拗れた初恋の雲行きは

麻田

文字の大きさ
上 下
74 / 80

第74話

しおりを挟む




「七海が怖い…」

 目の前の大男は、自分を抱きしめるように腕を握りしめていた。

「七海に会うのが怖い…俺のせいで傷つく七海の顔を見たくない…」

 固く目をつむり、今にも消え入りそうな声で佳純は囁いた。俺でさえ、あの貼り付けた笑顔に気づいてしまうくらいだ。親密な仲だった佳純にとってみれば、もっと思うことがあるだろう。

「…お前、どうやってでも七海を離さないとか言ってなかった?」

 佳純が恐れていることは、俺もわかっていた。
 大好きな人が、自分のせいで傷ついているような顔をするって、すごくつらいことだと想像がつく。それでも。それでも。

「七海が、お前に言ったのか?一緒にいたくないって。一緒にいるとつらいって」

 佳純は、く、と顔に力をいれて歪めてから、さらにうなだれた。七海が、そんなことを言うはずがないとわっているから、俺はそう言葉にできた。七海も、佳純も、どう見たって相違相愛で、ただバース性によって、今は虐げられているだけだ。

「じゃあ、七海を手放してやれよ」
「無理だ」

 言いたくはなかったことをぶつけると、佳純は項垂れていた頭をすぐに起こして、必死の形相で俺に叫んだ。は、と気づいて、佳純は目線をそらしたが、俺は心の奥で安堵していた。

「お前があんな寂しいとこに閉じ込めておくなら、違うアルファに幸せにしてもらえよ」

 そこまで言うと、佳純は、か、と目を見開いて、俺の胸倉を強い力で握りしめた。佳純がこんなに激しい気持ちをぶつけてくるのは、初めてかもしれない。しかし、俺も引けない。大切な友達である七海を、腐れ縁だが兄弟のように思える佳純を、幸せにするには、もう誰かの後押しがないとだめだからだ。

「ふざけんな…」
「ふざけてんのは、お前だろうが」

 低く唸りながら、俺を睨みつける佳純を冷静にじっと見返す。

「あそこにさえいれば、七海は安全だ。誰かに傷つけられることも、攫われることもない」
「それで、七海の笑顔を奪って満足か?」

 佳純があの屋敷に七海を療養させているのは、こういうわけだったのか。
 本当であれば、大きな病院で入院しながら容態を整えるのが一番だと思っていた。わざわざ医者をあそこまで呼び寄せて、倍の金額を包んでいることは非効率的に見えた。あれは、佳純の巣の中で、伴侶を守ることが目的だったようだ。
 しかし、そう言葉を返すと、みるみる内に佳純の怒気はしおれていった。

「本当に、それ、守ってることになんのか?お前の…自己満足じゃねえのか?」
「ちが…」
「だから、後ろめたくて、会えなくなってんじゃねえのか?

 違う…と、か弱く佳純は否定したが、まったく気持ちがこもっておらず、小さく震えているようにさえ見えた。高い位置にある胸倉をつかんで、引き寄せる。青白い顔をして、目を見はった佳純に怒鳴りつける。

「本当に大切に思ってんなら、ここにいんじゃねえよ!さっさと帰って、隣にいてやれよ!」

 息荒く、まっすぐに瞳を捉えて見つめ合うと、佳純の瞳に光が戻ってくるように見えた。手をほどいて、胸板をどん、と押した。簡単によろける芯のない身体にがっかりしながらも、急いで机の上のものをすべて佳純のかばんに入れていく。ぱんぱんになったそれを押し付ける。

「選べ。ここに籠って七海を泣かせるか、いますぐこれを持って七海のもとへ行くか」

 俺と、渡されたかばんを交互に見て、佳純はしばらく黙ったあと、無言で生徒会室を出て行った。
 近くにあったソファに身体を落すと、思ったよりも柔らかで沈んだ。はあ、と奥底から溜め息をつくと、身体が緊張していたことがわかった。
 やっぱり、佳純とは言えども、アルファと対峙するのはエネルギーを使うもんだ、と天井をあおいだ。ぬ、と理央が俺の視線を遮るように顔を覗かせた。

「先輩、かっこよかったです」

 にっこりと理央が明るくそう言ってくれるもんだから、ほ、と心が温かくなった。手を伸ばして、頬をすり、と撫でると、理央は嬉しそうに笑みを深めた。その手を、大きな手のひらが包んで体温を分けてくれる。そのまま手を促し、俺はソファに身を乗り出す。背もたれ越しに、理央は望んだ通りに俺を抱きしめてくれる。ふわ、と甘い理央の匂いがして、身体の芯がほぐれていくのがわかる。理央は甘やかすように、頬を擦り寄せたり、背中を撫でたりする。それが心地よくて、目を閉じてうっとりと身を任す。

「りん先輩、えらい…友達のためにあんなに頑張れて、えらいよ」

 優しい理央の声が、そっと耳元に寄せられて、甘く囁かれる。そして、時たま、くすぐるように耳元に唇が吸い付いて、むずむずとしてしまう。

「好き、もっと好きになった…俺の隣にもずっといてね」

 アルファとオメガは、ベータ同士の恋愛よりも、非情に面倒くさいと思ってしまった。バース性の呪いだとも。しかし、その面倒くささを乗り越えるから、あの深い愛の象徴として語られるのだろうか。だとしたら、それには、オメガもベータも関係ないと思う。
 俺だって、何度も理央と離れようとした。理央を傷つけた。それでも、理央は俺を慰めてくれたし、俺を追いかけてくれた。この前だって、仲違いしかけたけれど、理央は俺の手を離さなかった。だから、もっと心を寄せ合うことができた。だから、バース性なんか関係ない。俺たちが、お互い、人として、どれだけその手を握ることにこだわるか、諦めないかが重要なのではないかと理央の腕の中で思いをはせた。

