8 / 80
第8話
しおりを挟む事件が起きたのは、梅雨前線が抜け、夏到来を知らせる気持ちの良い青空の日だった。テストも終わり、夏休み目前の、誰もが浮かれている時期だった。
例年と違うことは、学園に嵐の種である本薙早苗がいること。それと、全国覇者であるサッカー部、バスケ部が共に初戦敗退したことだった。
その結果が、親衛隊を爆発させてしまった。
本薙早苗が、階段から突き落とされた。犯人は不明だが、おそらく親衛隊の仕業である。本薙は命に別状はなかったし、捻挫程度で済んだのだが、黙っていなかったのは、周りの囲いである。本薙は命を狙われた非力なヒロインであり、それまでその人に尽くし、都合のいいように扱われてきた親衛隊は悪役となってしまった。本当は逆なのだが、魔性のオメガに洗脳されたアルファたちにとっては、その構図が成立してしまう。
「鈴岡さんも、おわかりでしょ?」
目の前にいるのは、現生徒会会長の親衛隊長だ。オメガらしい小柄で華奢で、大きな潤んだ瞳を持っているチワワのような男子生徒である。
「あいつのせいで、生徒会の皆様のみならず、学園の根幹を成す人々が狂ってしまっている」
手を組み、恨めしく唸るその姿さえ、庇護欲をそそられる、生まれもってしてのオメガだ。
突き落とし事件の公平かつ公正な結論を導くための仕事は風紀委員の重要な仕事だ。それに際して、目ぼしい人物から事情聴取を行っている。今までに、親衛隊長に何人も聞いてきたが、全員口を閉ざしたままだった。全親衛隊を牛耳っている彼は、最後の事情聴取の相手だった。
「もうみんな、我慢の限界なんです」
「…つまり、あなたがやったということですか?」
そう尋ねると、険しい顔をしていた親衛隊長は、椅子に悠々と背もたれに寄りかかり、小首をかしげ笑んだ。
「さあ?どうでしょ」
「じゃあ、当時、何をしていましたか?」
溜め息混じりに、手元の書類に向かいながら尋ねる。
「その時は、親衛隊での定例会でした。何なら親衛隊全員に聞いていただいても問題ありませんが?」
自信満々の声色から、おそらく周りの人物たちの証言も固められてしまっているだろうことが予想された。本当に、嵐の転校生は余計なことをしてくれた。この人たちを敵に回すと、穏やかに卒業は出来ない。
「それに」
ぎ、と椅子が鳴り、影が手元に落ちる。
「彼が消えると、城戸崎先輩も帰ってくるかもしれませんよ?」
は、と顔を上げると、すぐ目の前に、手を組んでその上に小さく愛らしい顔を乗せた親衛隊長が微笑んでいた。
「じゃあ本薙くんには学園に残ってもらわないと」
笑い返すと親衛隊長は呆れたように笑った。背中に伝う冷たい汗は、誰にも気づかれていないだろう。
「鈴岡さんの、そういう気の強いところ、僕は大好きですよ」
「由愛さんに、そういっていただけて、ベータとしても男としても、大変な名誉なことです」
中等部からこの学校にいると、それなりに付き合いのある生徒は多くなる。特に、この親衛隊長は、情報通で恐ろしい。
「本当にベータにしておくのは、もったいないお方です」
鈴岡さんの親衛隊も発足しましょうか?と朗らかに提案されるが、丁重にお断りする。
「僕は、できるだけ鈴岡さんの味方でいたいです。風紀には助けていただいた御恩もありますし」
小さな身体を抱きしめるように、目の前のオメガは手を組んだ。オメガというのは、厄介なものである。いつだって、搾取される側に回されてしまうのだ。それらを守ることは、ベータの役目なのかもしれない。だから、庇護欲そそられる彼を、俺は見捨てられないのだ。
「俺も、由愛さんとは良き友でありたい」
「嬉しい。じゃあ、ぜひあの転校生の掌握に努めていただきたいものです」
にっこりと、周りに花が飛んでいるのではないかと錯覚するほど華やかな笑顔だが、目の奥は笑っていない。本当に敵には回したくない男だ。
「冗談ですよ、僕も鈴岡さんとも、良き友だと思っています。だからこそ、あいつは許されざる者なのです」
鋭い眼光には、本薙への心の奥からの嫌悪がうかがえた。
結局、この事件は未解決とされてしまう。風紀委員ができるのは、ここまでだ。
親衛隊長たちを敵に回すことは、よろしくない。聞き取った内容をすべて報告書としてまとめる。内容はすべて、不明瞭なものだが。
これからの学園を思案し、大きな溜め息が漏れる。
やはり、俺も、あの転校生の近くで見張りをするべきか…。
先日、遭遇した総一郎が、げっそりと頬がこけているように見えたのを思い出す。体力自慢でアルファらしい体躯の彼が、一回り小さく見えた。察するに、あの転校生からのフェロモンレイプに耐えているのだろう。それでも、大丈夫だと強気で笑顔を見せてくる総一郎に、頭が下がる。憧れの先輩の力になれるなら、俺のストレスなんか気にしている場合ではない。
何度も考えた。その結果、ベータの俺が、転校生の傭兵となることが良いのだという結論で終わる。本当は、五月の段階でわかっていたことだった。それでも総一郎は、それを口にしようとする俺を笑顔で制し、自らが向かったのだ。
夏休みは目の前だ。
その間だけでも、俺で学園や彼らの役に立てるなら、尽力したい。
時計を見ると、すでに七時を過ぎていた。
そういえば、前回もこのくらいの時間だった気がする。
生徒会室に報告書を提出した際に見た、あのおぞましいアルファとオメガの光景を思い出し、背筋が凍る。今回は、提出に行こうと決意する。これを乗り越えなければ、総一郎に申し出など出来るはずがないと思ったからだ。一つひとつのトラウマを乗り越えて、俺は一つずつ、成長していきたい。
風紀委員室を施錠し、足を向ける。きゅ、きゅ、と暗い廊下に俺の足音が響く。力強く、一歩一歩、前に進める。出ないと逃げ出してしまいそうだったからだ。どくん、どくん、と心臓の音が身体に重く響く。嫌な汗が全身にまとわりついている。生徒会室前で深呼吸をし、頬を叩いてから、ノックをする。
返事はなく、震える指先でドアノブを回すと、そこは固く閉ざされていた。ほ、と安堵の溜め息がでる。全身が弛緩し、強いストレスだったことを実感してしまう。仕方なしに、生徒会のポストに書類を投函し、帰路についた。
15
お気に入りに追加
177
あなたにおすすめの小説

