黄昏時に染まる、立夏の中で

麻田

文字の大きさ
上 下
2 / 63

第2話

しおりを挟む




 毎日の平穏から抜け出せずに、僕はふとした漠然とした黒い靄に包まれながら呼吸をするだけの生活だった。


 変動があったのは、葉桜が日差しを喜ぶ時期だった。

 図書室でテストに向けて勉強をする。生徒会活動のため遅れる彰を待つ、ただの時間つぶし。
 僕は受験をしない。だから、勉強なんて必要ない。それでも、暇つぶしだと言いながら、勉強をする僕は、まだ、何かを捨てられないのだと思う。
 そう考えて、溜め息をもらしていると、スマートホンが静かに振動する。内容は彰からのもので、もうすぐ終わるから昇降口で待ち合わせようという内容だった。生徒会室まで行こうかと提案するか悩んだが、以前、気を利かしたつもりと好奇心で迎えに行ったら、怜雅にいつものようになんだかんだと絡まれてしまい、彰が不機嫌になってしまった。それ以降、僕は生徒会室に近づくのを止めた。

(僕にとって、彰は大切な人だから…)

 嫌な思いはしてほしくない。
 大切な友達だから、いつも隣で笑っていてほしい。

 どんなに不安になっても、彰がいつも隣で笑いかけてくれた。
 彰は僕にとっての、太陽のような存在だった。彰がいれば、僕も笑っていいのだと思えて、自然と口角があがる。
 すっかり人がいなくなってしまった図書室を抜けて、渡り廊下を歩く。オレンジ色の日差しが差し込んできて、随分と日が伸びたのだと実感する。深呼吸をすると、青々とした自然の匂いがした。ざ、と風が吹くと心地よくて目を細める。さらりと頬を撫でられると気分が良くて、早く彰に会いたくなった。






「ねえ、彰」

 人の少なくなった、昇降口前の廊下を歩いていると、声が聞こえた。呼ばれた名前に足が止まる。

「僕、もう待てない」

 タイミングを逃してしまい、立ち聞きしてしまうことになってしまった。声をかけることも、逃げることも、なんだかできなかった。
 声の方に視線をやると、下駄箱越しに、彰の背中が見た。その目の前には、彰の親衛隊なるものの隊長をしている子だった。確か、同い年のオメガの子。瞳が大きくて、色素が薄く、小柄で愛くるしい見た目をした庇護欲をそそられる、とても人気のある生徒だった。彼が彰のことを大変慕っているのは、隣にいつもいる僕は知っていた。彰を見つけると嬉しそうに瞳を輝かせて声をかけて、頬を染めながら必死に話しかける健気さが愛おしいと思っていた。けれど、彼が時節見せる、僕への視線は冷たく鋭いものだった。
 彼は、彰の手首に細い指をかけて、上目で頬を赤くしている。

「僕、ずっと彰のことだけが、好きだよ」

 あ、と思った時には遅くて。
 僕は足音を消して、来た道を戻った。






(あ、上履きのままだ…)

 気づけば、渡り廊下から外に出て、いつもの帰り道を歩いているはずが反対の方向へと歩いてきてしまっていた。ローファーに履き替えもせずに。

(だって、ローファーは下駄箱だったから…)

 先ほどの光景が脳裏にこびりついて離れない。
 チワワのような潤んだ瞳を長い睫毛で伏せて隠してしまった彼は、小さな身体をめいっぱい背伸びをさせて、顔を寄せた。

(あれは…)

 キス、だ。
 彰が、オメガとキスをしていた。

(だからか)

 彼に向けられた視線の鋭さは、大好きな人と一緒にいたいのに僕が邪魔だったから向けてきた敵意だったのか。
 肩にかけていたスクールバックの紐を、握りしめた。

(教えてくれても、いいじゃないか…)

 付き合っている人がいるなら、教えてほしかった。

 喉の奥が、苦いような酸っぱいような味がして、胸が重くて、とにかく不快だった。頭もつんと痛むようで、眉間に皺を寄せてしまう。
 大好きで、大切な人である彰に、教えてもらえなかったせいなのだ。この寂寥感は。
 さらに、いつもの不安な黒い靄が大きく背中にのしかかってきて、立ち止まっていたら、全てのみ込まれてしまいそうな気がして、急いで足を進めた。とにかく、どこか、誰かいる場所に行かないと。飲み込まれてしまう。僕が、僕であるために、大切な何かを失ってしまう。
 広い学園の、知らない道を必死にかき分けていく。
 こめかみを冷たい汗がつたって、息があがる。いつの間にか走っていた僕は、足がもつれて、土の上で派手に転んでしまった。
 すぐに立ち上がって、寮の自室に帰りたいのに、身体が動かない。息がうまく吸えずに、視界がぼやけていく。頬を小さな砂利がこすれて、ずきりと鈍く痛む。

