拗れた初恋の雲行きは

麻田

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第18話

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「理央…」

 小さく名前をつぶやいた瞬間に、携帯が鳴る。慌てて、確認もせずに電話を取ってしまう。

「は、はい、鈴岡です」
『…りんりん?』

 は、と息を止めてしまう。

『今、大丈夫?』
「…っ、あ、はい、だいじょうぶ、です…」

 じわ、とにじんだ手の汗を着ていたシャツにこする。

『明後日のことだけど…』

 明後日…、そう言われて、は、と気づく。そうだ、明後日は、約束の夏祭りの日だ。決して、忘れていたわけではない。しかし、毎日を理央とせわしなく過ごしているうちに、あっという間に明後日という日になってしまっただけだ。

『七時に最寄り駅改札口でどうかな』

 電話越しから聞こえる優しい声色に、心がじわ、と熱をもつのを感じる。

『りんりん、聞いてる?』
「は、あい!大丈夫です!」

 急に名前を呼ばれて、思考の世界から戻ってきて、変な声が出てしまうし、勢い余って立ち上がってしまった。

『ふふ、あいって何?』

 ふんわりと柔和な笑い声に、心がほぐれていく。そうだ、俺が恋焦がれていた海智は、こういう海智なのだ。

『じゃあ、明後日。待ってるね』
「はい、よろしくお願いします」

 緊張しながらそう答えると、何それ、とまた笑われてしまった。

『楽しみだね』

 再会してからの海智とは言葉少なだったため、こんな温かい言葉をもらえるとは思っておらず、ぎゅ、と手を握りしめる。

「…っ、はい」

 なんとか声を絞り出すと、それを見越したように、電話口で笑うような吐息が鼓膜をくすぐる。

『りん、おやすみ』
「…先輩も、おやすみなさい」

 こんな風に、あの時、何度もおやすみを言い合ったな。
 毎日の帰り道でキスをして、そう言った。会えないときは、電話でこうやって。一緒の布団で夜を迎えるときは、そう囁き合って、素肌を寄せ合った。
 すべてが、愛おしい思い出として、蘇ってきて俺を支配する。
 また、あの時を、経験できるのではないかという愚かな期待で胸がいっぱいになってしまう。






「りん先輩、明日、暇ですか?」

 報告書をパソコンでうっていた俺は、突拍子もない誘いに怪訝げに視線を上げた。目の前には、緊張した面持ちの理央が立っていた。

「え?何か用か?」
「だ~か~ら!明日の夜、暇ですか!」

 地団駄を踏みながら聞いてくる理央に、何歳児だお前は、とじと目で返す。

「残念だが、明日は忙しい」
「嘘だ…」

 はっきりと素直に答えたのに、理央は信用せずに、同じようなじと目で返される。

「嘘じゃない」
「嘘だ、嘘だ!りん先輩に予定があるはずないもん!」
「俺をなんだと思ってるんだ?」

 生真面目でかわいい先輩、と少し照れながら答える理央の脇腹を風紀ノートで叩く。いたあい!と大げさなやつを後目に報告書を打つ。長かった七月がようやく終わるのだ。

「残念だったなあ、理央。諦めろ」

 理央の後ろで、今日の当番の相方である宇津田がやれやれと目を伏せ首を横に振りながら声をかける。

「…本当に、明日の夜、ダメですか…?」

 涙目で机に頭を乗せて、上目遣いで聞いてくる理央は、自分のことをよくわかっていると思う。

「悪いが、別日なら…」

 この顔を無碍にできるほど、理央に愛着がないわけではない。仕方なしに代案を出すものの、その日の夜がよかったんです…としおしおと宇津田のもとへ帰っていってしまった。

「よ~しよし、じゃあ、俺らと行こうな~」

 宇津田がしょげる理央の頭をわしわしと撫でるというか、荒らす。

「理央がいると簡単に浴衣美女ちゃんたちをゲットできそうだぜ」

 宇津田がガッツポーズで天を仰ぐ。宇津田は、体格よくアルファに見える優秀なベータだ。なお、根っからの女好きで、この学園に来た当初は絶望し、男は女の穴を目指すべしという信念を通すため、風紀委員になったという、珍しいタイプの男だ。

「…あんまり、羽目を外しすぎるなよ…」
「大丈夫大丈夫、凛太郎が心配せずとも、俺は理性的な人間だからな」

 と自信満々にウインクする宇津田だが、そういうナンパでひっかけた女の子に財布を盗まれたり、美人局にあったり、と事件事に巻き込まれた話を知っているが故に信用ならない。はあ、と大きく溜め息をつくと、理央が瞳を潤ませて俺を見ていた。

「りん先輩は、俺が浴衣美女にお持ち帰りされてもいいんですか?」

 うるうる、とビームを出しながら言ってくる。
 口をへの字に曲げてしまう。
 本当のことを言うと、それは大変、ムカムカする事態だと思う。

「そ、それは…」
「大丈夫だ凛太郎。理央には、その時の二番目にかわいい子を宛がうから安心しろ」

 お前を正しい男に戻してやるよ、と宇津田は理央の肩をつかみ、まっすぐ目を見ながら力強く断言していた。その手を振り払い、すかさず理央は俺のもとにきて、ぎゅうぎゅうと俺を抱きしめる。暑苦しい…

「嫌だ~!りん先輩にお持ち帰りされたいのに~!浴衣のりん先輩とりんご飴かじりたいのに~!」
「おい…」

 呆れて、されるがままにされる。しかし、内心が安心していた。
 宇津田もやれやれ、と呆れていた。

「理央、お前も男ならわかるだろ?そろそろ、凛太郎を一人前の男にさせてやらねえと。察しろよ…」
「え?!」

 理央と声を合わせて、驚いてしまう。

「いい加減、そろそろ童貞卒業しねえとな~」
「なっ…!」
「え?!」

 急に自分に振られた下世話な話につい赤面してしまう。その様子を間近で見た理央は、どんどん顔面を青くしていく。そして、俺の肩を力任せに大きく揺さぶりながら、唾を散らして大声をあげる。

「どういうこと!?りん先輩!俺という者がありながら!!女の子を?!」
「ち、ちがっ」
「ありえない!!!俺だけじゃ!満足できない!って!こと!なの?!」

 ぐわんぐわん、と頭を揺さぶられ、気持ち悪くなってきた。後ろに倒れた勢いをつけて、そのまま理央の頭に思いっきり突っ込む。ゴッ、と鈍い音が響き、理央が倒れた。
 はあ、はあ、と息を切らしながら、俺は白目をむいている大男の前にたたずむ。そして、ぎっ、と宇津田をにらみつける。ひっ、と宇津田は小さく悲鳴を上げて、大きな身体を縮こまらせた。

「おい」
「ハイッ!」
「今すぐ、こいつを連れて、巡回してこい…俺は先に帰る…」
「ハ、ハイッ!お気をつけて!!」

 今までに出したことのない地を這うような低い声で告げると、宇津田は倒れた大男の首根っこをつかんで、引きずりながら風紀室を急いで出ていった。



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