拗れた初恋の雲行きは

麻田

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第43話

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 海智が寮まで送ってくれた後、夕飯をとり、風呂に入った。寝る前に、部屋のベランダに出て、電話をかけた。ツーコールなると、電話の主は驚いた声色で俺からの入電を珍しがった。

『りん先輩から電話なんて珍しいですね…何かありましたか?』

 ここ最近の風紀の忙しさを思うと、良くない報告なのかと訝しむ理央は、すっかり風紀委員の鑑だと思えた。そういえば、この前のベータカップルの取り締まりの立派さを奥野に伝えたら、泣きながら理央を抱きしめていた。「理性をしらない猿を調教するのは、恋の力が一番なんだなあ」とよくわからないことをいう奥野の口を真っ赤になって押さえていた理央は年相応で、あの時とのギャップについ笑ってしまった。

「違う、理央が思ってるようなことじゃないよ」

 ふ、と小さく笑えた。そんな自分にほっとする。

「あのさ、俺…仲直りできたから」

 それなのに、なんで心は重たく感じるのだろう。もっと晴れやかな気分になると思っていた。
 長い沈黙のあと、理央は大きく息を吸い込み、さらに明るい声を出した。

『よかったですね!』

 つき、と胃が痛むような気がするのは、なぜだろう。
 なぜ、こんなにも鼻の奥がつん、と痛むのだろう。

『あ!わざわざその報告ですか?りん先輩は義理堅いですね~』

 はは、と笑い声まで聞こえてくる。
 もう、理央は、俺の純粋な後輩へと戻ってしまったのだ、と痛感する。

「理央、ありがとう…」

 なんとかそれだけつぶやくと、何か言いたげに呼吸音が聞こえたが、電話越しに理央が誰かに呼ばれた。おそらくルームメイトだろう。

『じゃ、先輩。また明日も頑張りましょうね』

 それじゃ、と俺の言葉を待つことなく理央は電話を切った。真っ暗になったディスプレイを見つめる。
 あそこで、理央が呼ばれなければ、彼は何と言ったのだろう。
 見えないその誰かをつい、疎ましく思ってしまう自分の度量の小ささに、大きく溜め息をつく。




 昼食を食べ終えて、溜まった報告書を必死になって仕上げていると、携帯が震えた。開くと、海智からのトークメッセージだった。画面を開くとあの日から、毎日、海智からのメッセージが絶えない。毎日のせわしなさに返信が打てずにいても、次の日の朝には「おはよう」とメッセージが届いた。こんなにも連絡がまめな海智は、中学生の頃ぶりだと思う。今来た連絡は、今日の昼食の報告だった。しかし、俺はその画面に返信を打つことなく、携帯を伏せた。きっと、彼の隣には、あのオメガがいるのだ。
 眉根を指でつまんで、軽く揉んでからまたパソコンに向かう。九月はもう終わろうとしている。あっという間だった。しかし、あっという間と片付けるには、あまりにも傷ついた人が多すぎた。今制作している、月末の報告書も、今までで一番のボリュームになっていた。
 処理能力の高い曽部が逐一、事件の報告書をまとめてくれたことに頭が上がらない。俺も、こういう先輩になりたいと強く思う。

