初恋と花蜜マゼンダ

麻田

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ep.6-1

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「聖、どうだ?」

 額に置いてあった濡れたタオルをとって、彼の大きな手のひらが包んだ。心地よくて、瞼を降ろす。こん、と咳が一つ出た。彼に移らないように、口元まで掛布団をあげる。

「いくらか下がったか?」
「ん…」

 ひやりとする手の甲で頬を撫でられて、鼻から声が漏れてしまう。
 ここ最近、微熱が続くと思っていた。けれど、別に身体が明らかに調子が悪いということはなく、普通に過ごしていた。加えて、最近、妙に彼の温度が恋しくて、家にいる間はずっとついて回った。料理をしている彼の手伝いをしたいのに、気づいたら、彼の広い背中に抱き着いて頬ずりをしていた。料理しにくいだろうに、彼は嬉しそうに笑って、素直に甘えさせてくれた。ソファーに彼がいれば、隣に座って、ずっとくっついた。タブレットで様々な新聞、雑誌のチェックをしている彼に、抱き着いたり、膝枕してもらったり、とにかくくっついていないと、寂しくて涙が出てしまいそうだった。その分、彼の温度や匂いを味わうと多幸感に包まれて、鼻歌を歌い出してしまいたくなるほど心地よかった。
 けほ、とまた咳がでた。彼が眉を下げて、頬を優しくて撫でて離れていってしまった。

「俺が替わってやりたい…」

 冷えたタオルを額に置いてくれる。身体の中にずっとくすぶっている熱が少しだけ、じわ、と溶けていくようだった。
 もう夏も終わるというのに、風邪をひいてしまった。その理由は、季節の変わり目だとか、クーラーの浴びすぎだとかそういうことではない。原因はわかっていた。それは、昨夜、一緒に風呂を出た彼に、ろくに髪も乾かさず、身体も拭かず、そのまま抱いてほしいと強請ったからだ。よく一緒に風呂には入る。同棲をしだした頃は、何度も二人でのぼせ上って苦しい思いをした。そうならないように、お互い、浴室内でのそういうことは控えようと決めていた。ただ、お互い、好きな人の美しい裸を見れば興奮するのはもちろんのことで、お互いを舐めたり撫で合ったりして、愛を深めた。
 その日は、どうしても彼に愛してほしくなってしまって、浴室内でも強請ってしまった。ダメだと諫める彼が折衷案として、舐めさせてくれて、彼のペニスを頬張った。射精してほしいけれど、してしまうと終わってしまうから嫌で、何度もしゃぶったり舐めたりを繰り返して、キャンディーバーのように長く楽しんだ。彼は僕の長い攻め苦に文句も言わずに、ただ、かわいい、好きだ、とうわ言のように繰り返し、頬や頭を優しく撫でてくれていた。瞳をとろけさせて、微笑む彼の様子が嬉しくて、僕は恍惚と彼のペニスを口にした。口の中では受け止めきれず、顔や手にも大量に精を浴びて、どろりとした白濁を舐めると苦味と共に、彼のフェロモンの味がして、たまらなく身体の熱が高ぶってしまった。だから、そのまま、僕の身体を拭いたり髪を乾かそうとしてくれた彼に絡みついて、たくさんキスを強請って、あまりにもしつこいから彼が諦めて抱いてくれたのだ。
 湯冷めした僕は、案の定、風邪をひいてしまったのだ。
 彼は、そうならないようにずっと止めてくれていたというのに、僕があられもなく暴走してしまった結果なのだ。それなのに、彼は一切僕を咎めない。むしろ、熱心に看病までしてくれていた。
 情けなくて、ぐじゅ、と鼻が崩れると、涙が溢れた。

「どうした? 聖…?」

 眉間に皺を寄せて、彼が幼子に言うように柔らかい声で僕を呼んだ。溢れる涙を親指で丁寧に拭ってくれて、その優しさに、僕は自分自身が如何に淫乱で浅ましいのかを感じ入ってしまった。

「ご、ごめんね…さくに、迷惑、かけて…」

 ごめんね、ともう一度謝った。涙で歪んだ視界では彼がどのような表情をしているのか、つぶさに観察することは出来なかったけれど、くすり、と彼が微笑んだのだけはわかった。

「迷惑なんて思ってない」

 低く柔らかい声で彼は言うと、僕の涙を払う。開けた視界には、彼が頬をほんのりと染めて、ゆるゆると笑っている顔が見えた。

「聖の傍にいられて、どんな時も一緒にいられることが嬉しい」

 だから、たくさん頼ってくれ。と彼は心から嬉しそうに目を細めて、僕の頬を撫でた。
 きゅう、と胸の奥が締め付けられて、頭の中がどろりと溶けてしまうようで、うっとりと彼を見つめた。

