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第50話
しおりを挟む風呂で散々泣いた俺の顔は、見事にむくみあがっていた。もう瞼は半分も開かない。風呂から出た俺を、理央は笑うでもなく心配するでもなく、優しく微笑んだ。
「冷蔵庫にアイスあります。風呂上がりにどうです?」
「…たべる」
それを嬉しそうに笑って、ソファに座った俺に、木のスプーンと共に渡して、本人は風呂に行ってしまった。残された俺は、シャワー音を後ろにスプーンでバニラアイスを掬って食べた。バニラビーンズがしっかりと入った本格的な味に、ふわりとバニラの香りがしっかりと立つ。二口食べて、机に置いてしまう。膝を抱えて蹲る。
がちゃ、とドアが開いた音がする。
「あれ、溶けちゃいましたよ」
顔をあげると、アイスカップは机の上で液体と化していた。バニラ嫌いでした?と後ろから声かけられて、目線を送ると、濡れた髪の毛をがしがしと乱暴にバスタオルで拭う理央が、きょとんとした顔でこちらを見下ろしていた。
「嫌いじゃないけど、においが…」
「におい?」
カップを持ち上げて、くんくんと鼻を鳴らす理央は首をかしげた。その姿を見ていると、同じナイトウェアのはずなのに、様になっている。俺だと、大きいワンピースを着せられた子供のように見えて不格好だったが、手足の長い理央が着ると、なんだか…
「もう寝る」
考えを打ち消すように頭を振って、そう言うと理央は、ぺろりと溶けたアイスを一舐めしていた。理央にむけて手を伸ばすと、眦を下げ頬をゆるめて、しかたないなあ、と理央は嬉しそうに言った。身をかがめて降りてきた首に腕を回して、ぎゅと抱き着くと、よっ、と理央が声を漏らすと、軽々と俺を抱き上げて、ベッドに優しく降ろしてくれた。瞼を降ろして、すん、と鼻に集中すると、せっけんの香りの奥に、理央の匂いを見つける。しばらくそうしていると、くすぐったそうに理央が身を離そうとする。急いで、抱き着きなおして、ベッドに引き込む。
「りん先輩、どうしたの?」
「もう寝るんだよ」
「でも、俺、髪乾かさないと…」
「今日くらい大丈夫だろ?」
なんだかんだと言う理央に、ぎゅう、と抱き着きながら言い返すと、くすくす笑って、はいはい、と理央は観念して、掛け布団を剥がして、その中に一緒に入ってくれた。ベッドヘットにあるライトボタンを操作する理央の首筋は、しっかりと彫り深く、かっこよかった。こっそりなぞると、びくっと驚いて、睨みつけてきた。子猫のような反応で面白くて、くすくす笑うと理央も微笑んだ。
ベッドフットのみ、ほんのりと暖色のライトが照らすように設定してから、理央が布団の中にもぐる。腕をあげさせて、その上に頭を落して、ぴったりとくっつく。
「今日の先輩、子供みたい」
理央は最初、ためらうような素振りを見せたが、小さく溜め息をつくと、抱き寄せてくれた。たくましい身体に頬を擦り寄せると、ふわ、と甘い匂いがする。
「たまにはいいだろ?」
胸元でふふん、と笑うと、温かい身体に包まれる。
「まあ、たまにだったら」
やっぱり、たまにじゃなくてもすっごくいいです、と囁く理央に、どっちだよと言いたかったけれど、頭がほわほわとしてきて、軽く笑うことしかできなかった。
理央の腕の中は落ち着く。
なんでこんなに、ぐっすりと眠れるのだろう。
ずっと、ここにいたいと心から思ったら、涙がこぼれた。
「もう行っちゃうんですか?」
昨日のうちに理央がホテルのクリーニングサービスに出しておいてくれた制服に袖を通し、ネクタイを結ぶ。
「一日休んでしまったからな。その分、働かないと」
洗面台の鏡の前でネクタイをしっかり結び、寝ぐせの確認をする。後ろに立っている男は、寝ぐせがまだ荒れ放題で、目も開いていない。
「朝飯頼んでおくから、お前も準備しろ」
目の前に立って、高い位置にある顔を両手で挟む。ぐにぐにと俺に端正な顔を遊ばれながら、むーと唸っている。ふふ、と穏やかに笑える自分に安心した。
また、理央に助けられてしまった。
昨日、あれほど残酷な現実を押し付けられてしまい、心が崩壊していくのがわかった。それでも、今日の朝を気持ちいいと思えて、背筋を伸ばせるのは、理央がその心をつなぎ合わせてくれたからだ。
なんて自分は恵まれているんだ、と思う。
こんなに優しくて、温かい…後輩を持てて。
後輩、という言葉に、胸がちく、と引っかかった。なんだろう、と首を傾げながら、フロントへ電話をする。その間にも、ぐう、と腹の虫が今日も元気に鳴いた。
和食御膳をぺろっと食べて、二人して部屋を出た。チェックアウト、と言うと、理央は済ませたよと笑って、肩を抱いてホテルを後にした。ホテル王のような素振りに俺も笑ってしまった。優しい後輩に甘えておこう。今度、何かお礼をしないと。
学校へは運動だ~と言って、ふたりでせっせと小一時間ほどかけて歩いて行った。気候も悪くなかったし、理央が色々な話をしてくれて、笑っているうちについてしまった。
風紀室に入ると、笹野と奥野がいた。
「先輩~!」
俺を見つけると、笹野は飛びついてきた。おっと、と後ろに傾くが、ぽん、と背中が理央に当たる。
「こら、ささちん、危ないでしょっ」
めっ、と笹野に理央が言うと、笹野は涙目で俺を見つめた。
「無事でよかったでずううう」
ぼろぼろと泣く笹野の頭を撫でる。
「またドジ踏んじまった、心配させて悪かったな」
ぺろ、と舌を出してから笑うと、笹野も笑う。
「奥野も、迷惑かけたな、すまない」
「謝るくらいなら、もう理央くんとずっと一緒にいて」
接着剤でつけておいて、と言う奥野の言葉に、後ろから、いいですねそれ、と真剣な声が聞こえてきて、悪知恵を与えるな、と奥野を睨みながら、目の前に腰を下ろす。
「それで、昨日は…」
奥野が心配そうな面持ちで話を切り出す。
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