黄昏時に染まる、立夏の中で

麻田

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第37話

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「クラスの子が、噂してた…」
「噂?」

 鼻をこすり合わせながら、思いついたことを話す。この柔らかな時間がずっと続けばいいのに。

「二年生にイケメンがいるって…」
「ええ? 本当ですか?」

 他学年まで噂になっているのに、当の本人は全くの無頓着だった。

「髪の毛切ってから、変化ないの?」
「んー…、視界が明るくなった?」

 何それ、とつい、吹き出して笑ってしまう。透も嬉しそうに笑う。

「クラスの子とか、反応なかったの?」
「言われてみると…、話しかけられるようになった…かな?」

 嫌なことされてない? と尋ねると、ないですよ、と透は朗らかに答えた。その反応からして、本当に嫌なことはなさそうで、胸を撫でおろす。けれど、同時に、もや、と何か喉につっかえるような感覚がする。

「どんなこと、話しかけられるの?」
「えーっと…? 名前を聞かれたり…、授業のわからないところを聞かれたりしました」

 ふーん…と興味なさそうに答える。
 けれど、内心は、もっと細かく知りたかった。

(それ、明らかに、透のこと狙ってるよね…?)

 透が、今までのように嫌なことを言われたり、ぞんざいに扱われたりしていないのであればいい、とさっきまで思っていたのに、なんだかそれはそれで、落ち着かない。

「それ、どんな子? オメガ?」
「え? どんな…? 普通、の子? オメガかどうかは、わかりません…」

 うーん、と頭の中で記憶を必死に遡っている。嘘をついて誤魔化している顔ではないので、本当に知らないのだろう。額を人差し指で押さえながらうんうん唸っている透は、そのままで真剣に言った。

「依織先輩以外、みんな同じに見えるのでわかりません…」

 どんな子…どんな子…? と、一人ぶつぶつ唱えながら、さらりと言ってしまう透は、天然ものなのだと強く感じた。

「僕だけ、違うの…?」

 もうこちらに気を戻してほしくて、目元にキスをする。ぱち、とちゃんと瞼が開いて、僕を見つめる。
 透に跨っている体勢の僕の腰に手を当てて、透は頬を赤くしていった。

「だって、こんなにきれいな人、他にいませんから…」
「そっ、そんなこと、ない、で、しょ…」

 透が言い切ったあとに顔を真っ赤にして汗を滲ませるから、反論した僕まで熱くなる。
 二人で妙な沈黙になる。今、どんな顔してるのか気になって視線を上げると、ぱち、と目が合ってしまう。お互い、さ、と反らして、またもじもじしてしまう。

(僕たち、両思い、なんだ…)

 どんどん現実味を帯びて感じる。うっとりとする空間は夢ではなく。
 お互いに、出会った時から一目惚れをしていて、人としての心にも心底魅了され。
 僕たちは、あっという間に、相思相愛となっていたのだとわかると、急激に恥ずかしくなる。それと同時に、全身が震えるような多幸感に包まれる。

(キス、したい…)

 好きでたまらなくて、唇が疼く。手の甲で、ぐし、と収めるようにこすると、その手を包まれる。視線をあげると、影って、瞳がつや、と光ったのが見えた。けれど、すぐに睫毛を降ろしてしまったのでわからない。それから、しっとりと唇が触れ合う。

「ごめんなさい…、どうしても、今、したくなっちゃって…」

 長い睫毛を伏せ、唇を長い指でつまみながら透がつぶやく。
 さっきまで好きなようにキスをしあっていたのに、今になって、植物園にいた時の純朴な青年に戻っていた。そんな反応されると、本当に透とキスをしたんだと実感してしまう。
 透の精悍な輪郭で撫でて、頬を包む。

「依織先輩…?」

 そ、と名前を囁いた唇に、唇を寄せる。濡れたそこが触れ合うと、きゅう、と腹の奥が切なく響く。
 ゆっくりと睫毛を持ち上げて、見つめ合う。

「いつでも、していいんだよ…?」

(僕たち、両思いなんだから)

