初恋と花蜜マゼンダ

麻田

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第56話

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「苦労するねえ、キムの野郎も」 

 小ぎれいで古びていなく、そしてリーズナブルと言うようなアイシャの無理難題に頭を抱えているだろうキムとエダを思い出すようにそう言うとかなめは立ち上がった。

「茜。車で来てるだろ?ちょっと乗せてくれよ、こいつと一緒に」 

 そう言ってかなめは親指で誠を指差した。当惑したように留袖に汚れがついていないか確認した後、茜が顔を上げた。

「いいですけど、午後からお父様に呼び出されているので帰りは送っていけませんけど」 

「良いって。神前、餓鬼じゃねえんだから一人で帰れるよな?」 

 特に深い意味の無いその言葉を口にするかなめ。テーブルを拭いている島田とサラから哀れむような視線が誠に注がれた。

「まあ良いですよ。女将さん!手伝わなくて大丈夫ですか?」 

「ありがとう、神前君。こっちはどうにかなりそうだから、……引越し組みは出かけていいわよ」 

 鍋を洗う春子の後ろで小夏がアカンベーをしているのが見える。

「じゃあ先に行くぜ、茜。車をまわしといてくれ」 

 そう言うとかなめは食堂を出る。茜と誠はその後に続いた。

「でもまあ、狭い部屋だねえ。まあ仕方ないか、なんたって八千円だもんな、月の家賃が」 

 そう言いながら歩いていると菓子パンを抱えた西高志伍長が歩いてきた。

「お前いたのか?」 

「ちょっと島田准尉に頼まれてエアコンのガス買いに行ってたんで」 

 かなめと茜に見つめられて西は頬を染める。

「ああ、食堂に近づかねえ方がいいぞ。アイシャ達が待ち構えているからな」 

 西は顔色を変えるとそのまま階段を駆け上がっていく。

「元気があるねえ美しい十代って奴か?」 

 上機嫌に歩き出すかなめ。そのままスリッパを脱ぐと下駄箱を漁り始める。

「その靴って、もしかしてバイクでいらしたの、かなめさん」 

 膝下まである皮製のバイク用ブーツを手にしたかなめは玄関に座ってブーツに足を入れた。

「おお、それがどうした?オメエなんか下駄で車の運転か?危ねえぞ」 

「ちゃんと車では運動靴に履き替えます。それよりバイクはどうなさるおつもり?」 

 誠もようやくそのことに気がついた。かなめのバイクは東和製の高級スポーツタイプ。雨ざらしにするにはもったいないような値段の代物だった。

「どうせ明後日はこっから出勤するんだ。別に置きっぱでも問題ねえだろ」 

「そうじゃなくて明日はどうなさるのってことですわ。私は明日は出勤ですわよ」 

 確かにこのことは誠も知りたいところだった。平然と『迎えに来い』などと言いかねないかなめのことである、心配そうに誠はかなめの顔色を伺った。

「ああ、明日?あれだ、カウラとアタシはトラック借りてそれに荷物積んで来るから問題ねえよ。だから置いていく。それでいいか?」 

 そんなかなめの言葉に誠は胸をなでおろす。かなめはブーツを履き終えるといつも通り誠達を待たずに寮を出て行く。そんなかなめを見ながら下駄を履いた茜がスニーカーの紐を結んでいる誠の耳元でささやく。

「そんなにあからさまに安心したような顔をしていらっしゃると付け入られますわよ。かなめさんに」 

 そのまま道に出るとかなめがバイクを押して隣の寮に付属している駐車場に向かっているところだった。いつ来ても、司法局実働部隊男子下士官寮の駐車場は酷い有様だと誠も認めざるを得ない。雑草は島田の指揮の下、草を見つけるたびに動員をかけるので問題は無い。入り口近くの車が、明らかな改造車なのは所管警察の暴走族撲滅活動に助っ人を頼まれることもある部隊に籍を置いている以上、豊川市近辺ではありふれた光景である。朱に交われば赤くなると言うところだろう。誠はそう思っていた。

 しかし、一番奥の二区画の屋根がある二輪車駐車場に置かれたおびただしいバイクの部品の山が入った誰もの目を引き付けることになる。島田准尉のバイク狂いは隊でも知らないものはいない。ガソリンエンジンの大型バイクとなると、エネルギーのガソリン依存率が高い遼州星系とは言え、そうはお目にかからない。

 そのバイクのエンジンが二つも雨ざらしにされて置いてある。盗む人間が現れないのは、その周りに島田が仕掛けた銀行並みのセキュリティーシステムのおかげ以外の何者でもない。エタノールエンジンの大型バイクを愛用しているかなめが、それを見て呆れたように肩をすくめた。
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