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第16話
しおりを挟む遠くで鳴く蝉の鳴き声が体感気温をさらに高める。室内はクーラーが効いているはずなのに、目の前の基礎体温の高い男は汗をかいている。
「りんせんぱーい、熱いですよ~このままじゃ熱中症になっちゃいますよ~」
「なら寮に帰れ、なぜお前がここにいる」
最近の学園内の事案に目を通していた視線をちらりと理央に向ける。机の上で伸びている男に、本日、俺と同じ当番である笹野がくすりと笑った。
「いいじゃないですか、凛太郎先輩。理央くんがいると、心強いです」
「さすが、ささちん~わかってるじゃん~」
いえーいとハイタッチをする二人に、歳がひとつ違うだけでこんなにもノリがわからなくなるものなのか…とひっそりと思案する。笹野と楽しそうに無駄話をする理央は、無邪気で幼く見える。笑顔の理央を脇目で盗み見てから、先日の出来事を思い出す。
理央に熱烈なアプローチをされてしまった。あれは、はっきりと言葉にはされていないが、彼の体温が、吐息が、すべてが、俺を欲していて、告白、ととっても問題はないのだろうと思う。じりつく瞳と熱い唇を思い出すと、勝手に背筋がぞわぞわと何かが走る。ふ、と吐息をついて、その熱を逃がすようにする。ふと、目線を上げると、理央も脇目に俺を見ていた。じ、と見つめ返すと、あちらも正面から見てくる。
あの日、汗だくになるまでキスをされ続けた結果、部活終わりの帰宅ラッシュの喧騒に急いで正気を取り戻し、彼にビンタとパンチとキックとチョップを決めた。涙目になりながら、とぼとぼと仕方なく帰っていく彼の股間はテントを張ったままだった。
今、目の前で真剣に俺を口説こうとする眼差しのアルファは、テントを張ったまま涙目でベータ寮を後のにしたのかと思うと、異次元の出来事のように滑稽で、愛らしくて、つい、吹き出してしまった。
「あー!またりん先輩、人の顔を見て笑った!!」
「っくく…いや、だって…っ」
顔をそらして、笑いをこらえるが、たまらない。あの日以降、毎日のように理央は俺に会いに来るし、当番でもないのに、必ず俺がここにいる日は風紀室にきている。わざと避けられるような冷たい関係より、ずっといい。理央の隣は、常に飽きないし、楽だから。今も、俺の何度目かわからない吹き出しに、真っ赤になって、頬を膨らませている。こんなことが許される高校生はいないだろう。
「ほら、理央くん、ぷんぷんしてないで、凛太郎先輩とパトロールいってきて」
「そんな時間か…」
時計を見ると、三時を過ぎていた。そのくらいに校内を周って、異常がなければ解散となる。腕時計を締めなおして、立ち上がる。
「なら、笹野はもう帰っていいぞ。あとはこのわんこがやってくれるから」
「わんっ」
笹野に告げると、理央は機嫌を直したのか、大きな返事をして、俺に覆いかぶさってくる。
「ありがとうございます!お言葉に甘えて…。かわいいわんちゃん、悪さしちゃだめでちゅよ~」
笹野が俺に抱き着いてビンタされた理央の頭をよしよしと撫でる。床に倒れて、頬をさする涙目の大型犬は、ワン…と小さく鳴いた。
教室棟を一つひとつ回って、異常がないのを確かめる。広い学園の高等部の範囲をぐるりと回って、最後に文化棟を見て回って、風紀室に戻る。いつものルートだ。何か異常があるとすると、一番可能性が高いのは、空き教室の多い文化棟だった。転校生がやってきてから、ここの治安が良くない。しかし、それは、自分の目撃談も踏まえて、本薙本人がお忍びで使っているせいなのだと考えていた。
文化棟に入る。二階はほとんど空き教室で使われていない。それなのに、がた、とどこからか、物音がした。
「先輩…」
理央が俺の前に立ち、視線を送ってくる。うなずいて、理央に先導させる。足音を殺して、物音がした教室に近づく。中を覗くが、人影は見えない。理央と目くばせをして、ドアを開け、中に入り込む。しかし、残念ながら、そこにはもう誰もいなかった。
「…ついさっきまで居たようだな」
鼻にこびりつくオメガのフェロモンのにおいがする。思わず鼻に手をあて、窓を開けて換気を行う。文化棟は、日当たりの悪い場所に建っているため、汗はかくもののそこまでの猛暑ではない。む、と外から湿気と熱気の強い風が入り込んでくる。ふと気配を感じ、窓から下を覗くと、小柄の男子とスポーツマンらしき男子が二人で走っていくのが見えた。おそらく、この匂いの主たちだろう。
