拗れた初恋の雲行きは

麻田

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第7話

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 ほとんど眠れなかった。
 目をつむると、中学生のときの俺と海智が瞼の裏に浮かんでは消え、忘れたはずの傷で胸が痛む。うっすらと白んだ朝焼けに目を細め、弱い自分にひとつ溜め息を漏らしてから、頬を打つ。
 こんな自分を変えるために、打ち勝つために、俺は、風紀委員になったんだ。
 高等部に入学した総一郎が、周りの推薦を受け、風紀委員になったと聞いた。そのあとを追うように、高等部に入学してすぐに風紀委員に入った。学校の風紀を守る仕事は堅苦しく言われがちだが、規律を守り、健やかに生活することは大変心地の良いものだった。誰かのために力を尽くせるし、何も考える暇がないくらい忙しい方が、俺は好きだ。
 大きく深呼吸をしてから、ジャージに着替え、軽くランニングをしてから、噴水のある公園でラジオ体操の音楽を流す。鼻息荒く、思いっきりラジオ体操をすると、汗がどんどん流れてきて、嫌なことも全部消えていくようだった。
 俺はもう、あの頃とは違う。
 俺の世界は、あんなちっぽけなものではないんだ。
 輝く朝日は、俺を応援してくれているようだった。



「あ、りんせんぱ~い」

 げ、と顔に出てしまう。
 昼休みに風紀委員室へ向かおうと教室を出ると、シャツのボタンを一つもしめずに、ずるずるとズボンの裾を引きずるほど下げているピンク頭に出くわしてしまう。眉間の皺を、ぐぐ、と親指で押す。目の前のピンクは、柔和な笑顔で近づいてくる。

「会いたかった~」

 長い腕を広げて、抱き込まれる直前で、ひらりと身体を横に滑らす。何もない空気を抱きしめた状態の理央は、恨めしそうに俺を見た。

「つめたい…」
「不潔な男は嫌いなんだよ」

 身をかわした瞬間に彼からは、汗に交じってオメガのあまったるにおいがした。つい、鼻に皺が寄ってしまう。

「しかたないじゃん、俺、求められると弱いんだよ」

 照れくさそうに、へへと笑う顔は、年下らしい少年のような愛らしさがあった。しかし、言っていることは大変けしからん。

「それより」

 声色が変わった理央を見ると、真剣な眼差しにとらわれてしまった。色素の薄い宝石のような瞳だ、と見惚れてしまい、頬の伸びてくる手をよけられなかった。少しかさついた親指が、目の下を撫でた。

「疲れた顔してる…大丈夫?」

 眉を下げる心配でしかたないという表情と、宝物のように優しく撫でてくる指先に、指先が固まり、一瞬で温度が上がったように感じた。

「べ、別に…お前には関係ない…」

 首を横に回し、弱い力で手を払いのける。

「そ、それより、なんで風紀が着いてないんだよ?!」

 理央が何かを言おうと、吐息を感じた瞬間に、急いで数歩後ろに下がり、言葉をつなげる。避けられてしまった手を残念そうに降ろした理央は、いつもの軽薄な表情に戻った。

「え~、他にお仕事忙しいみたいだったから、大丈夫だよ~って言って走ってきた」

 そういえば、以前、総一郎に見せてもらった理央の資料には、身体能力の優秀さが記載されていたことを思い出した。

「…今度から、陸上部エースをつけるか…」
「え~!やだよ!りん先輩がいい!りん先輩がついてくれたら、いい子になるかもよ!?」

 はいはい、と適当にうなずきながら、ボタンを既定の数締めたのを確認してから、足早にその場を立ち去った。

「本当、かもよ?」

 と、親指にキスをした理央が、そう小さくつぶやいていたことに気づかなかった。







 ふう、とようやく溜め息をつけた。
 辺りはすっかり暗くなっており、しとしとと雨が降っていた。
 嵐の登場の五月を乗り切り、さらに荒れ狂った六月の報告書をすべて打ち終えた。
 相変わらずの転校生は、生徒会だけに物足りず、ひっきりなしにいろんな色男を漁っている。風紀委員が近くにいながら、総一郎以外の風紀委員もあのオメガのフェロモンにやられてしまった。
 特に、桐峰学園が全国に名を轟かせている一つの要因である、強豪の部活動のキャプテンやエースたちにもその火の粉が降りかかり始めていた。その中でも、校内の人気者がそろっているサッカー部とバスケ部は、見事に毒牙にかかってしまった。三年の主要メンバーは、そろってみんな穴兄弟となってしまった。ましてや、転校生を巡りトラブルに発展し、本来であれば部活動停止処分になることも起きている。しかし、それらを生徒会メンバーが力を尽くして、転校生を擁護し、揉み消している。それは公にされないだけであって、人の噂を止めることも、人の感情をしまうこともできない。部内の関係は最悪を呈していた。
 しかし、六月の中旬を過ぎると、転校生の暴れっぷりは、少しだけ落ち着きを見せた。それは、両部活の二年生ながらにエースを誇っている大崎陽介と本多秀一の犠牲によって得られたものだった。眉目秀麗で、高等部からそれぞれ推薦を受けて入学してきた優秀なアルファの二人は、入学以前から注目度も人気も高い存在だった。一目を置かれる二人が両脇を固めることによって、部内での妬み嫉みは収束を辿った。チームスポーツである両部活が、七月に控えた大会で持つ力をすべて発揮できるかは、非常に心配される。三年生にとっての最後の試合で、悔いが残らないものになることを祈るしかない。その日のために、つらい日々を乗り越えてきたメンバーが、たった一人のオメガのせいですべてが壊されてしまっては、悔やむに悔やみきれないものを感じる。それだけ、本薙早苗のオメガとしての力が強いのか。はたまた、呪われしアルファとオメガの宿命なのか。ベータの俺には、想像し得ない何かがあるのだろう。
 さらなる悩みの種は、過激派で有名な生徒会親衛隊が不穏な動きを見せているということだ。五月の時点で、本薙をリンチしかけた事件があったが、即刻生徒会メンバーにより親衛隊長はそれぞれ罰を下されていた。表立った攻撃が出来ない分、鬱憤は溜まり、さらに学園の人気者たちの親衛隊とも手を結び始めているという。
 桐峰学園には中等部から通っている身としては、大分慣れ親しんでしまっているが、今の世の中で親衛隊なんて不可思議なものもあるもんだ、と改めて思ってしまう。とにかく、誰にとっても穏やかな学園生活が、一刻も早く過ごせるようになってほしいと願うばかりだ。
 とん、と分厚い書類をまとめて、机で整える。ぎ、と椅子から立ち上がり、生徒会室へ提出しようとするが、ふと前回の光景を思い出し、ぞわ、と全身が何かに触れられるような不快感が襲い、鳥肌が立つ。明日の朝一番に提出しに行けば良いだろうと、自分らしからぬ甘い考えをしてしまうが、それを許せるほど、前回の体験が人生でトップに入りこむほどの不愉快なものだった。
 消灯し、風紀委員室のドアを施錠する。誰にも会わないように神経をとがらせながら、どのバース性よりも遠いベータ寮へ足を急がせた。




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