拗れた初恋の雲行きは

麻田

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第74話

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「七海が怖い…」

 目の前の大男は、自分を抱きしめるように腕を握りしめていた。

「七海に会うのが怖い…俺のせいで傷つく七海の顔を見たくない…」

 固く目をつむり、今にも消え入りそうな声で佳純は囁いた。俺でさえ、あの貼り付けた笑顔に気づいてしまうくらいだ。親密な仲だった佳純にとってみれば、もっと思うことがあるだろう。

「…お前、どうやってでも七海を離さないとか言ってなかった?」

 佳純が恐れていることは、俺もわかっていた。
 大好きな人が、自分のせいで傷ついているような顔をするって、すごくつらいことだと想像がつく。それでも。それでも。

「七海が、お前に言ったのか?一緒にいたくないって。一緒にいるとつらいって」

 佳純は、く、と顔に力をいれて歪めてから、さらにうなだれた。七海が、そんなことを言うはずがないとわっているから、俺はそう言葉にできた。七海も、佳純も、どう見たって相違相愛で、ただバース性によって、今は虐げられているだけだ。

「じゃあ、七海を手放してやれよ」
「無理だ」

 言いたくはなかったことをぶつけると、佳純は項垂れていた頭をすぐに起こして、必死の形相で俺に叫んだ。は、と気づいて、佳純は目線をそらしたが、俺は心の奥で安堵していた。

「お前があんな寂しいとこに閉じ込めておくなら、違うアルファに幸せにしてもらえよ」

 そこまで言うと、佳純は、か、と目を見開いて、俺の胸倉を強い力で握りしめた。佳純がこんなに激しい気持ちをぶつけてくるのは、初めてかもしれない。しかし、俺も引けない。大切な友達である七海を、腐れ縁だが兄弟のように思える佳純を、幸せにするには、もう誰かの後押しがないとだめだからだ。

「ふざけんな…」
「ふざけてんのは、お前だろうが」

 低く唸りながら、俺を睨みつける佳純を冷静にじっと見返す。

「あそこにさえいれば、七海は安全だ。誰かに傷つけられることも、攫われることもない」
「それで、七海の笑顔を奪って満足か?」

 佳純があの屋敷に七海を療養させているのは、こういうわけだったのか。
 本当であれば、大きな病院で入院しながら容態を整えるのが一番だと思っていた。わざわざ医者をあそこまで呼び寄せて、倍の金額を包んでいることは非効率的に見えた。あれは、佳純の巣の中で、伴侶を守ることが目的だったようだ。
 しかし、そう言葉を返すと、みるみる内に佳純の怒気はしおれていった。

「本当に、それ、守ってることになんのか?お前の…自己満足じゃねえのか?」
「ちが…」
「だから、後ろめたくて、会えなくなってんじゃねえのか?

 違う…と、か弱く佳純は否定したが、まったく気持ちがこもっておらず、小さく震えているようにさえ見えた。高い位置にある胸倉をつかんで、引き寄せる。青白い顔をして、目を見はった佳純に怒鳴りつける。

「本当に大切に思ってんなら、ここにいんじゃねえよ!さっさと帰って、隣にいてやれよ!」

 息荒く、まっすぐに瞳を捉えて見つめ合うと、佳純の瞳に光が戻ってくるように見えた。手をほどいて、胸板をどん、と押した。簡単によろける芯のない身体にがっかりしながらも、急いで机の上のものをすべて佳純のかばんに入れていく。ぱんぱんになったそれを押し付ける。

「選べ。ここに籠って七海を泣かせるか、いますぐこれを持って七海のもとへ行くか」

 俺と、渡されたかばんを交互に見て、佳純はしばらく黙ったあと、無言で生徒会室を出て行った。
 近くにあったソファに身体を落すと、思ったよりも柔らかで沈んだ。はあ、と奥底から溜め息をつくと、身体が緊張していたことがわかった。
 やっぱり、佳純とは言えども、アルファと対峙するのはエネルギーを使うもんだ、と天井をあおいだ。ぬ、と理央が俺の視線を遮るように顔を覗かせた。

「先輩、かっこよかったです」

 にっこりと理央が明るくそう言ってくれるもんだから、ほ、と心が温かくなった。手を伸ばして、頬をすり、と撫でると、理央は嬉しそうに笑みを深めた。その手を、大きな手のひらが包んで体温を分けてくれる。そのまま手を促し、俺はソファに身を乗り出す。背もたれ越しに、理央は望んだ通りに俺を抱きしめてくれる。ふわ、と甘い理央の匂いがして、身体の芯がほぐれていくのがわかる。理央は甘やかすように、頬を擦り寄せたり、背中を撫でたりする。それが心地よくて、目を閉じてうっとりと身を任す。

「りん先輩、えらい…友達のためにあんなに頑張れて、えらいよ」

 優しい理央の声が、そっと耳元に寄せられて、甘く囁かれる。そして、時たま、くすぐるように耳元に唇が吸い付いて、むずむずとしてしまう。

「好き、もっと好きになった…俺の隣にもずっといてね」

 アルファとオメガは、ベータ同士の恋愛よりも、非情に面倒くさいと思ってしまった。バース性の呪いだとも。しかし、その面倒くささを乗り越えるから、あの深い愛の象徴として語られるのだろうか。だとしたら、それには、オメガもベータも関係ないと思う。
 俺だって、何度も理央と離れようとした。理央を傷つけた。それでも、理央は俺を慰めてくれたし、俺を追いかけてくれた。この前だって、仲違いしかけたけれど、理央は俺の手を離さなかった。だから、もっと心を寄せ合うことができた。だから、バース性なんか関係ない。俺たちが、お互い、人として、どれだけその手を握ることにこだわるか、諦めないかが重要なのではないかと理央の腕の中で思いをはせた。

「理央、ありがと」

 理央が俺の後ろではらはらしながらも、ぐっとこらえて、俺を信じて見守ってくれていた。理央が後ろにいるという安心感も俺の背中を押してくれた。別に一人だって、同じことは言えたいし、同じことはしていたと思う。佳純が、どんなことをしても許してくれると俺はわかっていたからだ。なぜなら、俺の行動の原因は佳純にあって、七海を守ることだからだ。賢い佳純は、それだってわかっている。腐れ縁というものは、そういうことまで計算させてしまう。
 それでも、理央が俺の背中を支えてくれているというのは、心を豊かにさせた。佳純に伝えた言葉にも、理央が教えてくれたことがたくさんつまっている。きっと、理央と出会えていなかったら、こんなこと、言えなかっただろう。佳純を動かせたかもわからない。
 首筋に、甘く吸い付くと、理央は匂いを濃くする。頭が、ぽや、と鈍るほどの匂いに急いで背中を叩く。

「おい、出しすぎ」

 これじゃ、近くにオメガがいたら事件になっちまうよ。と笑いながら伝えると、理央はぎゅうぎゅう俺を抱きしめた。

「だって、先輩のこと、好きすぎるんだもん」

 無理…と言いながら、また匂いを出す。ベータの俺が、ぽやっとしてしまうくらいだ。オメガがいたら自我を失って理央を求めてしまうだろう。無意味だが、手を扇のようにぱたぱたと振り、空気を霧散させてみる。俺を求めて、本能的に溢れるフェロモンに、反応してやれない自分の身体を恨めしく思い、俺は眉を寄せて笑った。



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