初恋と花蜜マゼンダ

麻田

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ep.7-1

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 僕は、久しぶりの自身のベッドに腰掛けた。
 シルク地のパジャマはお気に入りのメーカーのもので、母が好きなものだった。生まれたときから着慣れた素材で、馴染み深い部屋の風景に、実家に帰ってきたのだと実感する。机の上にある、お気に入りのハードカバーの小説をぺら、とめくる。



 もともと、彼と結ばれてから、日本に帰国して、僕たちは二人でまっすぐ僕の家に来た。そこで、彼は、たまたま揃っていた僕の両親に頭を下げて、結婚の申し出をしていた。両親は、渡米した僕の行動から、おそらく彼と良い関係になっているのだろうと予測はしていたらしかったが、まさかこんなにとんとん拍子で仲が進んでいたとは思っていなかったらしく、今まで見たことないくらい驚いていた。
 応接室でスーツ姿の彼の横に僕は座り、目の前に両親が腰掛ける。彼は、床に膝をついて、息子さんを僕にくださいという物語でしか見たことないような流れをそのままやって見せて、僕も両親も揃って大慌てで彼を起した。けれど、頭を床にこすりつけて、今までの非礼を詫び、心から両親へ許しを願った。
 もちろん両親は、彼と結ばれることを喜んでくれていた。しかし、彼があまりにも土下座を解かないため、それに苦心したのだ。そのあと、すぐに宴席を開こうと父が急いで執事を呼びつけて、準備をさせた。祝い酒だといって、四人で父の大切にしていた日本酒を開封し、一口もらった。

 この部屋に返ってくるのは、その日以来のことだった。
 ラフで良いと言ったのに、彼はやっぱりジャケットをちゃんと着込んで、髪の毛もまとめるようにセットしていた。日程を決めて、両親に電話で連絡をした。二人そろって帰ってくるということを喜んでいた。きっと、何かの報告だということは感じていたのだろう。だから、僕たちが並んで報告をした時には手を叩いて祝ってくれた。

 僕が生まれた時からずっと共にある執事たちも、両親も、心から祝福してくれた。それから、僕の保証人欄に母が署名をして、彼は僕の父に保証人欄への記述をお願いしていた。
 すでに、彼の親子関係については前回の訪問の際に話していたらしかったが、それでも、父はやはり難色を示していた。
 どんな親であっても子のしあわせを見届けたいものだ、と。それに対して、彼が小さく、悲しそうに笑っていた。

「私は、こんな親不孝者を息子に持った両親に心から申し訳ないと思っております。ただ、それでも、私は聖さんと共にある未来にしか希望を持てないのです」

 どうかお許しください。と深々と頭を下げた。






 こん、と軽くノックされて、僕は顔をあげた。
 スリッパを小さく鳴らして、ドアを開けると僕と同じメーカーのパジャマに着替えた彼が立っていた。彼が、僕の実家にいることが、なんだか違和感があって、どき、と心臓が緊張する。そんな僕の反応を見透かしてか、彼はそ、と優しく親指で僕の頬を撫でて微笑んだ。

「ここで寝てもいいか?」

 前回は、一緒に来客用のツインの部屋で寝た。今日もそうなるだろうと思っていたけれど、たまたま自室に遊びにきていた僕を彼は追ってきてくれたのだろう。

「あ、ごめん。今、あっち行くよ?」

 下の階を指差す。下の階には、来客用の部屋がある。二階は僕や両親の部屋があった。僕の両親がいる空間では、気を遣わせてしまうだろうから部屋を出ようとするが、彼の熱い身体に押しやられてしまって、部屋の中に入り、ドアが閉まる。顔をあげると、顎を掬われて唇がしっとりと濡れた。

「聖の匂いがする、ここがいい…」

 大きな身体をかがめて僕に口づけした彼が、ひっそりと囁いた。濡れた瞳に心臓を鷲掴みにされてしまう。胸元に手を置くと彼の力強い鼓動が伝わってくる。つるり、とシルクが心地よい。鎖骨から肩にかけてオウトツを撫でて、上目で彼を伺いつつ、視線を泳がす。

