黄昏時に染まる、立夏の中で

麻田

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第52話

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 あと、半年。
 僕が、この学園を卒業するまで。自由であれる、猶予。

 だから、部屋で一人で悩んでいる暇はない。もったいない。
 透との未来を描くのは、やめられない。
 今、なぜ透の隣にいないのか。ふと疑問が湧き出てくる。

(会いに、いかないと…)

 ちく、と主張するように痛んだ頬に触れる。もう、その腫れは引いている。それなのに、何かを訴えているようだった。
 首を振って、反対の頬を軽く叩く。
 クローゼットを開けて、ワイシャツを取り出す。
 愛しい彼に、会いに行くために。





 勢いのままに飛び出してきたため、植物園についてから冷静になっていく。
 笹藪を駆け抜けて目の前にドームが現れたときの高揚は息苦しさすら感じるものだった。窓を全開にしたそこには、植物たちしかいない。当たり前だ。今は、授業中なのだから。
 息をするのに必死で上下する肩を、がっくりと落としてしまう。急にじりじりと鳴いている蝉の声が耳障りになっていく。肌を包む熱い湿度が嫌になる。
 それでも姿勢を伸ばして、一歩、踏み出す。ドーム内はさらに、む、と湿度が高い。けれどそこにいる深い緑の分厚い葉をもつ生き物たちは凛々と華やいでいるように見える。古びた扇風機が長く、どこからから電源コードを引っ張っている。それのスイッチをいれると、がたがた騒ぎながらも、ファンを回す。風が流れると幾分か涼しくかんじられる。七月の猛烈な暑さが、随分和らいだ気がした。
 二人で並んだベンチに腰掛ける。風を正面から浴びながら、辺りを見回す。植物たちの横にこっそりと作られた畝には、長く、細い茎に花や実をつける植物がある。ドームの外にでると、さらにその倍の大きさの畝があり、さらに種類豊富な植物がなっている。
 一つ、深呼吸をすると、青い爽やかな香りと、おひさまの香りがする。それから、どこから芳醇な花の香りも。
 透の名残を感じる香りに、思わず目を細める。足を揺らしてしまう。

(透…)

 何か少しのことでも、透のことを考えたり、思ったりすると、心臓が弾みだす。心地よく全身を血が巡り、頭から爪先まで温かい何かに包まれる。まるで重力がなくなったみたいに、すべてが軽くなる。

(早く、会いたいな…)








「先輩…! 依織先輩!」

 遠い靄の中からだんだんと意識が近づいて、は、と声が聞こえた。
 ゆったりと重量のある睫毛を持ち上げると、ぼんやりと人影が見える。

「依織先輩!」

 肩を揺さぶられて、頭が明瞭としていく。聞こえるのは、会いたかった彼の声だ。
 目が合うと、透は眉根を寄せて、汗をいくつか垂らしていた。
 つやりと光る瞳は、たくさんの緑の反射を受けて、七色にきらめていた。そこに自分のぽやついた顔が映っている。自分だけが、透の瞳を独占している。
 それがわかると、気が付いた時には、透に抱き着いていた。首に腕を回して、じっとりと汗ばんだままのワイシャツを擦り合わせるように抱き寄せる。

「依織先輩? 大丈夫ですか? すごい汗かいている…、体調は? また熱中症では? こんなとこで寝て…、…依織先輩?」

 襟足をさらりと撫でて、汗の粒を掬っていく指先は、終始僕の体調を気遣っていた。あまり口数が多い方ではない透が、一気に言葉を続ける。それもまた透らしい。
 けれど、それよりも、僕は目の前にある愛おしい人の身体が、体温が、息遣いが、香りが、すべてが、ずっと求めていたものであり、それを手の中における充足感に涙が溢れた。

「会いたかった…」

(ずっと、会いたかった…)

