黄昏時に染まる、立夏の中で

麻田

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第24話

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「中学生の進学先を決める頃。僕は近くの普通の公立高校に行くものだとずっと思っていました…近くの学校に通って、バイトをして、少しでも家族の力になることが僕の目標だったからです。けれど、ちょうどその頃に、妹のバース性検査で…オメガだということが発覚しました」

 本当に、そんなことまで聞いていいのだろうか。とてもパーソナルな情報だ。
 眉間に皺を寄せながらも、透がぽつりぽつりと話してくれるのなら、聞き届けるのが、僕にできることなのだと、じ、と透の言葉を待った。

「家族の中でアルファなのは僕だけですし、もっと家計の助けになるなら、と全額免除の制度があり、寮も完備されているこの学校を選びました」

(アルファ…)

 薄々はわかっていたことだけれど、透の口から直接、自分がアルファだと聞いて、一瞬、息を止めてしまう。きゅ、と背中を伸ばして、気持ちを整える。

(今はそれじゃない…)

「親の負担をとにかく減らしたい。それが僕の願いです。だから、極力、節約できるものは節約していったのですが…、ここの生徒たちには、それが貧相に見えたようです」

 この学園に通う生徒たちのほとんど全員が、金銭的余裕のある家庭だ。現に、有名企業や政治家など著名人の子どもが多く、そうしたつながりを作ることができる。世界で活躍するアルファのほとんどがこの学園の卒業生であるのも事実だ。
 そのため、食堂や売店での売り物も世間一般よりかは、選ばれたものになっている。それ相応の値段らしい。
 透の昼食が自分で作ったおにぎりだったことが思い出された。
 僕が三年間、通っている中で寮母の弁当以外で弁当を持参している生徒をほとんど見たことがなかった。そのほとんどの中に該当しない事例が、恋人のために手作りをしている生徒を一度だけ見たことだった。僕は、誰かのために料理ができるなんてすごい、となんとなしに思っていたが、周りの同級生たちのリアクションは異なっていた。
 あんなものを食べさせられるって可哀そう。そう言われていた。
 手作りのものを蔑む言葉にやや違和感があったけれど、きっと僕がそうであるように、家事というものを授業以外で行ったことがないからだろうと思った。自炊は、僕たちには必要ない。なぜなら、全部、それぞれのプロがやってくれるからだ。調理はシェフが。掃除は家政婦やメイドが。洗濯はクリーニング専門業者が。
 それぞれの専門の人に任せればいいのに、なぜわざわざ味を落としたものを好きな人に与えるのか意味がわからないと言う彼らの話を聞いて、その当時は、彼らの言っていることもわからなくもない、とうなずいたのだ。

(最低だ)

 一気に血が沸騰するように熱くなり、叫び出したくなる衝動を唇を噛んで堪える。

「特待のために必死の勉強している僕も、愚かに見えるみたいで…」

 ただ学生の本業を全うしているだけなのですが…。

 そうつぶやいた透は、寂し気に笑って指先を見つめていた。

(僕もそう思う)

 学生で、自由に勉強ができることは恵まれたことだと思う。大学に行きたくても行けない僕にとって、授業中に寝る生徒もゲームや携帯でチャイムを待つだけの生徒も、みんな憎らしく思っていた。

 だけど、声にはできなかった。
 透は、やるべきことを誠実に、真面目に努力しているのだ。僕のような、なんとなくすることだからという惰性に近いものではなく、もっと尊いもののように思えた。

(一緒だなんて、おこがましい…)

 一度唇を開いたが、また噛み締めてしまう。

「この学園に通っている生徒のほとんどが、親御さんからの期待に応えるためにここに入学しています。だから、そんなお金目当てで入学している僕は、すごく失礼ですよね」

 はっきりとそう言う透に瞠目しながら見上げる。透は穏やかに笑っていた。

「僕の都合で、多くの人を不快に思わせてしまって、申し訳ないと思っています」

(透は…)

「どこまで、バカなの…」

 思わず、口から零れてしまった。
 一度零れてしまうと、止まらなかった。
 ベンチから立ち上がり、透を見下ろして言葉を続ける。

「そんなわけない、透が謝る必要なんて何もない…ここにいる人たちは権力と財力で人を判断してる…だから、寄ってたかってかっこ悪いことしてる…」

 この学園にいる誰よりも、透は誠実だ。
 泣いている僕を、いつも嫌な顔もしないで、笑顔で慰めてくれる。
 そんな優しい人、他にいない。この世界中、誰だっていない。透だけなのだ。
 倒れて泣いている怪しい僕に手を差し伸べてくれたのは透だった。
 理由も聞かないで、ただただ、優しさをわけてくれた。
 温かな居場所をつくってくれて、笑顔で嫌なことを全部癒してくれた。

