拗れた初恋の雲行きは

麻田

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第66話

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 風呂を上がった佳純は、顔色を幾分かましにさせていた。その後、執事に頼んで腹に優しい食事をつくってもらい、一緒に食べた。食べ終えると、佳純がうとうととしだしたので、寝室で寝るよう声をかけるが、ここを離れたくないと言って聞かなかったので、近くのソファで睡眠をとらせた。佳純が目を覚ましたのは、日もすっかり暮れた頃で、よく寝た、とまだクマは残るものの、出会った頃よりも断然すっきりした顔で、ほっと胸を撫でおろした。
 遅いから泊まっていけ、という佳純の提案を丁寧に断って、また今度来ると、七海と佳純に挨拶をして、別荘を後にした。本当は、ここに泊まって、明日も佳純の世話を焼きたかったが、理央に会いたいという自分の本能に従ってしまった。
 最寄り駅についた頃、九時を回っていたが、理央にメッセージを送ってみる。すぐに既読がついて、駅まで行くからまつてめ、と急ぎ過ぎて誤字と化しているメッセージに笑う。仕方なしに、改札口を出たところで待っていると、十分程度で自転車を立ちこぎで爆速でやってくる理央を見つけた。ぎいぎいと変な音を立てるおんぼろ自転車だったが、理央はそれを無理やりこいで、汗だくのパーカーとスウェット姿でやってきた。

「ごめん、わがまま言って…」

 会いたいと送ったメッセージにすぐに反応をくれた。その事実だけで、もう満足していたのに、やっぱり実際に目の前で彼を感じると、身体全身が嬉しいと歓喜してざわついているのがわかる。

「好きな人に会いたいって言われて、喜ばないやついる?」

 わがまま言ってもらえて嬉しい、と理央は汗をだらだら流しながら、とろけるように笑った。その幸せそうな笑顔に、胸がきつく締めあげられて、つい泣きそうになってしまった。
 この愛しいアルファを、オメガに盗られたら、どうしよう。
 運命の番、というのは、もう理性では叶わないほど、惹かれ合うらしい。それに出会った時、理央は、俺の手を今のように握りしめたままでいてくれるだろうか。
 隣を歩く男の顔を見上げると、簡単に視線を絡ませてくれる。そして、甘く微笑みかけてくる。理央の隣では、悲鳴をあげながら自転車がタイヤを回す。

「どうしたの、泣きそうな顔して」

 そろ、と手をつないだまま、手の甲が俺の頬を撫でた。何かあった?と首をかしげながら、心配そうに理央は尋ねてきた。

「なあ、理央は…運命の番を、信じる?」

 はた、と足を止めた俺の隣にぴったりと理央は寄り添ってくれる。

「信じますよ」

 そのはっきりとした言葉に、がん、と頭が痛んだ。見上げると、理央はなぜかにこにこ笑っていた。

「だって、俺の運命は、りん先輩だから」

 頬を染めながら、愛らしく理央は笑っている。それに、眉を寄せて苦々しく聞き返してしまう。

「違うだろ、俺はベータだ。番ってのは、オメガと…」

 言い切る前に、心臓がつぶれそうに痛んで、俯いてしまった。

「番って、オメガとでないとだめなんですか?」

 理央は、心底不思議そうに眉を歪めながら聞き返してきた。

「え、だって、アルファとオメガしか、番ってのは結べないわけで…」
「そんなの誰が決めたんですか?」
「いや、この前、病院の先生だって言ってただろ?アルファとオメガは遺伝子で…」
「俺の身体のことくらい、俺が一番わかってます」

 たんたんと理央は俺の問いに、不思議そうな顔をしながら答える。勉強もできる彼は、本当はわかっているはずだ。でも、理央は、俺の言葉を絶対に肯定しなかった。

「俺の細胞が、この人が運命だ~って、りん先輩のことを見つけ出したんです」

 だから、りん先輩が俺の運命です。
 そう自信満々に微笑む理央に、いつもの俺だったら、笑えただろう。
 しかし、本多と大崎のやったこと、七海と佳純を目の当たりにして、俺は笑えなかった。

「でも、っ、…でも、理央の前に、運命の番のオメガが現れたら…」

 俺は、どうすればいいんだ。
 すがるように、手をきつく握りしめる。目頭が熱い。下唇を食いしばって耐える。
 がしゃん、と音がして肩をすぼめる。視線を動かすと、自転車が倒れて、からからとタイヤが回っていた。すると、ぽんぽん、と優しく頭を撫でられる。何度も。

「現れません」

 そうはっきり柔らかい声で告げる理央を、俺は無慈悲だと思った。

「そんなわけ、ないだろ…っ」
「現れません」

 ぎり、と歯を食いしばって、顔を上げた。理央は、嬉しそうに笑っていて、目を見張る。頭を撫でていた手が頬を撫でる。そして、噛んでいた下唇を優しくなぞる。ちゅ、とそこに理央が吸い付いた。

「俺が、そんな簡単に先輩を手放すと思います?」

 微笑む理央から視線を外す。

「…俺には、わからない…」

 運命のアルファとオメガというものの惹きあう力は、ベータの俺にはわからない。しかし、今まで見てきたアルファとオメガを見ていると、それはきっと凄まじい引力なのだろうと思われた。頭上で、ん~と唸りながら、大きく溜め息をついた理央に、どきりとする。

