拗れた初恋の雲行きは

麻田

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第45話

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 バキィッ、と鈍い金属音が響く。ただ何かを考えられる余裕はなくて、酸欠でふらつく頭は意識を飛ばそうとしている。

「ふげっ」

 情けない男の呻き声が聞こえて、轟音が辺りに響く。口元が楽になり、急に酸素が流れ込み、咳き込む。その勢いで、溜まっていたものを辺りに零してしまう。食道が焼けるように熱く、えづき咳き込んでいると、凛太郎!と抱き上げられた。

「凛太郎!しっかりしろ!」

 柔らかい布が俺の口元の不愉快さを拭い取ってくれる。ゆがむ視界で何とか抱え上げてくれた人に焦点を合わせようと試みる。

「お、くの…?」
「そうだ、奥野だ。風紀が来たんだ…もう大丈夫」

 眉を下げ苦し気にも、なんとか俺を安心させようと穏やかに微笑むよう心掛けた奥野の笑みに、混沌とした頭が少しずつほぐれていく気がした。

「わ、るいな…めんど、うかけ、て…」

 喉の奥の違和感がまだあって、気持ち悪さに深く咳き込む。

「何いってんだよ、俺たち、仲間だろ」

 結束バンドを素早く切り落とし、痺れ切って冷えた指先を奥野が握りしめて、熱を分けてくれる。その温かさに、ほ、と身体がほぐれだすのがわかった。
 さっきから、後ろで鈍い音が鳴り続けている。大男たちの先ほどからは予想されない情けない命乞いが聞こえる。

「わ、悪かったって、なあ、ゆるしてくれって、」
「風紀がこんなことしていいのか、ああ?」

 しかし、すぐさま悲鳴に変わる。ごろ、と近くに何かが飛んできて、びくりと身体をすくめる。目線をやると、覆面を剝がされた男が白目をむいて血まみれになって気絶していた。じゃり、と音がして、顔をあげると光をなくした瞳で返り血を浴びた理央が立っていた。
 何と言っていいのかわからなず、口を開けたままためらっていると、しゃがみこんだ理央が奥野の腕から俺を奪い取り、きつく抱きしめた。汗と血生臭さと、優しい理央の匂いがする。

「り、お…めんどうかけて、わる、い…」

 そう絞り出すが、理央は何も言わずにきつくきつく俺を抱きしめた。その背中に手を回すと、俺の意識もぐずぐずと溶けだして、涙があふれた。
 怖かった。
 今まで、何度も見てきた現場を自分が経験することになるとは思わなかった。
 さらに、恐ろしかっただろうに、と被害者を見る度に心を痛めたが、こんなにも怖いとは思わなかった。理央が温かさを、匂いをわけてくれて、ようやく身体が震えていたことに気づいた。それも、だんだんと理央のおかげでゆるんでいくのもわかった。

 理央。理央。

 あいつらに身体を汚されながら何度も唱えた名前の持ち主が、今、こうして俺を助けてくれた。
 もう一度、名前をつぶやく。理央は何も言わずに抱きしめる。耳元で震える吐息を感じた。



「凛太郎、大丈夫かっ?」

 あとからやってきた宇津田が肩で息をしたまま俺の容態をうかがった。

「大丈夫だ…未遂だから」

 その後ろには、意識のない大男たちに怪しげな道具で攻め立てる沖原が見えた。

「ちょ、宇津田、沖原をとめてやれ」

 死なせてしまってはこちらが悪いことになる。おい、と声をかけるが、宇津田は振り返り、腕を組んだ。

「大丈夫だ、沖原は死なないギリギリを攻め立てる天才だからな」

 あいつらは一回、いや三回死んだ方がいいよ、と宇津田の後ろで暗い顔をした笹野が、沖原に加勢しにいった。何かの破裂音や何かがつぶれた音が響いたが、理央が離してくれず止めることも見届けることもできなかった。

「凛太郎に誰が突っ込むかで揉め始めて、お互いを殴り合っていたって報告すりゃいいだろ」

 下世話だし、なんという虚言だと呆れると宇津田がびくっと身体を縮こませた。

「じょ、冗談だって、そんな怖い顔で睨むなよ~理央~」

 理央?
 どんな顔をしているのだろうと顔を覗きたいのに、俺のことは解放してくれず顔を見ることすら叶わない。

「さ、そろそろ念のために保健室行くぞ~理央~もう凛太郎を離してやれ~」

 宇津田が赤ちゃんをあやすように告げるが、理央はより俺をきつく抱きしめた。ぐえ、と声が出てしまう。




 結局、周りの誰の意見も聞かず、理央は俺を離さなかった。奥野が持ってきたバスタオルで俺を包み込み、抱き直すとそのまま立ち上がり、保健室まで運ばれた。立ち上がった際に、挿入は免れたものの、足の間にずっと挟まれていたディルドが、ぼちゃり、とねばねばの状態で床に落ち、それを見た瞬間に、理央が威圧のフェロモンを強く出した。周りのみんなも、はわわ…と震えているほど強いものだった。
 近くに転がっていた加害者の男たちを理央は俺を抱えたまま、踏みつぶして外へ出た。そのまま、人目が少ない道を通り、保健室へと到着する。保健医がすぐさま駆け寄ってくるが、理央は俺をベットに降ろしたものの抱きしめるのをやめなかった。

「長田くんはアルファだものね」

 と後ろで保健医が腰に手を当てて呆れたように笑った。どういう意味だか、ベータの俺にはわからなかった。

「そ、それより先生!倉庫の方に向かった方がいいかもしれません」

 理央の肩越しにそう伝えると、救急バックを握りしめて、沖原くんまた暴走してるんじゃないでしょうね?!と眉を吊り上げて全速力で駆けていった。
 誰もいない静かな保健室では、理央の呼吸音しか聞こえない。

