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第20話
しおりを挟むふと彼が何かに気づいたように、こちらに振り返った。その目が茫然と立ち尽くす俺を見つけると、張り付けられたいつもの笑顔が、頬をほんのりと染め、眦を下げた溶ける笑みになる。
「りんりん」
手を振られ、女の子たちが俺を訝し気に見やる。見つかってしまっては仕方がない。はは、と苦笑いをしつつ、海智のもとへ足を進める。俺は、その女の子たちとどう関わればいいんだろうという戸惑いと、海智の裏切りにすべてが重く感じられた。
「え~お友達ですか~?」
「一緒にまわりましょうよ~」
女の子たちは、海智の両腕に絡みつき、上目遣いでねだった。どうやら、海智が呼び出していた女の子たちではなさそうだ。どうするんだろう、と海智を見ていると、その視線に気づいた海智は、さらに笑みを深めた。
「悪いけど、他あたって」
するり、と女の子たちをかわし、海智が「行こ」と肩を抱いてきた。ふわ、と急に甘い匂いがして、どきり、と冷えた身体が一気に熱くなる。
「ごめん」
すぐそこにある海智から急に言葉が発せられ、見上げる。海智はまっすぐ前を見て、足を動かしながら続ける。
「ただのナンパだよ、そんな不安そうな顔しないで」
視線だけ、ちらりとこちらに寄せた海智の頬は染まって見える。よかった、と身体が弛緩する。肩の力が抜けるのと同時に、その腕は離れ、手を握られる。それを拒むことなく、握り返すと海智は俺を見て微笑んだ。あの時より大人びたものだったけれど、この笑顔が、大好きだったんだ。
「今日の恰好、いいね」
海智がこちらを見ながら、柔らかい声で言った。は、と気づいて、急いで伝える。
「す、すみません!浴衣は、その、ちょっと難しくて…」
海智は、上質な浴衣をきれいに気つけられていた。セミロングのブリーチをハーフアップの団子にし、首元には涼し気なシルバーのアクセサリーが小さく揺れていた。藍色の浴衣に、淡い帯は海智の髪色と同じ色だ。下駄を履く足は、きれいな爪と筋が軽快に歩を進める。
「確かに…それはちょっと…いや、かなり期待してた」
俺だけめっちゃ浮かれてるじゃん、と舌を出す茶目っ気のある姿に、つい笑ってしまった。その笑顔を見て、海智は少しだけ目を見開いてから、さらに目を細めた。
「りんりんは、絶対に浴衣が似合うのに」
「俺は、すぐ着崩れしそうです」
「確かに」
そう言って二人で笑う。懐かしい。
いつもこうやって一緒に手をつないで歩いていた。温かい時間。
あの頃よりも骨ばった大きな手のひらを、きゅ、と握ると、優しく親指が撫でてきた。嬉しくて、目線をあげると海智も嬉しそうに微笑んでいた。
好き。
あの頃に置き去りにされた、気持ちがふわふわと蘇ってくる。
太鼓と鈴の音と、人の喧騒が混じる空間の中で、俺は、海智と二人っきりの世界に浸っていた。たくさん出ている出店で眺めた。一緒に型抜きをして、当時と同じように海智はきれいにくりぬいていた。俺は全く変わらずぼろぼろだった。それにも二人して笑った。たこ焼きを二人で食べて、つまようじを指した一玉を海智の口に運んで食べさせた。熱い熱いと言いながら、おいしそうに頬張る海智が可愛かった。
「りんりん」
次はどうしようかと出店を探索していると、海智が急に止まった。視線を彼に戻す。
「次は、お互い食べたいものを当てよう。買ったら、またここに集合ね」
ここ、と出店の切れ目にある、枝垂桜の麓にあるベンチを指差した。わかりました、と笑顔でうなずく。
「迷子になんないでね」
「いくつだと思ってるんですか」
ふ、と甘い匂いが濃くなったと思ったら、視界にシルバーのネックレスが揺れ、額にちゅ、と口づけを落とされる。笑顔で手を振って、海智は人込みに消えた。ずっと高鳴っている心臓が痛くて、ふう、と緩み切った口元から吐息が漏れた。
