初恋と花蜜マゼンダ

麻田

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ep.1-9

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 抱きしめられながら、ベッドに引き上げられて、そ、と頭を枕に沈められると、彼は身体を起して、ナカから僕をゆったりと抜いた。

「んう…っ」

 ぬぽん、と何かの塊がナカから最後抜けた感覚がして、身体が小さく震えた。膝を立てて、内腿を擦り合わせると、じり、と熱がまだ残っていて、けれど体温が一気に下がってしまった寂しさに眉を下げた。

「や、さく…」

 彼に手を伸ばしながら視線を落とすと、彼が自分の股間をいじっていた。何をしているのか、重怠い身体を起すと、性器につけた薄手のゴムのような素材のものを抜いていた。その袋には、たっぷりと白濁がゴムを膨らましていた。

「え…それ…」

 器用に口をくるり、と縛ると、彼は僕にキスをした。ひくん、と後ろが寂しそうに反応して、昨夜は彼が去っても、ここに残っていたのに…と訴えかけてくるようだった。つまり、これは、コンドームというやつなのだと言葉でしか知らなかったものが目の前にあって、ようやく結びついた。

「なんで、つけるの…?」
「昨日は、なかったからな。これをつけた方が、聖の身体に負担が少ないだろう?」

 僕の首筋を撫でながら、彼は口元を緩やかにさせて囁きながらキスをし続けた。そのまま、優しく押し倒されて、身体の横から、かさ、と音がした。視線だけ動かすと、箱から、ずらずらとくっついたアルミ箔の袋を彼が片手でいじっているところだった。僕の足を割り開き、間に腰を入れる。ゴムを一つとって、また立派に勃ちあがっている自身にくるくる、と身に着けさせていた。

「やだ、これ、やだ…っ」
「聖?」

 彼の唇を避けて訴えかけた。それから、彼のそれに触れる。ぴく、と彼の肩が揺れてから、どうした?、と心配そうに僕を見下ろしていた。

「さくの、…さくの、直接ほしい…」

 とって…、と涙がにじむ瞳で見上げながら、両手で優しく、彼の分身を包む。むく、と手の中で大きさを増し、ぴち、とゴムが張られた。彼は、奥歯を鈍い音を立てながら噛み締めた。

「だ、めだ…っ、聖…」
「なんで…? さくは、直接、やなの…?」

 僕だけではなく、彼だって、嫌ではないはずだった。なぜなら、これからまた挿入するためにゴムをすぐにつけ直したのだから。昨日だって何度も何度も出したのに、まだ彼のそれは、一回目と同じくらい硬くなっている。
 それなのに、否定する彼と、心の距離を感じてしまうのは、おかしいのだろうか。
 彼の手が、大切な宝物に触れるように、僕の頬を包んだ。間近で潤む瞳の彼は、眉を寄せて懇願するように囁いた。

「ナカに出すと、聖の身体に余計な負荷をかけることになる。それは、嫌だ」

 わかるな、と小さい子に言い聞かせるように優しく話す彼に、む、と口を結んでしまう。僕のことを、一番に思ってくれていることは伝わる。

「でも、僕…ナカに出されて、身体壊したことない…」

 彼の手の甲に指を這わせて、上目で淡く睨む。
 この一年で、二人のアルファと過ごした。どちらも、避妊具はつけていなかったはずだった。けれど、中に出されて、腹を下すことも何か不調が出ることも、特に思い当たらなかった。

「そ、れは…、悪かった。あの時は、なんというか…」

 彼は、約一年前の、生徒会寮でのことを思い出しているのだろう。気まずそうに視線を落としながら、もごつかせた。肉のない頬を柔くつまむと、彼は、は、と視線を僕に戻した。