「理央…」

 名前を呼んでも返答はない。

「りお、りーおー」

 背中をとんとん、と叩くと、理央は身体をむずむずとさせて、さらに俺を抱きしめた。

「…心配してくれたの?」

 たくましい二の腕を手で包む。隆起した筋肉がよくわかる。

「ごめんな、俺、先輩なのに、情けないよな…」

 はは、と自虐的に笑う。

「笑うな」

 冷たい声で、びしゃりと言い捨てられる。どきりと身体が固まる。理央がそんな風に言い放つ姿を初めて出会ったから。

「俺が、どれだけ心配したと思ったか…」

 もう、死ぬかと思った…と理央は、息を詰まらせながらつぶやいた。その苦し気な声に、ぎゅう、と心臓がつかまれたように苦しくて、我慢していたものが、堰を切った。ぼろ、と大粒の涙が溢れる。

「だから、そんな風に笑わないで…」
「…ごめん…」
「俺の前では、我慢しないで…」
「っ、…理央っ…」

 怖かった。
 初めて向けられる悪意と暴力に、何もできなかった。
 痛かった。
 怖かった。
 寂しかった。

 全部、理央に吐露する。理央は、すべてを、うん、うん、と一緒に泣きながら享受し、ずっと抱きしめてくれた。その体温の高い身体から熱をもらい、ようやく人として戻ってこれた気がした。

「理央がきてくれて、俺…本当に、嬉しかった…本当に…理央が…」

 頭の中がぐちゃぐちゃになってきて、最後は理央、理央、と名前を呼ぶことしかできなかった。それでも、理央はずっと俺を受け止めてくれた。身体が痺れるほど抱きしめてくれた。
 俺のためにここまでしてくれる人は、世界中で、理央、たった一人だと思った。

「ありがとう…理央…」

 ぐず、と鼻をすすると、ようやく理央が腕を解いてくれた。
 ようやく、顔を合わせる。目が合うと、一緒に笑った。

「理央、鼻でてる」
「りん先輩こそ」

 泣きすぎて鼻はつまったままで、いくら啜っても、鼻水は消えない。理央は着ていたシャツを脱いで、俺の鼻へあてた。俺がつけられたローションやらなにやらでぐしょぐしょのシャツで思い切り、ぶーんっと音を立てて鼻をかむ。ちょんちょん、と理央が拭いてくれる。別の場所で理央も、ぶーっと大きな音を立てて鼻をかんだ。
 それをそのまま、枕元にあったゴミ箱に放り投げた。タンクトップ一枚になった理央は、真剣な瞳で俺を見つめた。どき、と心臓が高鳴る。
 そ、と険しい顔つきで、俺の右頬を触れた。びり、と痛みが走り、顔をしかめる。すぐに手を離した理央は、俺の肩に優しく手を置く。赤くした目元で俺をまっすぐに見つめて、名前を囁く。

「約束してほしい」

 形の良い赤い唇が動く。それと理央の奥底の見えない深い色味の瞳を見つめる。

「俺をそばにおいて」

 どういうこと、と顎を引いて見上げる。それでも理央は真摯な顔つきのまま続ける。

「俺、先輩から離れたくない。ずっと傍にいたい」

 あえて、先輩、という言葉を使ったのに、なんだ先輩後輩としてか、と、高鳴っていた心臓が、がっかりしたのがわかった。あ…と視線を落すと、また胸の中に閉じ込められてしまう。

「うんって言うまで離さないから」

 かすれた声で囁く理央に色っぽさを感じてしまうのは、俺が理央を後輩、という目だけで見ていない証拠だと思った。

「…それじゃ、脅しじゃん」

 だから、あえて、ふくれた声を出す。すると、理央もふふ、と耳元で笑った。

「よくわかってるじゃん」

 二人でくすくすと笑い合う。

「仕方ないから、うんって言ってやるよ」

 腕の力が抜けたので、厚い胸板を押して正面から顔をあわせる。

「仕方ないって何よ」

 理央がわざとらしく頬を膨らまして怒った口調で言う。それにも笑って、愛らしい頬をつまんだ。

「いつでも助けに来いよ、忠犬ハチ公」

 むにむに、と両頬を揉むと、理央は怒った顔で、ワンと言った。その愛らしさに声を出して笑い、思わず抱き着いてしまった。そして、身体を離したときに、あ、と気づいた。
 理央のタンクトップの襟口から出ている胸板に、俺の胸元につけられていた色々な液体が、ぬとぉ、と気持ち悪く糸を引いていた。それに気づいた理央は、俺をベットにとん、と押し倒した。そして、無表情と化した理央は、保健室の奥から、ホットタオルを大量に持ってきて、俺の全身をくまなく拭き上げた。恥ずかしくて、何度もやめろ!自分でやる!と叫んだが、理央は全くいうことを聞かず、黙々と俺を拭き上げた。羞恥で動けなくなっていると、今後は遠慮なしに俺に消毒液をじょばじょばかけて、清潔なタオルで拭いた。ところどころ沁みる場所があって、意外にもケガをしていたなと気づいた。特に手首は、真っ赤に擦れていて驚いた。理央が、まあいいかな、と許してくれるころには、羞恥で震え動けなくなっていた。後ろから前から、どこもかしこも磨き上げられて、また泣きそうだった。そして、最後に、ひどかった手首と右頬に薬剤をぬって、丁寧にガーゼや包帯で治療をしてくれる。


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