「何それ…、は、ずかしい…」

 彼は小さく笑って、かわいい、とつぶやいて、僕の頬にキスをした。それから、勝手知ったる顔で、僕の手を引いて、彼が先にベッドに腰掛けた。きし、と古いベッドは音を立てる。現実味があるのに、生まれた時からずっと過ごしている僕の部屋に、大人になった彼が、同じパジャマを着て座っていることがすごく不思議で、倒錯的で、魅惑的だった。
 手をつながれながら、彼の目の前に立つと、今度は彼が僕のことを上目で見る形になる。乾かしたばかりだろう髪の毛を撫でると、ふわふわと弾力があって、指を指し込んで撫でると、毛先の方は少し濡れているようだった。彼は心地よさそうに目を細めて、僕の好きなようにさせてくれた。それから、無駄のない美しい輪郭を包んで、身体をかがめてゆったりと近づくと、近くで彼が唇を舐める気配がして、生々しくて胸の奥がつん、と痛んだ。それから、しっとりと唇が合わさる。ちゅ、と彼が軽く吸い付いてきて、小さな音を立てて離れた。身体を起そうとすると、今度は彼が僕の手を引っ張って首を伸ばし、キスをした。

「もっと…」

 柔らかな間接照明が彼の瞳をきらきらと輝かせており、吸い込まれるように、もう一度唇を食むように合わせた。彼がまた吸い付いてきて、じわ、と身体の熱が上がっていく。気持ち良くて、僕も彼の唇を吸うと、ちゅ、ちゅ、と静かな幼き頃を過ごした部屋に僕たちの音が響いた。頬が熱くて、彼の肩を撫でて、首もとに抱き着いて頬をこすり合わせた。僕よりかは、ひんやりとした頬が僕の身体の熱をほどいてくれるようだった。
 彼の甘やかな大好きな香りと、僕がずっと使っていた実家のシャンプーの匂いが彼からして、何か僕の欲が満たされていく感覚がした。

「さくから、僕の家の匂いがする…」

 彼の長い腕に抱きしめられて、膝の上に座るように足をすくわれる。顔をあげて、ふふ、と笑いながらそうつぶやくと、彼も頬をゆるめて、高い鼻梁で僕の鼻筋にこすり合わせた。ようやくいつもの顔つきに戻った彼に、そのまま尋ねる。

「緊張した?」
「もちろん。他でもなく、聖のご両親だからな…」

 聖の、と強調されたように聞こえた。
 その途端、温かな感情と同時に、彼への後ろめたさが溢れ出る。視線が落ちた僕に気づいて、彼が、聖?、と前髪を払い、額を撫でて輪郭をなぞった。

「僕も…、さくの、ご両親に、挨拶…したいよ…」

 もう何度も彼に伝えることだった。その度に、気にするなと言われ話をはぐらかされてしまう。

「僕、大事な人たちに、だ、大好きな、人との、結婚をお祝いしてもらって、すっごく嬉しかった…」

 まっすぐに彼を見つめて、気持ちを伝える。彼も僕の瞳を見つめて、静かに聞いてくれている。

「だから、僕も、さくにもこの気持ちを、味わってほしい…」

 彼のパジャマを握りしめて、必死に伝える。彼は眉根を少し寄せて、視線を落としながら口角を上げた。

「そう、だな…」

 初めて彼が肯定するような言葉を口にした。
 しかし、その表情は晴れないものだった。泣いている、のかと思って、彼の頬をそ、と包んだ。頬骨を撫でると、彼の瞳があがって結ばれる。

「俺は、そういう聖の優しさに、何度救われるのだろうか…」
「さく…?」

 僕の手を、彼が上から包んで長い睫毛を伏せた。深く呼吸をした彼の瞼が震えているようで、僕は慰めるように、やんわりと瞼の上に口づけを落とした。
 顔を離すと彼もゆったりと睫毛を持ち上げて、潤んだ膜を張った瞳が細められた。

「聖、好きだ…」

 身体を抱き寄せられて、唇が吸い付いてきた。舌先が淡く絡み合うと、鼻から声が漏れてしまう。

「んぅ…、ん…」

 何度も舌先を軽く吸われてしまうと、びり、と身体の末端が震えてしまう。くちゅ、と舌を合わせてから、唇が離れていく。うっとりと瞼を持ち上げると、眦を赤く染めた彼がそこにいて、胸が締め付けられる。

(好き…)

 好きだから、彼にもたくさん、いい思いをしてほしい。

 彼も微笑みながら、僕の前髪をこめかみに撫でつけて、もう一度だけ唇に吸い付いた。

「いつか…、一緒に会いに行ってくれるか?」

 はじめて彼がそう口にした。

「行く! 一緒にいく!」

 身体を起して、目を見開いて彼に即答する。興奮で頬が熱くなっているのがわかる。あまりにも勢いが良くて、彼が少し驚いてから、ふふ、と笑っていた。恥ずかしいのに、心がくすぐったくて、僕もゆるゆると笑ってしまった。



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