい」

 僕は足を止めた、数歩前にいる佳純の腕をとった。佳純は表情を変えず振り返った。その瞳の柔らかさに気づけるようになっていた。僕はその美しい瞳を見つめていると、僕の瞳もゆらぐ。

「僕も、もっと佳純の好きなものを知りたい」

 昼間のひりついた暑さが嘘のように、夜は心地よい。ひんやりとした夜風が火照った身体をすり抜ける。風が佳純の長い前髪をゆらし、街頭にピアスが光った。

「七海は、俺の好きなもの知ってるだろ」

 優しい声色に、じわ、と心が溶けていく。佳純は僕に向き直り、空いている手で頭を撫でた。

「だけど、もっと知りたい。もっと、友達に、なりたい…」

 友達になりたいなんて、幼稚な思いを言葉にすると、急に恥ずかしくなる。こんな時ですら、もうちょっとオブラートに包んだ、目の前の男のように大人な言い回しができないものかと反省する。
 僕の言葉を受けて、佳純は少し目を見開いた。どういう意図かと不安げに見つめていると、彼は瞳の影をくゆらせた。

「友達、でいいのか?」

 え、と戸惑う。どういう意味をさしているのか見えずに、数回まばたきをしてしまうが、彼はじ、と真摯にその深い色を持つ麗しい瞳で僕を見据える。僕は、指先が冷たくなるのを感じると、佳純の腕はするりと僕の手の中から抜けた。彼は、淡く微笑むと、帰るぞ、と言い、先を歩いていく。
 その真意を探るには、今の僕には勇気がなくて、彼の隣に駆け足で追いつくのが精いっぱいだった。隣に並んで、彼の顔をこっそりと見上げても、佳純は夜空を見上げながら歩く。でも、決してその足取りは早いものではなく、僕との時間を慈しんでくれているようなゆるやかな歩幅だった。猶の事、佳純の心の中が知りたいと思ってしまった。唇から、熱い吐息と共に、佳純、と名前をこぼすが、夜風に溶けてしまった。

 寮の前につくと、寂しさを抱えながらも微笑む。

「すごく楽しかった、ありがとう」

 佳純は、かすかに微笑み、手の甲で僕の頬をするりと撫で、僕に一歩詰め寄った。気づくと、目の前には彼の胸元があり、夜の湿度に交じって彼の甘い匂いが鼻腔をうずかせる。いつもの匂いよりも強い匂いに頭がくらくらとし、数倍甘さと官能さを持ち合わせていることに気づかなかった。そんなことで頭がいっぱいになっていて、彼が、僕の髪に鼻を押し当て、深く息を吸い、「これが七海の匂いか」とつぶやいたことには気づかなかった。

「おやすみ」

 そして、背を向け手を振って去っていった。撫でられた頬がやけに熱い。は、と息を吐くと、その熱に欲がはらんでいる気がした。今日の朝、軽い抑制剤を飲んでおいてよかった、と思うのと同時に、つらい発情期が近づいてきているのだと、霞がかった頭でぼんやり思った。

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