 それなのに。

「誰よりも家族を思って、努力して、ここに入学してきた透を、なんで透が誇りに思ってあげないの?」

 それはすごく、暴力的な言葉に思えた。
 だけど、僕は、許せなかった。

「透のいつも笑顔でいられる優しさも、強さも、そんな最低な人たちを許せるところも、全部全部、この学園で一番優秀なのに、」

 興奮で手足が震える。涙もだらだらと止めどなく溢れていく。

「それに気づいていない人たちにも腹が立つ…。あんな意地悪言う醜い人たちが腹が立つ…だけど、一番は…」

 顎が痙攣するかのように言うことを聞かなくて、なんとか息を吸って、絞り出すように叫ぶ。

「大好きな人を守れない自分がムカつく!!」
「依織先輩…」

 立ち上がった透は、僕より頭一つ以上背が高い。目の前にある胸元を叩く。

「ムカつく…! 透のこと、何にも知らないで…っ、好き勝手言って…」
「依織先輩…」
「透の方が頭もいいし、スタイルもいいし…、いろんな知識持ってるし、優しくて、いつも笑顔で、あったかくて…」

 ムカつく…と唸る。額を胸元に押し付けると、ぎゅう、と全身が包み込まれるように抱きしめられる。その腕の中で、僕は子どものようにがむしゃらに涙した。

「料理も料亭顔負けだし、年上の僕の勉強の面倒も見てくれるし…家族思いだし、植物にも優しくて…」
「はい…」
「いつも自分のことより、僕のことを優先して、自分は泥んこになってるし…」
「ふふ、…はい」
「威張らないし、いつも謙虚だし、いっつも褒めてばっかりくれるし…」
「それは、本当のことだからですよ」

 こんな時ですら、僕のことを優先してくれている。

「ちがうぅ…っ」

 透の背中のシャツを僕の細っこい指でめいっぱいにぐしゃぐしゃに握ってやる。それなのに、透は、耳元で柔らかく笑った。

「こんなに、いい人なのに、ど、して、透ばっかり、我慢しなくちゃ、いけないの…っ」

 僕は、透と出会って、自分にもいろんな感情があって、それを見せていいということを学んだ。それが、どれだけ心地よくて、生きている心地がするのかも。
 だけど、今日のことを通して、明らかな悪意にも、透は、自分が悪いと笑ってみせるのだ。
 透が、家族と仲良しなことは話をしていくうちに知っていた。毎年、必ず誰かの誕生日には帰省して一緒に祝っているらしい。片道3時間かかる場所にも関わらず。
 妹がオメガだと分かったから、大好きな家族から一人離れることを決意した、十五歳の少年のことを思うと、胸が苦しくなる。

(きっと、すごく寂しくて、不安だったろうな…)

 勝手に涙が盛り上がって、目の前のシャツに染み込んでいく。

 それだけでも、相当な覚悟を持って行動しているのに。
 そんな健気な少年の心を打ち砕いた学園の生徒が、憎い。
 こんなにも優しくて澄んだ少年を守れない自分が、一番憎い。

「我慢してませんよ?」
「してる! してるのぉっ!」

 僕の方が駄々っ子のようだった。
 透は、えー? とくすくす笑いながら、僕の髪の毛を長い指で梳いた。

「してません。だって、今、こうやって大好きな人のこと抱きしめてますから」

(大、すき…)

 胸元でぱち、と瞬きをして、顔をあげる。とろ、とつやめいた瞳は、澄んでいて七色に光を集めている。それを甘く細めると、指先で頬を撫でて涙をさらっていく。

「怒ってもらえて、僕、嬉しかったです」

 これで怒らせちゃうかもしれませんが、と付け加えて、無邪気に小さく笑った。

「依織先輩のこと、傷つけてごめんなさい」

 大きな手のひらが頭を撫でる。

(こんな時ですら、僕を優先するの…)

 喉の奥がぐう、と抑え込まれるように苦しくなる。
 僕は、透を強く抱きしめた。それしか、僕にできることはないのだ。

「許さない…」

 着痩せする身体を、僕は知っている。
 抱き着いた身体は、服越しに見るよりも随分分厚いし、柔らかな筋肉を纏わせて硬い。その身体にしがみつく。

「透が一人で傷つくの、許さないから…だから、半分、僕にも分けて」

 ひゅ、と頬の触れる胸元に息が吸い込まれる音がした。自分のものかわからないけれど、力強くて、早い鼓動が心地よい。
 泣きすぎて頭も顔も重いのに、それでも透が傍にいてくれれば、それだけで僕は、どこでもいつでも、心が休まる。嬉しい。温かい。

「じゃあ、依織先輩も、僕に半分分けてくださいね…」

 大きな手が僕の肩を掴んで、きつく抱き寄せた。深く響く声は、僕にしか聞こえない音量でつぶやかれて、二人だけの秘密の約束が、僕の胸を締め付けた。
 腕の中で小さくうなずいて、抱きしめ合う。

(このまま、溶け合って、一つになれればいいのに…)

 そうしたら、透の悲しみも苦しみも、僕が全部もらってあげるのに。

 この優しい人が、傷つくことのない人生を歩ませてあげたい。




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