「あの時は、聖を他のヤツに捕られると思って、とにかく本能的にマーキングしてしまったんだ…」

 ごめんな、と彼は真摯な瞳で顔に皺を寄せてつぶやいた。僕は今度は両頬をつまんだ。

「じゃあ、今は本能的に、僕を求めてくれないの…?」

 そろ、と指先で輪郭を撫でながら、彼の瞳を見上げる。瞠目して、首を横に振っていた。

「いや、欲しいさ。聖のことは、いつだって…」
「じゃあ」

 いいじゃないかと言おうとする前に、彼が、違う、とはっきりと食い気味に言い切った。

「今は、本能だけじゃない」

 それじゃ足りない。
 そう囁いて、彼は高い鼻梁を僕の鼻にこすり合わせた。まるで野良猫が挨拶をするときのように、甘えるような仕草で。

「心も身体も、何もかも。聖の何もかもがほしい」

 ひゅ、と息を吸い込むのと、どくん、と心臓が大きく高鳴るのが同時だった。彼の親指が僕の輪郭を丁寧になぞる。指先からもにじみ出る愛で、心が震える。

「傷つけてしまった分、聖に優しくしたい…ずっと、隣にいてほしいから」

 嫌われたくないんだ…。
 自信なく揺れる瞳で彼はかすかにつぶやいた。誰からも振り向かれ、彼に気に入られることに必死になる人が、この世には無数にいる。僕だって、その中の一人だった。
 けれど、彼は、たった一人の、ちっぽけな僕に、心から懇願している。
 無数に散りばめられた星が、ちかり、と光って、地上にいる僕たちに存在を訴えかけてくるのは、たった一部だ。いつだって、大きくまぶしく光り瞬いて、誰もが憧れる彼が、光ることのできない星の僕を見つけてくれた。だから、僕も、光ってみようと立ち上がって、彼の隣に並べるように努力できた。

(少しは、僕も、光ってるかな…)

 突拍子もない考えがぼんやりと頭に浮かんでいて、黙りこくっていると、目の前の彼は、僕の唇をなぞって、不安げに僕の名前を囁いた。

「聖…?」

 彼が、僕を思って、わざわざ買い物に出たのだ。そして、ちらりと視線をやると、箱は大容量パックで三十個入りのようだった。床の上にあるビニール袋には、まだ何箱か入っているようだった。
 腹の奥は物足りないと泣いているかのように、きゅう、と反応しているが、僕の胸は柔らかく、満ちていた。

「もしかして、僕って…、結構、愛され、てる…?」

 図々しくも、頭に浮かんだ言葉がぽろりと零れてしまった。言ってしまってから口を閉じても、言葉は戻ってこない。きょと、と僕を不思議そうに見つめる彼がいて、すごく恥ずかしいことを言ってしまったのだと、じわじわと頭がようやく回ってきた。

「ご、ごめっ」
「今更?」

 忘れて、と言葉を続けようとしたのに、彼が眉間に皺を寄せて、不機嫌そうに首をかしげた。

「あ、ああ…そ、そうだ、そうだ、ね…」

 至近距離で見つめられていることがむずがゆくて、顔を隠しながら視線を泳がす。けれど、彼は余計に顔を寄せてきてしまう。

「聖」

 硬い声色に、泳がせていた視線を戻して、すぐそこにある宝石の瞳を見つめる。
 今、熱に犯されていない理性的に回る頭で、改めて考えてみると、すごく彼に思われていることを実感しだして、顔から湯気が出そうなほど熱い。今まで、そうなることをずっと求めてきた。彼に愛されて、彼が僕だけを愛すること。けれど、それがいざ、本当にそうなっていて、それも、長い間、本当に僕は愛されていたのだ、と安堵している今、考えると冷静に実感してくる。あの時も、あの時も、どの時も彼が乱暴にした理由が、愛情の裏返しだったのだとすると、すごくそれは、重い愛なのだと思う。
 僕も、そうとうねちっこく、彼を引きずり続けたものだと自負していたが、彼はそれ以上かもしれない。
 じわ、と顔の熱が耳や首筋、肩にまで及ぶ。涙すらにじんできた。

「これからは、充分すぎるほど、聖にわかってもらうようにするから」

 今までごめんな、と彼は、柔らかい表情で、僕の頭を撫でた。

(僕だって、たくさん傷つけてきたのに…)