「りん先輩」

 風紀室に入ってきた理央が俺を呼んだ。顔を上げて見やると、南京錠を一つ手にした理央が近づいてきた。

「これ、サッカー部倉庫の鍵なんですけど、ここ、見てください」

 隣にやってきた理央は、顔を寄せて南京錠をかかげた。つい、その横顔と距離に、どき、と心臓が詰まってしまい、急いで理央の指差す方を見た。

「このひっかき傷みたいなの…」
「そうだな…、ピッキング跡だな」

 鍵穴周辺に何か細いものでひっかいた傷がいくつかついていた。しかし、頭の悪い犯人は、開錠できずに終わったようだった。

「今、奥野先輩に新しい鍵をつけてもらっています」

 こういう小さなことにも気づいてくれる理央のおかげで、予期せぬ事案はきっといくつも防げていることだろう。ほろ、と心の中で固まっていた部分がほぐれて、温かくなる。

「ありがとう、理央のそういうとこ、本当に助かる」

 ゆるんだ口元でそう告げると理央は、顔色変えずに、いえいえと微笑み返す。そして、すぐに背中を向けて、南京錠を机に置いて風紀室を出て行こうとする。
 待って、と思うが、彼を引き留める術を俺は持っておらず、あっさりと理央はまた外へ戻っていってしまった。
 いかん、と頬を叩き、また報告書とにらめっこする。
 理央との距離は、一定のものが保たれていた。
 ただの先輩、後輩。
 何度か、笹野が心配して、喧嘩したんですか?とおろおろ聞いてきた。喧嘩はしていない。むしろ、俺の理不尽なふるまいを理央はよく受け入れてくれたと思う。理央は、一人の後輩として振る舞ってくれていると思う。妙に俺を避けることなく、今のようによく働いてもくれている。しかし、以前のような触れ合いや頬を染めたあどけない笑顔はなくなってしまった。
 それでも、巡回が終わると、風紀室にいる俺の帰りを昇降口で待ち、寮まで送り届けてくれた。その帰り道では、今日あったことの報告を受ける。風紀委員の後輩として、時間をはぶくために連れ添ってくれているのだろう。欲深な俺は、この時間が唯一、理央を独占できる時間で、疲れているだろう後輩に早く帰れ、と言うことはできなかった。「おやすみなさい」と言って、理央は来た道を帰る。その後ろ姿を見えなくなるまで、俺は見つめ続けるのだ。心の中で何度も、思いを唱えながら。
 ポケットに入れた携帯が震え出し、毎日、帰宅したころを見計らってかかってくる海智の電話に出る。

『りん?無事、寮にはついた?』

 柔らかい声に耳を傾けて、俺は自室に戻る。

『今日はどうだった?』
「いつも通りですよ、先輩は?」

 夏服でも着用が義務付けられているネクタイをほどきながら、答える。毎日繰り返された言葉だった。風紀委員の仕事内容は、守秘義務がかけられており、生徒会といえども、中身を伝えることはできない。それを海智もわかっているのだろう、深く追求はしてこない。

『俺はね、今日はじめて、フルーツトマトってのを食べたよ』
「え?先輩、トマト苦手でしたよね?」

 肩で携帯を耳に押さえながら、ズボンを脱いでハンガーにかける。

『そう。でも、フルーツってついてるし、どうなんだろう~って食べてみたんだけど…』
「…どうでした?」

 穏やかに、ふふ、と笑いながら続きを促してみる。

『なんとさ…なんと…、だめでした~やっぱりトマトはトマトだったよ』

 電話越しにころころと楽しそうに海智が笑っていた。つられて一緒に笑う。

「え~?甘味が違いません?」
『違いませんっ、あの触感、におい、味、すべてがトマトそのものだったよ…』

 そんな他愛もないことを話して、海智と笑い合う。ひとしきり話をすると、名残惜しそうに海智が「おやすみ」と言い、電話を切る。
 この前、試しに昼間にも電話をしてみた。おそらく、食堂でランチ中だろうな、と思う時間に。数コール鳴らし、やっぱり出ないか、と耳から電話を離したときに、声が聞こえた。急いで戻すと、海智がやや息を乱しながら話していた。それから、そんな風に何回か夜ではない時間に電話をしてみた。すぐ出る時もあれば、少し待ってから出る時もあった。必ず、俺からの電話をとってくれるようになったことに、海智の変化を感じて、俺は安心していた。

 海智が、俺だけを見てくれている。

 素直に嬉しいと思った。約束を守ってくれているのだと。彼の誠意を感じた。しばらく続いていたので、もう海智は改心したのだと疑わなかった。だから、次の連休を別荘で過ごそうと言われて、スケジュール帖にわくわくしながら記録した。あと二週間ほどで連休がやってくる。


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