「じゃあ、先輩は俺のこと、そんな簡単に手放せるの?」

 それは、と顔を起こすと、さっきまで笑っていた理央は、頬を緩めているが、眉を寄せて、苦しそうだった。それを見て、鼻の奥がつんと強く痛んだ。
 アルファにとって、番であるオメガを盗られることは、とてつもなく苦しいことだろう。それは、佳純を見ればよくわかる。自信家で無表情で、こだわりのない佳純が、あれだけ憔悴しきっていた。それだけ、運命と離れるということは苦しいのだろう。それを思うと、理央と運命を一緒にいさせることが、彼を本当に幸せにする方法なのだと思う。そう、頭ではわかっているのに。
 熱い身体に、ぎゅうと、力の限りをつくして、きつく抱き着いた。言葉にする勇気はなかった。彼を縛り付けてしまうようで。
 でも、それだけでも、理央には伝わったらしく、優しく腕の中に包みこんでくれる。

「もし俺が、ふらふらそっちに着いてったら、先輩がいつもみたいにビンタして蹴り飛ばして、引きずり戻してね」

 ふふ、とすぐ傍で温かい声色と共に吐息が流れ込んできた。

「んなこと、できねえよ…」

 運命と引きはがすなんて残忍なこと、ベータの男ができるはずがない。
 胸元で苦し気にそうつぶやくと、理央は、え~っと不貞腐れた。何も答えずに、せっけんと、ほんのり汗と、柔らかい理央の甘い匂いに顔を押し付けた。理央は俺の頭を撫でて、あやすように甘やかした。

「大丈夫、それくらい出来るように、先輩のことメロメロにさせるから」

 耳をくすぐるように撫でられて、むずむずして身体を緩めると、顎を持ち上げられて、瞳を捉えられる。俺の濡れた眦にキスを落してから理央は頬を染めながら甘く微笑んだ。

「理央が俺のものにならないなら理央を殺して俺も死ぬ~!ってくらい愛させるから、安心して」

 ね?と首をかしげながら、理央は俺を抱きしめたまま、左右に揺れる。本当に赤ちゃんをあやすようで、む、と口をへの字に曲げるが、理央は構わず笑っていた。

「んな物騒なこと、絶対言わねえよ…」

 されるがままになりながら、そう言い返すと、いつもの調子に戻ってきた、と理央は、くすくす笑った。その後、動きを止めて、じい、と俺の瞳を見下ろしながら、にこりと目を細めた。

「いくらでも聞くし、いくらでも説得するから、そうやって不安なことは、全部教えてね」

 ん~、と理央は唇を押し当ててきた。
理央に言われて、ようやく自分の気持ちが見えた。そうか、俺、不安だったんだ。
 海智と付き合っているときは、全部飲み込んでいたものを、理央は嬉しそうに受け止めて、溶かしてくれた。ほろほろと心がほぐれて、溶けていく。
 離れた唇を追いかけて、軽く吸い付いた。一瞬、目を見開いた理央は、頬を染めて、にこにこと笑う。ようやく、俺も、一緒に微笑むことができた。
 すると、もう一度唇を寄せてきた理央の顎を押し返す。

「うへえ…なんでぇ…今、すっごいいい雰囲気だったじゃん…」

 恨み言をこぼす理央から距離をとって、こほん、と咳払いを一つした。自転車を起してやる。

「外だから」

 からからと自転車を押しながら、先を歩く。後ろからすぐに理央が追ってきて隣に並ぶ。

「え~!今までしてきたじゃん~!」
「わいせつ罪で捕まるわ」

 自転車のざらついたハンドルを握る手の上に、大きな手のひらが乗せられる。視線をあげると、理央がまっすぐに熱のこもった目で俺を見ていた。

「ねえ、先輩。次の休み、外に泊まらない?」

 う、と息を飲んだ。直接的な誘いに驚くが、理央は顔を赤くして真摯に告げてきた。つまり、そういうこと、だよな。
 別に、処女でもないし、こいつも童貞ではない。だから、大切にしよう、なんてことは別に男だし、思わない。それに、好きな相手から、まっすぐに求められることは嬉しいと思う。とくとくと喜ぶ心臓を押さえて、顔をそらす。

「それは、ちょっと待って…」
「どうして?」

 すぐに言葉を返してきた理央に、なんだか必死さを感じてしまい、ふ、と小さく笑ってしまった。顔を上げると、予想通り、眉根を寄せて困惑気味の理央がいた。

「ごめん、理央が嫌とかじゃなくて、佳純の件が落ち着くまで、そういうのは控えたい」

 小さくなった幼馴染の背中をみて、自分だけ幸せを楽しんではならないと思った。
 そのことを拙いながらに伝えると、理央は、眉を寄せながら、う~んう~ん、と帰り道、ずっと唸りながらも、寮が見えたときに、小さく、わかりました、と唱えた。

「恋人の大切な人は、俺にとっても大切な人ですから」

 と、眉間に皺をよせて、拳を握りながら言う理央は、全然納得のいく顔をしていなくて、おもしろかった。くす、と笑ってから、その頬に唇で吸い付いた。

「ありがとう、俺の大好きな彼氏くん」

 頬を染めながら微笑みかけると、理央は少し驚いてから、唇を尖らして、もっと…と強請った。それを甘やかしてしまうから、俺は大層惚れているのだと思う。


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