 彼は、自分のせいだと謝っていて、その分の愛情をこれから一生かけて注ぐと誓ってきた。
 嬉しくてたまらないのに、同時にむず痒くて落ち着かない。

「ぼ、僕ね…」

 そういうムードでなくなってしまって、彼が僕の横に身体を倒した。肘で枕をつくって、僕を見下ろしている。くる、と僕も半回転して、彼を近くで見上げる。

「実は、ね、距離置こうってなってたんだけど、一回だけ、どうしても会いたくって、さくに会いに行ったんだ」

 大学での場面を思い出す。
 僕の知らない世界。同年代の子たちが、きらきらと楽しそうにしていた。その中で、多くの人の視線を独り占めしていたのが、彼だった。

「でも、さくが、別世界の人みたいで、気が引けちゃって、また頑張ってから会いに行こうって決めて帰っちゃった」

 目を見開いた彼に、距離置くって言ったのにごめんね、と眉を下げて謝る。その眉間に、彼が淡くキスをした。見上げると、頬を染めてゆるやかに微笑んでいた。

「実は、俺も、何度も会いに行った」
「え?!」

 彼が告白した言葉に驚いて、身体を起した。そんな僕を、彼は眦を下げたまま話を続けた。

「何度、あの図書館に通ったことか…」

 周りの先輩方は気づいていたみたいだったがな。と彼は言った。けれど、僕はそんな話、ひとつも聞いたことがなかったし、何より全く気づいていなかった。

「え、え…? ほ、んと…?」

 確かに、今思うと、彼があの喫茶店になぜいたのか、すごく疑問に思えた。その時は、それよりも彼に会えた喜びや遠くに行ってしまう悲しみや、すべての感情が乱れすぎていて、そこまで考えが至らなかった。

「機械音痴なのに貸出パソコンと格闘する聖も、背伸びしても高い書架に届かない聖も、全部かわいかった」

 はじめの頃は、学校の授業以外で触れた事の無いパソコンに四苦八苦したし、天井近くまでずらっと並んでいる本棚の高い位置にある本を戻すのは背伸びをして大変だった。後日、高くて安定感のあるはしごが倉庫にあって、それを使うのだと教えてもらってからは、そういうことはなくなった。
 どちらも、あまり長い期間見せていた姿ではないはずだ。
 彼は、当時を思い出しているのか、くつくつと朗らかに笑っていた。

(そんな前から、見られてたんだ…)

 距離を置こうと言ったのは、彼なのに、彼の方が僕から離れられてなかったのか。
 今になって知れた、彼の愛情に、とくとくと温かく、心臓が血液を流す。

(教えてほしかった…)

 けれど、彼がそうやって頻繁に会いに来たところで、きっと、僕たちの関係は今のようには進まなかったと思う。それは、僕自身の問題だったから。
 何かを待つというのは、自分が行動することよりも苦痛で、長く感じられて、手放した方がよっぽど楽だったと思う。しかし、彼は、辛抱強く、僕を遠くから見つめ、待っていてくれた。
 胸の奥が絞られて、喉が狭まるように息がつまる。唇を噛んで、手を握りしめても、収まることはない。
 僕は、彼の裸の胸元に擦り寄った。

「…好き」

 その言葉が、一番的確だった。それ以外に、今の気持ちを表現する言葉も見つからなかった。

(何度も、言いたかった…)

 あの時、唇を噛んで堪えた言葉が、今、彼の胸元で、素直に伝えられることがどれだけ幸福なことなのかを強く実感する。
 彼が、力強く僕を抱きしめた。この胸の高鳴りも、甘い匂いも熱も、あの時は手に入らなかった。僕も彼の広い背中に手を回して、強く抱き着く。

「聖…、聖…」

 奥歯を噛み締めて、彼が深く甘く名前を囁く。とく、と下腹部がまた疼きだす。甘やかな香りが、濃度を増して僕の身体に沁み込んでくる。くる、と視界が回ると、背中に滑らかなシーツを包んでいる。瞬きをすると、顔を上げた彼が、劣情渦巻く瞳で僕を射抜く。ぞわ、と背中がざわめいで、うなじがじりつく。