「理央、ありがと」

 理央が俺の後ろではらはらしながらも、ぐっとこらえて、俺を信じて見守ってくれていた。理央が後ろにいるという安心感も俺の背中を押してくれた。別に一人だって、同じことは言えたいし、同じことはしていたと思う。佳純が、どんなことをしても許してくれると俺はわかっていたからだ。なぜなら、俺の行動の原因は佳純にあって、七海を守ることだからだ。賢い佳純は、それだってわかっている。腐れ縁というものは、そういうことまで計算させてしまう。
 それでも、理央が俺の背中を支えてくれているというのは、心を豊かにさせた。佳純に伝えた言葉にも、理央が教えてくれたことがたくさんつまっている。きっと、理央と出会えていなかったら、こんなこと、言えなかっただろう。佳純を動かせたかもわからない。
 首筋に、甘く吸い付くと、理央は匂いを濃くする。頭が、ぽや、と鈍るほどの匂いに急いで背中を叩く。

「おい、出しすぎ」

 これじゃ、近くにオメガがいたら事件になっちまうよ。と笑いながら伝えると、理央はぎゅうぎゅう俺を抱きしめた。

「だって、先輩のこと、好きすぎるんだもん」

 無理…と言いながら、また匂いを出す。ベータの俺が、ぽやっとしてしまうくらいだ。オメガがいたら自我を失って理央を求めてしまうだろう。無意味だが、手を扇のようにぱたぱたと振り、空気を霧散させてみる。俺を求めて、本能的に溢れるフェロモンに、反応してやれない自分の身体を恨めしく思い、俺は眉を寄せて笑った。



しおりを挟む
感想 38

あなたにおすすめの小説

【完結】選ばれない僕の生きる道

谷絵 ちぐり
BL
三度、婚約解消された僕。 選ばれない僕が幸せを選ぶ話。 ※地名などは架空(と作者が思ってる)のものです ※設定は独自のものです

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜

ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。 そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。 幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。 もう二度と同じ轍は踏まない。 そう決心したアリスの戦いが始まる。

この噛み痕は、無効。

ことわ子
BL
執着強めのαで高校一年生の茜トキ×αアレルギーのβで高校三年生の品野千秋 α、β、Ωの三つの性が存在する現代で、品野千秋(しなのちあき)は一番人口が多いとされる平凡なβで、これまた平凡な高校三年生として暮らしていた。 いや、正しくは"平凡に暮らしたい"高校生として、自らを『αアレルギー』と自称するほど日々αを憎みながら生活していた。 千秋がαアレルギーになったのは幼少期のトラウマが原因だった。その時から千秋はαに対し強い拒否反応を示すようになり、わざわざαのいない高校へ進学するなど、徹底してαを避け続けた。 そんなある日、千秋は体育の授業中に熱中症で倒れてしまう。保健室で目を覚ますと、そこには親友の向田翔(むこうだかける)ともう一人、初めて見る下級生の男がいた。 その男と、トラウマの原因となった人物の顔が重なり千秋は混乱するが、男は千秋の混乱をよそに急に距離を詰めてくる。 「やっと見つけた」 男は誰もが見惚れる顔でそう言った。

欠陥αは運命を追う

豆ちよこ
BL
「宗次さんから番の匂いがします」 従兄弟の番からそう言われたアルファの宝条宗次は、全く心当たりの無いその言葉に微かな期待を抱く。忘れ去られた記憶の中に、自分の求める運命の人がいるかもしれないーー。 けれどその匂いは日に日に薄れていく。早く探し出さないと二度と会えなくなってしまう。匂いが消える時…それは、番の命が尽きる時。 ※自己解釈・自己設定有り ※R指定はほぼ無し ※アルファ(攻め)視点

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

【完結】最初で最後の恋をしましょう

関鷹親
BL
家族に搾取され続けたフェリチアーノはある日、搾取される事に疲れはて、ついに家族を捨てる決意をする。 そんな中訪れた夜会で、第四王子であるテオドールに出会い意気投合。 恋愛を知らない二人は、利害の一致から期間限定で恋人同士のふりをすることに。 交流をしていく中で、二人は本当の恋に落ちていく。 《ワンコ系王子×幸薄美人》

当たり前の幸せ

ヒイロ
BL
結婚4年目で別れを決意する。長い間愛があると思っていた結婚だったが嫌われてるとは気付かずいたから。すれ違いからのハッピーエンド。オメガバース。よくある話。 初投稿なので色々矛盾などご容赦を。 ゆっくり更新します。 すみません名前変えました。

目立たないでと言われても

みつば
BL
「お願いだから、目立たないで。」 ****** 山奥にある私立琴森学園。この学園に季節外れの転入生がやってきた。担任に頼まれて転入生の世話をすることになってしまった俺、藤崎湊人。引き受けたはいいけど、この転入生はこの学園の人気者に気に入られてしまって…… 25話で本編完結+番外編4話

処理中です...