 ふふ、と勝手に顔が微笑んだ。嬉しくて、しあわせで、自然と身体がほどけている。
 ごく、と大きな音が部屋に響いて、目の前にある喉仏が上下する。急に身体が固まってしまった透は耳の先まで赤くしている。肩を大きな手のひらが包む。それから、表情筋が固まった不自然な透の顔がどんどん近づいてくる。くす、と小さく笑ってから、瞼を降ろしてその時を待つ。
 しかし、唇が触れ合うまでに、透の高い鼻梁が僕の鼻先とぶつかってしまう。

「あれ?」

 思わず、ぱち、と目を開けると、眉間に皺を寄せて困った顔になっていた。
 さっきまで自然としていたのに、急に難しくなってしまった。その不器用さが、なんだか透らしくて、ついくすくすと笑ってしまう。額に大粒の汗をつけはじめた真っ赤な後輩に、首を伸ばして口づけを交わす。

「こうやって…?」

 もう一度、透がやったように、首の角度を変えて吸い付く。
 ちら、と上目で透を見つめて微笑む。それから、瞼を降ろして、じ、と待つ。何度か深呼吸している音が聞こえて、頬がゆるむ。何回目かで、そ、と顎に親指が触れる。

「依織先輩…、好きです…」

 甘い吐息が唇を舐めながら、僕たちは淡いリップ音を鳴らしてキスをした。ぞわ、と背筋から脳天へ痺れが走る。我慢できずに、鼻から吐息の音が漏れてしまう。
 静かに瞼をあげると、そこにはまだ、きらめく瞳がまっすぐに僕を見つめていた。

「とお、んっ…」

 僕もお返しに、好きだと言おうとしてのに、顎を優しく掴んだ透にまた塞がれてしまった。

(ずっと、こうしていたい…)

 全身が温かな湯につかっているような、柔らかな羽毛に包まれているような、しあわせな空間。ずっと、ここで僕は、透と二人で揺蕩っていたかった。







 窓から入ってくる夕日が大分傾いたところで、僕はカバンを引き寄せた。
 ポケットで光っていたスマートフォンを取り出すと、彰からのメッセージが入っていた。足先から一気に血の気が引いていく。震える指先でタップすると、それは、質素な文で、先に帰って、と書かれていた。
 身体が脱力し、冷や汗が顎を伝い落ちた。

(よかった…)

 透にすっかり夢中で忘れていた。
 この偶然がなければ、どうなっていたのだろう。恐ろしすぎて想像すらできない。

「依織先輩?」

 横から、かさついた指先が前髪を払うように耳にかける。振り向くと、首を傾げた透が眉を垂らして僕を覗き込んでいた。

「だ、大丈夫…、なんでもない…」

 なんとかへらり、と笑みを貼り付けて、メッセージアプリをホーム画面に戻す。
 そこから、透の連絡先をようやく読み込ませた。今まで毎日会うことが当然すぎて忘れていたのだが、連絡先を交換していなかったのだ。
 透は、迷惑かもしれないと思いながらも、直接会いにくるしか方法がなかった。もしかしたら、僕に迷惑がかかるかもしれないから、と、出来るだけ人が少ないタイミングで僕に声をかけようと考えて、図書室となったらしい。
 トークアプリにようやく登録された「楠原 透」と初期設定のままのアイコンが、無機質なのに愛おしく見える。

「…友達、と過ごすこともあるから、一緒にいる時間は減っちゃうかもしれないけど、連絡するから…」

 待っててくれる?

 振り向いて、透の手首に触れながら、すがるようにつぶやく。
 透は、触れていた指先をすくって、指同士を絡めて持ち上げる。

「待ってます…、ずっと」

 握りしめた僕の手の甲に、そ、と口づけをした。長い睫毛が指をかすめて、くすぐったい。甘い快感として全身へと巡らされる。 
 健気に微笑む透に、胸が絞られて、もう一度、透の腕の中に身体を寄せる。

(僕、頑張るから…)

「待ってて…」
「はい」

 透は長い腕で僕を優しく包み込んだ。その甘い香りの中に酔いしれながら、この愛しい熱と永遠に共にあり続けるための意思を強くする。

(頑張らないと…)


 透と二人きりの黄昏時に、僕は固く決意した。


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