「…聖、隙がありすぎて何度、我慢したことか…」

 喉を締めた細い声が絞り出される。眉間にしわをきつく寄せて、彼は犬歯をちらり、と光らせた。何のことかわからず、僕は彼を怪訝に見つめるしかなかった。彼が剣呑な顔のまま近づいてきて、少し強く頬を吸われた。

「何度、男たちにこの笑顔を見せた? この可愛い声を聞かせた? …この優しい手を触れさせた…?」

 言葉の順に、彼は口の端に、喉仏に、指先にキスをした。ひく、と喉が鳴って、頬が熱くなる。
 そういえば、何度か勤務中や喫茶店にいる時に、声をかけられたり、連絡先をもらったり、思いを告げられることもあった。その事実によって、僕は、少しは見た目が優れていることに気づいたのだった。

「さ、く…?」
「俺が…俺の聖なのに…」

 僕の手をきつく握りしめて、僕の胸元で項垂れる彼の表情は、前髪が隠してしまって覗くことが出来なかった。そ、と指先を差し込んで、耳にかけるように撫でつける。

「さく…」

 こめかみを撫でて、頬を包んで顔をあげるように促す。しょげた彼は、僕の思う通りにしてくれて、頬を赤くしたまま視線を泳がせて不貞腐れた彼がいた。
 何千人の前で、堂々と演説をしてみせた制服姿の彼が思い起こされる。いつだって、僕の前に立って、手を差し伸ばしてたくさん冒険をさせてくれた幼い彼も目に浮かぶ。その彼が、こんな子どもみたいな顔をしているのは初めて見た。
 愛らしくて、ふ、と肩の力が抜けて、笑ってしまった。

「僕が好きなのは、この世界でさくだけだよ」

 額に、唇で吸い付いた。ちゅ、と小さく響くと、自分が恥ずかしいことをしている自覚が湧いてくる。意外にも嫉妬深いのだと知ると、愛の深さを感じて、またじわりじわりと身体が火照り、胸の中から何かが溢れていくようだった。
 それでも、しばらくじと、と視線を合わせてくれない彼のこめかみや、瞼にキスをする。ふふ、と淡く笑うと、彼の視線がようやく、僕に戻った。

「ん」

 小さくうなるように声を漏らすと、彼は唇を、人差し指でとんとん、と叩いた。
 僕は少し瞠目した。昔の合図だ。それを、今、大人になった顔の彼がしてくれている。足元が浮いているような、高揚感が僕を包み、ゆるんだ頬のまま、彼の唇に口づけをした。

「足りない…」
「ん、ぅ…」

 身体を起した彼は、僕の口内に当たり前のように舌を絡めた。濃密な花蜜の香りが僕を、ぶわり、と襲って、くらりと眩暈がする。とろ、と後ろがほどける。

(僕には、さくだけ…)

 さくにも、僕だけなんだ。

 首に腕を巻き付けて、口づけに揺蕩う。彼の手慣れた指先が、また僕を簡単に高めてしまう。0.01ミリの厚さが憎いけれど、それはお互いが我慢し、彼が僕を大切にしたいという優しさを僕は尊重した。
 その分、彼は、僕をじっくりと味わい、倍、甘い言葉を囁き、とろけた時間を過ごした。



 一週間、外との連絡を絶って、ひたすらに二人だけで睦みあい、愛し合った。途中で、一度だけ、コンドームがなくなってしまって、彼と一緒に、手をつないで買い出しに行った。レジの大柄の褐色肌の男性にちらちら、とコンドームと僕たちを見られた気がして、恥ずかしてたまらなかったのもいい経験だった。
 その中で、僕のコートから、飛行機でアプローチを受けた男性の連絡先のメモが出てきて、執拗な甘すぎるお仕置きを受けたのも、あの小さな、僕たちだけの秘密基地のようなアパートの中の思い出である。



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