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epilogue.1-1
しおりを挟むしっとりと口づけをして、彼が離れていく。視線が混じりあうと、彼はとろけた瞳で甘く微笑んだ。
「聖…、愛してる…」
彼の花蜜の香りが僕を浸食していくように、思考回路がどんどん焼き切れていく。瞼は妙に重くて、とろりとした瞳を開けていられない。口の中が渇いて、ごく、と唾を飲む。疼きが強くなる唇を淡く噛むと、彼がそれに気づいて、親指で撫でる。
「聖…」
彼の瞳の中にも、濁った欲が滲んでいた。腹の奥が、きゅう、と何かを示すように蠢いて、彼の首に腕を回してキスをした。吸って、離れるだけのキスしか僕にはできなくて、固まっている彼の唇に、角度を変えながら何度も吸い付いた。
「さ、くう…んっ、ん…」
控え目に、ちろ、と唇の割れ目をなぞる。きゅ、と反射的に唇が薄く僕の舌を食むと、嬉しくて背中がぞくぞく、と震える。
「も、っと…さくぅ…」
形の良い耳に人差指が引っかかって、親指と共にそのへこみやでっぱりを味わうように撫でる。
(あ…、さく、いい匂い…)
わっ、とさらにフェロモンの香りが密度を増して、それだけで僕は、酩酊状態になる。くらくら、とする頭で、目の前の愛しい人を必死に求める。何も、考えられなくなっていく。
(もう、我慢、したくない…)
「もっと、さくの、いいにおい…」
彼の唇は僕の唾液で、ぬら、といやらしく光っていて、内腿が震えた。頬に、こめかみに吸い付いて、ぎゅう、と強く抱き着く。首筋に顔をうずめると、む、と南国の花のような強く甘い匂いがして、ふあ、と吐息と声が漏れてしまった。それだけで、身体が、小さく反応して、ぴく、ぴく…と震える。
「聖…わかる、のか…?」
「…ぅん…」
小さくうなずく。うまく呂律が回らなくなってきていて、ちゃんと言葉になって伝わったか怪しかった。けれど、ぼう、と耳の奥が低く鳴っていて、身体が熱い。それでいてずっと渇いたものを潤ませるために、全身が彼を求めていた。もっと彼の熱が欲しくて、彼の膝に跨って、身体を密着させる。とくんとくん、と早い心音が皮膚を通して、伝い合っていて、その鼓動すら快感のような気持ち良さがあった。
「さくぅ…」
「聖…?」
彼は、おそるおそる、ようやく身体に触れてくれた。触れたと言っても、僕の肩甲骨に手を添えただけの接触だったけれど。それではもどかしくて、足りなくて、さらに彼の身体に擦り寄る。細い腕で、必死に彼に抱き着いた。
「なんか…変…」
(あつい…)
鼓動はさらに早くなっていく。彼の匂いを嗅いだだけで、身体がぶるぶると震える。彼の吐息がかかるだけで、全身が粟立って歓喜に満ちている。さらに彼に抱き着く。
(さくと、一つになりたい…)
これが、どういう感情なのか。色々なことが一般的な同年代よりもうとい僕には、わからなかった。
ただ、背中がむずむずしたり、うなじがじりついたり、さらには、何か腹の奥がさざめいている違和感に、身体を震わせるしかなかった。
「さく…、さく…、さくぅ…」
自分の身体の不可思議な感覚と、目の前に愛しい彼がいること。どう言葉にすればいいのかわからなかった。
ただ、彼の身体に擦り寄って、唇を噛んで耐えるしかできなかった。苦しくて、涙がじわり、とにじんでくる。
「ひ、じり…っ」
ば、と強く肩を押されて彼と離れてしまう。彼の腕一本分の距離でさえ、離れているのが嫌で、抱き着こうとするが彼が許してくれなかった。
(どうして…?)
自然と眉が寄って、瞠目して彼を見上げると、頬を赤く染めて、汗を垂らす彼は、ぎらり、と獣の瞳をして荒い息を吐いていた。その瞳に捕まると、ぞわ、と指先が全身に何かが這うように鳥肌が立ち、さらに頭の中が白んでくる。
「聖…、ダメだ…」
服越しに、肩を掴まれている彼の手のひらの熱が全身を巡っていく。横に首を振ると、彼は口の中にたまったものを飲み込んで、ぽたり、と汗を落した。ぱた、とそれが布に当たって弾けると、さらに濃密なフェロモンが部屋中に満ちるように感じられた。涙が眦から零れて、視界が、す、と開ける。彼の瞳と見つめ合うと、彼の指先が、どきり、と反応しているのがわかった。
「さくぅ…」
唇がやけに寂しく感じられて、前歯で甘く噛んで離すと、ぷる、と弾けるように戻っていった。声がかすれて出ない。けれど、その唇で彼の名前を形作ると、彼が強い力で僕を引き寄せて、その胸の中に閉じ込めてくれた。甘い匂いに眩暈がしそうだった。けれど、彼の体温を分けてもらえることも、甘いフェロモンを与えてもらえることも、いつも以上に早い鼓動を聞かせてくれること、何もかもが嬉しくて、顔を摺り寄せる。
「ダメだ…っ」
彼は低く唸るように言う。ぎり、と奥歯を強く噛み締める音がした。骨が軋む音がしたような気がするほど、強く強く抱きしめられる。それすらも心地よくて、もっと、と強請ってしまう。
「俺は…、聖に、優しくしたい…っ」
心の奥底からの、彼の言葉に、は、と目を張る。そして、彼は僕の耳元でさらに細い声で囁いた。
「聖を、傷つけたくない…」
彼が、自分自身と葛藤しているのだと気づいた。
溶け切っていた頭が彼の必死な抵抗によって、少しずつまともに近づいていく。
(僕…、愛されてる…?)
