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第30話
しおりを挟む長い腕に閉じ込めらる。胸元にぴったりとくっついた耳からは、早い鼓動が力強く聞こえる。甘やかな彰のフェロモンの中にべったりとくどいオメガのにおいがする。
「他のアルファと遊んでたのは…許せないけど多めに見るよ? 俺だってあいつの世話があったし」
だから、寂しかったんだよね? と、彰は優しく親指で僕の目元を撫でる。目の前には、見慣れた優しい笑みを浮かべる彰がいた。
「ぽっと出のアルファに手を出されて、俺、どうにかなるかと思った…」
ぽっと出のアルファ。
アルファ、と言い切った彰に、背筋が震えた。
「次、あいつと依織が会ってたら、俺、どうにかなっちゃうかも」
「どう、いうこ、と…」
かさついた口をなんとか動かして音にする。僕の声を聞いて、彰は嬉しそうに笑った。
「アルファの独占欲に、理性は働かない」
しっとりとした指先が、顎を伝って喉仏をくすぐる。それから、首裏へと回る。
「好きなオメガを自分のものだけにする。俺たちが進化してきた中に残した本能そのものだから」
かすれた甘い声で囁かれ、うなじに軽く爪を立てられる。急所への痛みと共に脳内へと甘い信号が流れると同時に本能的な嫌悪に背筋が凍る。
「だから、邪魔なアルファは排除するしかないよね?」
ど、と目の前の身体を手で押した。腰に巻き付いた腕がきつく僕の身体を抱き寄せていて、大した距離は離せなかった。
瞠目する僕を、色のわからない笑みのまま見下ろしていた。
「どういこと…何、するの…」
こめかみを冷たい汗が落ちる。頭の中がぐわんぐわんと響き唸る。
「何って…、さあ?」
本気のアルファは何をするかわからないから。
残酷なことを言うのに、彰は満面の笑みだった。
まるで、僕が、うなずくことがわかっているみたいに。余裕なのか、結果のわかっている笑みなのか。
「ゃ、…」
「ん?」
彰の胸元に、押すために当てた手のひらで拳を作る。
この拳を、振り下ろすことは、許されない。
「やめて…、透には…手を出さないで…っ、んぅっ!」
強く顎を掴まれた衝撃に身をすくめると、唇をがぶりと覆われた。突然のことに驚いて目を見張って身体を押すが、琥珀の瞳はじっと僕を冷たく見下ろしているだけで、びくともしなかった。
「ぁ、うっ、んん…っ」
後ろに逃げようと上半身だけでも腕を押して距離をとろうとするのに、唇が角度を変えてさらに深くなる。ぬるり、とアルファのフェロモンを纏わせた唾液が口内へと流される。それと共に侵入してきた舌を押し出そうとするが、吸われ、絡み取られ、余計に身動きが出来なくなってしまう。
(だめ…っ)
奥歯の裏をなぞり、舌先を吸い、甘噛みをされると、恐怖とほの暗い快楽が背筋を駆け抜ける。身体の力が簡単に抜けていく。
どろ、と頭の奥で甘い香りと共に、何かが溶け落ちていくように、視界が滲んでくる。
「ん、あぅ、んん…っ、ぅ…」
厚い舌がぐるりと口内を混ぜて、唇が角度を変える。力ない身体は、彰に支えられ、上からかぶさるように唇を支配される。さわさわ、と柔らかい彰の毛先が頬をくすぐる。
拒絶を表していた手は、彰のシャツを握りしめ、すがっているようにも思えた。
(違う、だめ…このアルファじゃ、ない…)
意識すればするほど、彰は濃密で凶暴なアルファのフェロモンを僕に与えてくる。
「依織の、いー匂いする…」
口内から去った熱を身体が求めて、舌が唇から伸びてしまう。歪んだ視界と思考では何がどうなっているのかもわからなくなり出していた。
彰が頬を染めて、嬉しそうに目を細めている。柔らかく眦を撫でて、前髪を耳にかけてくる。それすら快楽に感じ得て、鼻から声が漏れてしまう。これ以上、変な声が漏れないように口元を押さえると、彰が頬を擦り合わせてから、輪郭にキスを落とし、耳裏の薄い皮に強く吸い付かれる。
「んぅ、んん…っ」
「これからは、俺以外のアルファの名前言うな」
低い声は皮膚からも身体に浸透していく。
心は冷えていくのに、身体は目の前のアルファが出すフェロモンに夢中で、涙が溢れた。
(やだ…、嫌だ…)
奥歯を噛み締めて、唇を指で強く押さえる。
(透…、透…)
心の中で会いたいアルファの名前を何度も叫ぶ。
柔らかなこぼれ日の中で、一人植物の世話をする。僕に気づくと、顔を赤らめて、ふんわりと甘く微笑むのだ。
(好きなのに…)
胸が割けそうだった。いますぐ叫んでしまいたかった。呼吸が乱れて苦しい。
いつもみたいに、透に抱きしめてもらいたかった。
温かなおひさまと隠された甘いフェロモンに包まれて、笑いかけてほしかった。
僕だけが移された七色に光る瞳を見つめて、僕も笑いたかった。大きな身体に抱き着きたい。
けど…。
(僕は、僕を救ってくれた透のことを、僕たちの秘密の園を、…守れるなら)
瞼を持ち上げると大粒の涙がばらばらと零れて、荒れた呼吸に呼ばれて、指の隙間から唇に触れた。
「俺だけの依織になって」
僕には、うなずくしか選択肢はなかった。
だけど、それはあまりにも残酷すぎて、僕は靄がかった頭のまま声を押し殺して涙する。
(やだ…透、透…っ!)
「誰のこと考えてる」
「いっ!」
後頭部を掴まれ、髪が引っ張られた痛みに声が漏れる。力づくで顔をあげさせられると、瞳が細くなった彰が怒気を隠さない声で僕に言い落す。
全身が、ぶる、と跳ね、小さく震え出す。怒りを隠さないアルファの本気の威圧に、オメガである僕は為す術なく震えるしかないのだ。
「ごめ、ごめ…なさ…」
「依織は俺だけのものだよね?」
ね、と念を押される。ぎゅ、と襟足を掴む長い指にさらに力が加わり、痛みに涙がこめかみを伝う。
「わか、わかった…わかった、から…」
恐怖に何度もうなずいて、そう答えるしかなかった。
すると、彰は先ほどが嘘のように、にっこりと微笑んで、僕を大切そうに抱きしめた。
「嬉しい…。ようやく、俺たち、恋人になれるんだね」
この時を待ってたんだ…、うっとりと甘く囁いて頬ずりをされる。その腕の中で僕は、嗚咽を隠すこともできないほど、ひどく気持ちが乱れていた。
(この人は、誰…?)
小さい頃、困っている僕に笑顔で手を差し伸べてくれた。
泣いている僕の隣に一緒にしゃがみこんで、笑顔になるまでずっと楽しい話をして励ましてくれた。
あの優しかった彰は、どこにいったの?
「依織…、好きだよ」
「ひ、っ…」
かすれた甘えた声で僕だけにしか聞こえない声で囁くと、彰は僕の腰を引き寄せて、高い位置にある彰の腰を擦り付けられる。そして、彰の指が、スラックスの上から、僕の臀部の狭間に差し込まれる。
誰にも触れられたことのない場所につい悲鳴があがってしまう。思わず顔をあげてしまうと、じりつく琥珀の双眼があって、桃色の唇を真っ赤な舌がちろり、と舐めている。
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