「さく…」

 数年前まで、冷たく睨まれていた。今の彼の瞳には、その面影すらない。常に僕を見つめるその瞳には、緩んだ顔をした僕しか映っていない。とろけた瞳が僕を見つめて、甘く好きだと囁く。
 何度も何度も実感していることなのに、毎日改めて感じ入って、彼に好きだと言ってもらえる奇跡に胸がいっぱいになる。
 彼が、もう少し寝た方が良い、と言って立ち上がろうとしたのを、急いで袖を掴む。弱い力だけれど、彼は気づいてくれて、また腰をその場に落とした。

「聖?」

 小首をかしげて、僕の言葉を待つ。袖を掴んだ僕の手を、大きな両手が包んで、撫でてくれる。温かい水が身体の中から沸き立って、全身がほぐれて、彼に抱きしめてもらいたくてざわめく。

「寒い…」
「寒い?」

 唇を噛んで、小さくつぶやくと彼は怪訝そうな顔をしながら聞き返した。それから、近くにあったエアコンのリモコンを手にした。小さく横に振ると、タオルがずれ落ちる。スイッチを入れる前に、彼がそのタオルを直してくれる。

「寒い…」

 つないでいた手を軽く引くと、彼はすべてを理解したようで、機嫌良さそうにくすりと笑ってから、僕の持ち上げた布団の中に入ってきてくれた。布団をかけた瞬間に、ふわ、と風圧と共に彼の甘い匂いがして、神経がひりついた。僕は彼がすぐ近くにいてくれることが嬉しくて、すぐに胸元に擦り寄った。彼はそんな僕を喜んで受け入れて、また額から落ちてしまったタオルをベッドヘットに片してから、長い腕で包んでくれた。
 花蜜の香りと彼の高い体温で身体も心も、温まっているはずなのに、涙が滲んだ。しあわせなのに、なぜ苦しいのだろう。顔をあげると、すぐ間近に彼がいて、見慣れた甘え笑顔で名前を呼んでくれた。

「聖、どうした…?」

 僕の名前を呼んでくれて、優しく前髪を払って涙を拭ってくれる。優しいその仕草に、もっと涙があふれてしまう。

「ん…」

 僕は、人差し指で自分の唇を、とんとん、と叩いた。彼が、少し眉を上げてから、ふふ、と笑って、身をかがめた。首を伸ばして瞼を降ろすと、そ、と唇がしっとりと合わさった。ゆっくりと離れていくのに合わせて瞼を持ち上げる。熱を帯びた瞳が愛おしくて、胸が張り裂けそうだった。

「風邪、移っちゃうよ…ん、…」

 自分から強請ったくせに、彼にそうつぶやくと、彼は笑って、もう一度キスをした。

「そしたら聖に看病してもらおう」
「僕、ん…おかゆ、っ、つくれる、かな…んぅ…」

 答える合間も、何度も唇を淡く吸われてしまう。その度に、ぞく、ぞく、と背中を悦が駆け抜けて、もっと欲しくて身体を摺り寄せてしまう。ちろ、と彼の唇を控え目に舐めると、僕を枕の上に戻して、上から彼がキスの雨を降らせる。時たま、湿った熱い舌が合わさって、内腿を擦り合わせる。広い肩甲骨に手を這わすと、男らしさを感じて、さらに心臓が高鳴る。

「いらない。聖が、俺だけを見てくれるなら、それだけでいい」
「ぁ、そ、んな…っ、ん…」

 すぐ目の前に宝石みたいな瞳があって、彼が僕の額を温かい手のひらで撫でる。意識がとろとろ、としてきて、ただただ恍惚に目の前の彼を見つめる。

(キス、したい…)

 それなのに彼は、僕の横に身体を倒して、僕の頭を抱き寄せた。そして、額に冷えたタオルを乗せると、優しくリズムよく、胸元を叩く。

「俺はずっと、聖の傍にいるから…」

 早く元気になってな、とこめかみに淡くキスをされる。
 もっと欲しくて、彼を見上げておねだりしたいのに、瞼が下がってくる。腰が重くて、それを発散させてほしいのに。彼を胎内にたくさん受け止めたいのに。重怠い頭は、ぼんやりと彼の匂いに包まれながら、意識が遠のいていった。




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