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜
ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。
そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。
幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。
もう二度と同じ轍は踏まない。
そう決心したアリスの戦いが始まる。
この噛み痕は、無効。
ことわ子
BL
執着強めのαで高校一年生の茜トキ×αアレルギーのβで高校三年生の品野千秋
α、β、Ωの三つの性が存在する現代で、品野千秋(しなのちあき)は一番人口が多いとされる平凡なβで、これまた平凡な高校三年生として暮らしていた。
いや、正しくは"平凡に暮らしたい"高校生として、自らを『αアレルギー』と自称するほど日々αを憎みながら生活していた。
千秋がαアレルギーになったのは幼少期のトラウマが原因だった。その時から千秋はαに対し強い拒否反応を示すようになり、わざわざαのいない高校へ進学するなど、徹底してαを避け続けた。
そんなある日、千秋は体育の授業中に熱中症で倒れてしまう。保健室で目を覚ますと、そこには親友の向田翔(むこうだかける)ともう一人、初めて見る下級生の男がいた。
その男と、トラウマの原因となった人物の顔が重なり千秋は混乱するが、男は千秋の混乱をよそに急に距離を詰めてくる。
「やっと見つけた」
男は誰もが見惚れる顔でそう言った。

欠陥αは運命を追う
豆ちよこ
BL
「宗次さんから番の匂いがします」
従兄弟の番からそう言われたアルファの宝条宗次は、全く心当たりの無いその言葉に微かな期待を抱く。忘れ去られた記憶の中に、自分の求める運命の人がいるかもしれないーー。
けれどその匂いは日に日に薄れていく。早く探し出さないと二度と会えなくなってしまう。匂いが消える時…それは、番の命が尽きる時。
※自己解釈・自己設定有り
※R指定はほぼ無し
※アルファ(攻め)視点
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

当たり前の幸せ
ヒイロ
BL
結婚4年目で別れを決意する。長い間愛があると思っていた結婚だったが嫌われてるとは気付かずいたから。すれ違いからのハッピーエンド。オメガバース。よくある話。
初投稿なので色々矛盾などご容赦を。
ゆっくり更新します。
すみません名前変えました。

【完結】最初で最後の恋をしましょう
関鷹親
BL
家族に搾取され続けたフェリチアーノはある日、搾取される事に疲れはて、ついに家族を捨てる決意をする。
そんな中訪れた夜会で、第四王子であるテオドールに出会い意気投合。
恋愛を知らない二人は、利害の一致から期間限定で恋人同士のふりをすることに。
交流をしていく中で、二人は本当の恋に落ちていく。
《ワンコ系王子×幸薄美人》
オメガの復讐
riiko
BL
幸せな結婚式、二人のこれからを祝福するかのように参列者からは祝いの声。
しかしこの結婚式にはとてつもない野望が隠されていた。
とっても短いお話ですが、物語お楽しみいただけたら幸いです☆
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる