黄昏時に染まる、立夏の中で

麻田

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第21話

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「見て、天使と王子いるよ」

 僕は弁当の入った袋を持って、足早に廊下を歩いていた。すれ違った男子生徒二人が明るい声色で囁いた声が聞こえる。

「わ、今日も麗しい…」
「マジ絵画だよね…」

 彼ら見る先には、食堂のテラス席で隣り合って座る転校生と彰だった。
 転校生が突如、変装を解いてから一週間が経っていた。
 転校生の正体がとてつもない美貌を持った少年だということがわかると、学園の彼への反応が一変した。今まで、彰や生徒会メンバーと並ぶ彼を卑下し侮蔑するものばかりだったのが、今や崇拝される天使となったのである。実際に、彼のファンも多いらしい。学園の人気メンバーと仲良くやっていたのは、この美貌が隠れていたからなのだと理解すると、人気者とお近づきになりたいと思い嫉妬していた生徒たちも納得せざるを得なくなってしまったのだ。
 噂だと親衛隊の色々なアピールが面倒くさくなった、とか、彰にふさわしい自分でいたいといういじらしい恋心のため、とか、見た目じゃなくて彰に内面も好きになってもらいたかったからというストーリー、とか。色々な美談が膨れ上がって、生徒たちの噂はロマンスの話で持ち切りだった。
 そして、彰の隣にいるのがふさわしいと認定され、今や学園公認の憧れるフィアンセ同士と評価されている。

(もう、何も感じなくなってきたな…)

 平穏な胸元をそっと撫でる。
 先週は、彰に何かされるのではないかと気が気ではなかった。大切なものを失ってしまったような、自分の魂が欠けてしまったような、大きな喪失感と孤独感が僕を苛んで仕方なかった。もっと、長いこと引きずるのだと思っていた。
 けれど、そんな心配をよそに、意外と僕はけろり、と頭の中を軽くしていた。
 時節、まだ触れ合う彼らを見ると胸がちりちりと焦げ付くような感覚がするが、それも慣れてしまうものなのだ。人間とは存外たくましいなと他人事としてとらえていた。
 前に向き直ろうとした時、彰と視線がぶつかったように思えたが、きっと気のせいだろう。
 湿度高い梅雨の風に襟足を撫でられて、肌がざわつく。うなじに手を当てる。
 最近、授業中も、じ、と強い視線を送られている気がする。その度にうなじから身体に悪寒が走るのだ。

(なんだろう…)

 風邪かな。そんなのんきな自分に、なんだか笑えてくる。
 僕が前向きに、一歩踏み出せているには理由がある。
 それは、たった一人の、僕の大切な人のおかげなのだ。
 たった一人。
 僕が僕であることを許してくれる、僕の大切な人。

 いつも通りに前髪を直してから、呼吸を整えて、ゆるむ顔でドアを開ける。
 もう窓も前回なのに、汗がにじむ暑さだ。どこからか持ってきた電源で、かたかたと音のする扇風機の前で黒くて細い毛先をなびかせている大きな背中を見つける。

「ぅわーっ!!」
「わっ! びっくりしたぁ」

 後ろに忍び寄って、顔の脇から扇風機に向かって叫ぶ。音が反響して、波打って聞こえる楽しさを教えてくれたのは透だった。
 透は肩をびくつかせて、椅子から転げ落ちそうになる。結局、バランスを崩して、どてん、と土の上に尻もちをついてしまう。

「ご、ごめん! そんなにびっくりするなんて思わなかった!」

 驚かせるつもりは多いにあったのだけれど、こんなことになるとは。
 湿気ている土は制服にこびりついてしまう。急いで彼の手首を握りしめるが、もちろん非力な僕が大柄の彼を起すことなんてできない。だから、ひっぱったのに起き上がらない反動をうけて、今度は僕が透の上に転がり込んでしまう。
 痛みに備えて目を硬くつむったのに、柔らかで温かい何かに包まれる。梅雨の土の匂いではなくて、恋しいおひさまの匂いがする。おそるおそる瞼をあげると、白いものが見えて、顔をあげるとすぐそこに透が笑っていた。

「なんで依織先輩も転んでるんですか?」

 くふくふと笑いを堪えている控え目な笑い声と、とろりと溶けた瞳に身体がじゅわ、と熱を帯びる。

(かわいい…)