(僕だけ…)

 僕だけが、取り残されている。
 ずっと隣にいた彰も、もうキスをする相手がいて、思い合うような相手がいる。ずっと先に大人になっていた。
 寂しさと同時に、羨望も強く生まれている。
 自由に好きになれて、いいな、と。

 昔からある、おとぎ話では、お姫様には、好きになる王子様がいた。二人は相思相愛になって、手を取りながらキスをする。
 オメガである僕には、そんなアルファの相手がいつかできるのだと、何も知らない幼き頃は夢を見ていた。
 でも、僕には自由に恋愛をすることはできない。
 なぜなら、僕はオメガだから。

(なんで、生きているんだろう…)

 涙がだらだらと溢れて、土に沁み込んでいく。




 ふわり、と温かで柔らかいものに包まれた。
 優しくて温かい、おひさまの匂いがする。けれど、その奥に果実のような甘い魅惑的な香りがする。

「大丈夫ですか?」

 匂い通りの柔らかく、ゆったりと響く声がする。
 震える睫毛を持ち上げると、きらきらと光る宝石が見えた。何度かまばたきをしていると、それは瞳であることがわかって、優しく眦の下がった青年が眉根を寄せて僕を見下ろしていた。

「大丈夫ですか?」

 もう一度、声をかけられて、だんだんと意識が明瞭になっていく。
 目の前の青年に僕は抱きかかえられていた。

「あ…」

 初めて出会う人に抱き起されていて、すぐに逃げるべきだ。
 青年の肩を押すと、ジャージ越しでもわかる硬さで、びくともしなかった。それは、彼の身体が強いからなのか、僕の腕に力が入っていなかったからなのか。
 視線をあげると、夕焼けを浴びて淡く翡翠に輝くような瞳が、心配そうに揺れていた。

「どこか打ってませんか?」

 初対面にも関わらず、彼はただただ、僕を心配してくれているようだった。

 それが、今の僕には、とてつもなく、沁みた。

 大切な人が知らない世界を持ち、僕を置いて行ってしまったことも、未来への虚無感も、何もかもが彼の瞳を見ていると、溶け落ちていくようで、とろりと垂れるはちみつのように僕の心に沁み渡り、ほどけていく。
 目の前の広い胸元に額をつけて、くしゃりとジャージを握りしめた。彼は、どきり、と身体を硬直させたが、小さく嗚咽をもらしながら泣きじゃくる僕を見て、しばらくしてから、大きな手のひらで肩をゆったりと叩いてくれた。

 そうして、僕と彼は出会った。
 黄昏時に染まる、立夏の前で。





しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!

梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!? 【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】 ▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。 ▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。 ▼毎日18時投稿予定

【完結】別れ……ますよね?

325号室の住人
BL
☆全3話、完結済 僕の恋人は、テレビドラマに数多く出演する俳優を生業としている。 ある朝、テレビから流れてきたニュースに、僕は恋人との別れを決意した。

花婿候補は冴えないαでした

BL
バース性がわからないまま育った凪咲は、20歳の年に待ちに待った判定を受けた。会社を経営する父の一人息子として育てられるなか結果はΩ。 父親を困らせることになってしまう。このまま親に従って、政略結婚を進めて行こうとするが、それでいいのかと自分の今後を考え始める。そして、偶然同じ部署にいた25歳の秘書の孝景と出会った。 本番なしなのもたまにはと思って書いてみました! ※pixivに同様の作品を掲載しています

平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです

おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの) BDSM要素はほぼ無し。 甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。 順次スケベパートも追加していきます

元ベータ後天性オメガ

桜 晴樹
BL
懲りずにオメガバースです。 ベータだった主人公がある日を境にオメガになってしまう。 主人公(受) 17歳男子高校生。黒髪平凡顔。身長170cm。 ベータからオメガに。後天性の性(バース)転換。 藤宮春樹(ふじみやはるき) 友人兼ライバル(攻) 金髪イケメン身長182cm ベータを偽っているアルファ 名前決まりました(1月26日) 決まるまではナナシくん‥。 大上礼央(おおかみれお) 名前の由来、狼とライオン(レオ)から‥ ⭐︎コメント受付中 前作の"番なんて要らない"は、編集作業につき、更新停滞中です。 宜しければ其方も読んで頂ければ喜びます。

僕の番

結城れい
BL
白石湊(しらいし みなと)は、大学生のΩだ。αの番がいて同棲までしている。最近湊は、番である森颯真(もり そうま)の衣服を集めることがやめられない。気づかれないように少しずつ集めていくが―― ※他サイトにも掲載

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

見ぃつけた。

茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは… 他サイトにも公開しています

処理中です...