さて、と気合いを入れて買い出しに向かう。しょっぱいものにするか、甘いものにするか。鈴カステラもいいなあ、と甘い匂いに誘われる。一通りめぐって、結局、かき氷を選択して、待ち合わせ場所に向かう。これは、前に海智と来た時に、二人で食べ合ったものだった。ブルーハワイという奇抜な色味にずっと嫌煙していた俺は、海智の勧めで初めてこれを食べた。おいしい!と驚いた俺に、実はどの味も一緒らしいよと夢を壊される爆弾を投下されたことをよく覚えている。思い出して、ふふ、と一人笑う。氷が溶けてしまう前に、渡さないと、と足を速める。枝垂桜の下に数組のカップルがいたが、その中に海智を見つける。海智を見つけただけで、心が躍り、足が軽くなり、勝手に頬は緩む。声をかけようと口を開けた瞬間に、海智が誰かと喋っているのに気づいた。思わず、近くの屋台の陰に隠れてしまう。喧騒でやや聞き取りにくいが、声も聞こえた。心臓がばくばくする。まさか、こんなところまで、あいつに苦しめられなければならないのか。
「海智、なんで誘ったのに来なかったの?」
金髪の美少年は、海智に身体を密着させながら甘えたように聞いた。
「先約があったから」
「ふーん…、それって、僕より大切なひとなんだ…」
天使の美しい指先が、海智の輪郭をなぞる。
「今度、穴埋めするから、機嫌直して?」
海智が微笑むと本薙は、不服そうにする。
「じゃあ、ここでご機嫌とって?」
海智ならわかるよね?小首をかしげて、海智を撫でた指先を赤い舌で舐める。周りのカップルの男性が、そのあでやかな仕草に、ごくりと生唾を飲むのがわかる。
え、と目を見張る。海智は、本薙の顔に自分の顔を寄せていった。ここからの角度では、海智の後ろ姿しか見えないのでどうなったかの詳細まではわからない。
「凛太郎!」
急に後ろから声をかけられ、肩を叩かれる。あまりに驚いて、息が変なところに入りむせてしまう。おいおい、大丈夫か、と背中をさする大きな手は、総一郎のものだった。
「わりぃ、そんな驚くとは…」
「もう、総一郎の悪いくせだよ?」
大丈夫?と総一郎の後ろから現れたのは浴衣が恐ろしいほど似合う美人だ。黒髪が夜なのに、屋台の光を受けて、つやつやで輝き、透き通った瞳に吸い込まれそうだ。全体的に線が細いのに、艶めかしい。もう、と総一郎の半袖の裾を引っ張りながら、怒る顔も愛らしいのに、艶やかだ。
「女神さま…」
思わずつぶやくと、総一郎は、ぶは、と吹き出して笑っている。当の本人は何のことだかわからないようで、首をかしげて困っている。俺のだから手は出すなよ、と急に真顔で言ってくる総一郎を、赤らめ顔でつねる女神様にうっとりと見惚れそうになる。
「そういや、凛太郎は誰と来てるんだ?」
「えっ、あ…」
事の成り行きがとても気になるのだが、今、振り返ってしまうと総一郎にはわかってしまう。適当に、友達、と答えておく。ふーん?と総一郎は答えた。
「あれ、かき氷、溶けちゃってるね」
「あ…本当だ…」
女神様に言われて、山盛りになっていた雪山が、カップの中で青色の液体となりかけているのに、ようやく気付いた。
「そのカップ見てると、食いたくなるよな~」
「一緒に買いに直す?」
総一郎が驚かしたお詫びにおごってくれるって、と女神様が後光のさすような美しい微笑みをかけてくれる。総一郎は、えーと唇を突き出して膨らんでいる。
「あ!でも、大丈夫です!食べかけだったので…」
「そう?」
咄嗟に嘘をついてしまう。それを怪しみもせずに総一郎たちは受け取る。それじゃあ、と手を振って別れる。彼らの姿が見えなくなるまで、屋台の裏に姿を隠し、こっそりと海智を見ると、もう海智は一人だった。
あの二人が結局どうなったのかがわからない。
海智は、本薙に、キス、したのだろうか。
疑惑は心の中でどんどん膨らんで、明るかった心をどす黒く染め上げてしまう。
ぱき、と音がして、はっと意識を戻すと、強く握りすぎたのか、カップが折れてしまって、中の液体が溢れてきてしまった。近くの草むらに、青い液体を、ざっと流してしまう。空になったカップはゴミ箱に放り投げた。残ったのは、嫌にべたついた手もとと、青いシミのついたリネン地のシャツだけだった。
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