「先輩、これ」
「こりゃ、まあ」
理央がビニール袋を手に被せ、その指先でつまみ上げたものを見せてくる。たっぷりと白濁が入ったコンドームだ。それも、四、五個落ちている。一つは口が縛られておらず、慌てて投げ捨てたようだ。
「よっぽど夢中だったんですね~」
「まったく、片してから逃げろっつの」
理央がビニール袋にあの逃げた男のコンドームをまとめ、俺はポケットに入れていた小さい消毒液とティッシュで、誰のだかわからない精子を拭き取った。何の罰ゲームだよ…と溜め息をつく。これも風紀委員の地味な仕事だ。
ティッシュを理央が持ってきたビニール袋に詰め込んで、ふう、と息をつく。それより、問題は、以前、ここで拾ったコンドームが、本薙のではないかもしれないという可能性だ。空き教室でコンドームがあることは、今までにあった。それでも、こんなにあからさまな量や毎週のようではなかった。フェロモン臭が残っていて、おそらくそうだったのだろうと予想されることもあったが、こんな風に乱雑にモノを残していくこともそんなに多くなかった。嫌な兆候だ。もとから、本薙の登場により、暴力事案も増えたし、こうした性事案も増えた。二学期、さらにひどい被害で出ないことを祈るばかりだ。それを予防するためにも、総一郎と一度、相談した方が良いなと心に刻み込んだ。
風紀室の鍵を開けると、笹野がクーラーをそのままにしておいてくれたようで、その涼しさに、ほっと胸を撫でおろす。この快適気温に後ろの大型犬は喜ぶと思っていたが、声はない。不信に思って、振り返ると、がちゃり、と鍵の音がした。理央はドアに施錠をして、近づいてきた。
「おい、どうした?」
「りん先輩…」
は?と言い返すと、荒い呼吸が聞こえ、顔を赤くした理央の目には光りが宿っていなかった。
「んだ、お前、どうし、んむっ」
「りん先輩…かわいい…っ、俺の…りん、先輩…」
勢いよく、腕を引っ張られ、長い腕の中に閉じ込められてしまう。そして、すぐさま、顎をとられ、熱い唇にふさがれる。
「っ、ばかっりお、んぅっ」
あの日以降、隙を見ては、キスをしてくるようになってしまっていた。その度に、ビンタかパンチかキックかチョップは決めているが、この大型犬は飽きずにじゃれついてくるのだ。風紀委員が率先して風紀を乱すなんて、あってはならない。本気で怒りたいし止めたいのに、じゃれついてくる理央に、心の奥底でほっと安心したり、喜んだりしている自分がいるのを認めざるを得ない。
だが、今日は、どうやら違うようだった。
いつものように、ビンタしようとするも、その手を易々と捕まえられてしまい、逆に指を絡められ、いやらしく爪先や水かきを撫でられてしまう。
目を開け、眉間に皺をよせ、抗議を立てるが、彼はうっとりとした瞳で俺の口内に夢中だった。ぬるり、と、舌を撫でられて、身体が勝手に縮こまってしまう。いつもは、唇が触れ合うだけのかわいいものだったのに、あの日を連想させられるような口づけに、腰がじんわりと重たくなる。ぶわ、と強いアルファのフェロモンが溢れる。チョコレートのような甘い匂いだ。それで一つの結論が導かれる。ああ、さっきのオメガの残り香に釣られてしまったんだな、と。
約一か月共にいて、出会った頃の理央とか違う匂いになった。あの時の理央は、いろんなオメガのにおいが混ざって、気持ち悪くなりそうなほど、あまったるい匂いが混じりあっていた。しかし、今の理央は、一つの匂いしかしない。理央の匂いしか。そこから、彼が風紀委員として節制に励んでいるのだという誠実さを感じていた。それが、今回、仇となってしまったのだろう。
抵抗をやめて、されるがままに身を任せる。ぐいぐい、と下腹部に熱い滾りが押し付けられている。それに、そろり、と手を伸ばす。硬いそれに指先が触れると、理央の身体は大きく、びくり、と震えた。そして、唇をそ、っと離す。ぬと、と二人の唾液が糸となってつなぎ、切れる。
獣となってしまった、哀れなアルファの頬を撫でる。目は虚ろで、息は不自然に荒い。汗も異常なほど出ている。ベータの俺にはわからない、苦しみ。
「俺が、替わりになろうか?」
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