 大きな男子高校生に、しかも年下のアルファに、こんなことを思うのはおかしいと思う。自覚はしているが、透の無邪気そのままの笑顔と反応と、心が、僕にはたまらなく愛おしいものに見える。
 透が笑っていると、僕も勝手にくすくすと笑ってしまう。

 そうやって、透の澄んだ心が、温かな言葉が、柔らかい思いが、僕を孤独の海から救い上げてくれた。
 今、変わらずに笑っていて、生きていることを心地よく思えるのは、透がいたからだった。

「今日ね、透の好きなもの、作ってもらったんだ」

 泥をろくに叩かない透の代わりに背中の土をはたきながら、思わず言ってしまう。本当は、弁当箱を開けるまで秘密にしておこうと思っていたのに、あとちょっとを我慢できずに言ってしまった。振り向いた透の頬は紅潮していた。

「えっ、なんですか?」

 ふふ、と笑ってから、机の上にランチボックスを取り出す。桐峰の寮母はどこの棟も、とっても料理が上手だ。
 水色のチェック柄のバンダナを解く。透も身を乗り出して僕の手元を覗き込んだ。一度、顔をあげて透を見つめると、透もこちらを向いてくれて、二人で瞳を合わせる。透は期待で瞳が輝いていた。その純真さにほろりと心が温かくなって、顔がゆるむ。

「わあ! 西京漬けですか?!」
「なんと、京都から仕入れたものらしいです!」

 蓋を開くと、中からは黄金に光る味噌を纏わらせた銀鱈が現れる。両手を握りしめて、小さく上下に振る透は、大型犬が尻尾を振る姿に似ていた。
 白身魚が好きだという透は、両親の出身が関西であることもあり、西京漬けのタラが特別好物だと以前の会話で知っていた。

「依織先輩、覚えててくれたんですか?」

 高い鼻梁がこちらを指す。眦を染めた透は、嬉しそうに頬をゆるませながら聞いてきた。
 改めて、こんなに喜んでもらえると、今すぐにでも崩れ落ちてしまいたくなるくらい心底嬉しいのに、くすぐったい。

「うーん、まあね…」

 透のことなら、なんだって覚えている。
 こんなに野菜も、野草も詳しいのに、パクチーが苦手なこと。
 六人兄弟の長男であること。妹が二人に弟が三人。
 得意科目は理科。生物分野だと聞いて、だと思った! と笑い合った。
 短距離はそれほど速くないけれど、長距離はなかなか走れること。
 視力がめちゃめちゃいいこと。
 身長は僕より二十センチも高いこと。もちろん足のサイズも四センチ大きいこと。
 裁縫も得意だということ。
 行ってみたい国はオーストリア。
 他のくだらない話も、ちゃんと覚えている。英単語や歴代総理をあれだけ努力してようやく覚えたのに、透のことは、勝手に頭に刻み込まれていく。もちろん、忘れたくない。

「実は、僕も少しだけおすそ分けを持ってきました」
「えっ!」

 ベンチに並んで座ると、透はもじつきながら、いつも通りの大きいおにぎりが入っている巾着から、小さなタッパーを取り出した。

「この畑でとれた小松菜でお浸しを作ったんです。依織先輩の口にあえば良いのですが…」

 透が取り出した小さなタッパーが玉手箱のように豪華に見える。それから、控え目に蓋を取り外す。中には、青々とした小松菜がくったりとよく浸かっている姿で、きざみ海苔とゴマで化粧をして現れる。

「僕、食べても、いいの?」

 きれいな小松菜と透を何度も見き来して、透がはい、とうなずいたので、持ってきた箸を持って、手を合わせる。

「いただきます」

 小松菜に会釈をしてから、箸を持ち直してひとつまみ取る。静かに口の中に運ぶ。葉を噛み締めると、じゅわ、と出汁が広がる。鼻から抜ける香りは豊かでうっとりとする。葉も噛み締めていくと、甘みが出てくる。そこにゴマがアクセントになっていて、終わりの風味がまた深くなる。

「おいしい…!」

 思わず、こんなおいしいお浸しを作ったシェフに向き直ると、よかったあ、と眉を下げて手を叩いていた。

「すごいね…料亭出せるよ…」
「え、へへ…褒めすぎです…」

 頬を掻きながらまんざらでもなく笑っている透の表情は幼く見えて、僕も一緒に微笑んでしまう。
 秘密基地での、僕たちだけの時間は、穏やかで、温かで、優しくて。
 たった一人の大切な人を、思い切り独占できるこの場所は、僕にとってなくてはならない場所だった。




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