大切にしたいと彼が全身で訴えかけてきている。そう気づくと、きゅう、と胸の奥が痛んで、気持ちが溢れていく。身体は確かに熱い。熱いのだけれど、日向にいるようなぽかぽかとした心地よさもどこかにあって。心臓の早い鼓動が心地よくて、勝手に頬がゆるんでいく。
鈍い音が聞こえて、腕の中で、もぞり、と身体を動かす。少し腕が緩んで、顔を見上げると、彼は固く目を瞑って、奥歯を噛み締めていた。息は荒く、雄々しい姿に思わず見惚れてしまいそうになる。
(この人が、僕のことを、好き、なんだ…)
そう思うと、くすぐったいような気持ちになる。汗を垂らす顎にそ、と触れる。彼の顎の力が緩んだのがわかった。首を伸ばして、その顎先にキスをする。それから、口角の端に吸い付くと、彼が震える睫毛を持ち上げた。じわ、と今にも溶けてしまいそうな瞳に捕まると、その熱さに僕も溶け落ちてしまいそうだった。それにも、彼の思いの強さを感じる。
(そんなに、我慢するほど…なんだ…)
押し倒して、ものにしてしまうのなんて、簡単なのに。体格差は明らかで、たやすいことのはず。しかし、彼は、必死に理性で自分を殺して、僕を抱きしめた。彼は、苦し気に小さく僕の名前をつぶやいた。その柔らかな唇に淡く吸い付く。
それから、汗をかいている地肌に指を、するり、と混ぜながら、微笑みかけた。彼の硬い髪の毛一本一本すらも愛おしてくて、全てにキスをしたくなる。
「こんなにさくに愛されてて、僕…」
嬉しい…。
するりと勝手に口から言葉が零れ落ちていた。自分でも驚いたが、もう彼には我慢しなくていいのだと思い直して、素直に微笑んだ。
「聖…」
「本当に、さくって、僕のこと好きなんだね」
強張っていた彼の表情も身体も、少しずつ緩んでいくのがわかった。両手で濡れた地肌を撫でながら、愛しい顔を隠す前髪を撫でつける。瞳がゆらゆらと濡れていて、それで見つめられると、胸がどうしようもなく居心地が悪くてざわついて、それなのにずっと見ていてほしくて、身体が熱くなる。
僕の手を、彼が捕まえて、こめかみを辿って、頬を撫でさせる。そして、彼が擦り寄って、手のひらに熱い唇で吸い付いた。長い睫毛を伏せながら、眉間に皺を寄せてきつく祈るように囁いた。
「どうしようもなく好きだ…」
もう一度、ちゅ、と手のひらの柔らかい部分にキスをして彼は震える吐息をついた。僕が空いていた片手でその彼の手首を握ると、力の抜けた手は僕の意のままにさせてくれる。両手で彼の手を捕まえて、僕にしたように、彼の手のひらにキスをした。じっとりと汗をかいて、熱い手のひらは、ぴくり、と指先が跳ねた。瞼を持ち上げると、眦を染めた彼が、じ、と僕を見下ろしていた。
「僕も…大好き」
彼の言葉が、呼吸が、仕草が、愛が、全部がたまらなくて、勝手に笑ってしまう。
「聖…」
そのまま彼の手に指を絡めると、同じように指をつないでくれる。以前よりもこけた頬を撫でると、彼の瞼がぴくぴく、と反応する。
「だから…優しく、してね…」
恥ずかしくて顔が熱いけれど、彼の美しい宝石のような瞳を逃すことが惜しくて、ふにゃりと溶けた顔で囁いた。彼は、一度大きく目を丸く見せてから、皺を寄せて苦し気に僕の名前を囁いた。それから確かめるように僕を見つめ、うかがいながら時間をかけて顔を寄せてきた。大きな身体がかがんでくるのと、その恭しさが愛おしくて、ふふ、と笑ってから、僕は瞼を降ろして、彼の唇と吸い合った。
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