 いつだって、透に会いたかった。ずっと、透と一緒にいたかった。
 片時だって離れたくない。

「僕、透がいないと…」

 ひく、と喉がつってしまう。背中にあたり大きな手のひらが僕の異変に気付いてくれる。すぐにそれは、壊れ物に触れるように優しく、僕の背中をぽんぽん、と慰めた。

「依織先輩、泣かないで…」

 長い腕が僕を抱きしめ返してくる。さらに腕に力を籠めて抱き寄せると、透の厚い身体が押し倒すように僕にのしかかる。ぴったりと触れ合う身体が、熱い体温に神経が麻痺するように焦げていく。
 頬を透の汗ばんだ首筋に擦り寄ると、うっとりとする香りがする。そこに僕の涙が混じって、唇をかすめる。

「会いたかった…」

 もう一度、その言葉が零れる。その言葉が一番適しているのだと思う。

「僕だって…」

 透が奥歯を食いしばるように小さく唱えた言葉が聞こえる。ぎゅう、とさらに抱きしめられると、強い心音がぴったりと合わさった肌から全身へと伝わってくる。

(気持ちいい…)

 透の大きな身体の中心の強い鼓動が、僕と同じ気持ちなのだと思わせてくれる。それが嬉しくて、涙は止まることなく増すばかりになってしまう。
 そ、と頬を指先がたどってきて、顔をあげる。光を集めて七色に光る繊細な瞳に僕がいっぱいに映っている。確認すると、それは長い黒い睫毛が降りてきて細められてしまう。ほんのりと染まった頬が柔らかくほどけている。

「透に、やっと会えた…」

 震える唇で、ようやくつぶやけると、透は、ふふ、と小さく笑った。

「僕も同じです。嬉しいです」

 涙の筋を透の骨ばった指先が拭う。きゅう、と胸の奥が苦いような酸っぱいような、それでいて甘美に痺れる。その手に手を重ねて、頬を擦りつけると、また透はふんわりと笑った。

「ほんと? 透、泣いてないじゃん…」

 僕の方が会いたかった、と恨めしく見上げると、ちら、瞳が色を変えた気がした。けれど、瞼が覆って、次見えた時は元の色に戻っていた。気のせいかな、と首を傾げるように手のひらの温かさを分けてもらいながら、頼りなく細い指先で透の目元を撫でる。透は大人しくされるがままに笑顔でいてくれる。精悍とした頬は、以前よりも大人びた気がする。

「僕の分まで、依織先輩が泣いてくれるでしょう?」

 しっとりと囁かれた言葉は、透らしい思いやりと愛情に満ちていた。指先までじんわりと熱が広がっていく。とくとくと心臓が確かに動いているのがわかって、透の前だけ、僕は人であることを思い出す。

「じゃあ、透は僕の分まで何してくれるの?」

 薄くなって頬を撫でるとさらさらとした肌が心地よかった。んー、とうなる唇は桃色に色づいていて、つい気になってしまう。

「喜びます」

 弧を描いていた唇はゆっくり動いた。視線をあげるとにっこりと目を細めた透がいて、自信満々な表情に、ふ、と強張っていた身体が和らいだ。

「僕もちゃんと喜んでるよ?」

 そう見えない? と首をかすかに傾けると、はら、と一束、前髪が睫毛にひっかかった。
 透は長い指でそれを優しくつまんで、僕のこめかみの方へと撫でつける。なんとも心地よい。

「もーっと喜びます」
「わっ」

 ぎゅう、と急に強く抱きしめられて、驚いて声が漏れてしまった。耳元でくすくす、と透が楽しそうに無邪気に笑っているのがわかる。それにつられて、ふふ、と僕も小さく声を出して笑った。

「やっと依織先輩と会えた! わーいわーい!」
「なにそれっ」

 僕よりも一回り以上大きな身体はご機嫌に左右にゆらゆらと揺れてアピールする。子どものようなその仕草に、くすぐったくて、心地よくて、僕も抱き返しながら一緒に笑う。




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