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第50.5話
しおりを挟むどうして、こうもすべてが裏目に出てしまうのだろうか。
昔から、なんだって器用にこなす方だった。
だから、勉強もスポーツも、人付き合いもなんだって、うまくこなしてきた。
愛する人とも、順調に付き合っているはずだった。
初めて、本能に支配されたあの時から、少しずつ、俺の順調だった人生が狂い始めていたんだ。
何に置いても、自分を俯瞰して冷めた気持ちで対応してきた。数多く向けられる好意にも、嫉妬にも、どう立ち回れば後腐れなく、自分に優位に運ぶかを考えて笑顔を振りまいてきた。恩も売ってきた。
しかし、唯一、俺を理性的に行動させないのが、聖という存在だった。
聖が笑顔でいるために、聖の笑顔を独占するために、なんだって成し遂げてきた。
それが、聖を傷つけ、俺から遠ざけることになってしまうとも知らずに、時を過ごしてきてしまった。
後悔しても、しきれない。もう遅い。
あの時、聖の手を離さなければ。
自分が傷ついたことを、聖に押し付けなければ。
聖を、一番に考えていれば。
素直に、言葉を並べていれば。
どれだけの後悔を重ねただろうか。
俺を嫉妬で我を失い、情愛に溺れ、全てを狂わされた。
それでも、聖は俺を、受け入れてくれた。
あれだけの仕打ちをした俺を、許してくれた。
そのはずだった。
またも聖を失って、目の前が真っ暗になった。
これは、罰なのだ。
聖という、聖域を荒し続けた、俺への罰。
そう思っても、俺は、聖を諦めることが出来なかった。
自分が何者なのかもわからず、大人にも社会にも勝手に絶望していた幼少期。俺に居場所をくれた、唯一無二の、俺の愛する人。
ずっと、その背中を追い続けてきた。
あの瞳が、もう俺を映さないとわかっていても、あの笑顔が俺には向けられないとわかっていても、どうしても離れることが出来なかった。
俺以外に、聖を渡すことなど出来なかった。
周りに何と言われても、俺は聖を手放すことは出来ない。なぜなら、聖は、俺の半身だからだ。運命の番だから。
俺の目の前から聖が消えて、必死に探し回った。使える物はすべて使って、普段だったら下げない頭も聖のためであれば簡単に下げた。様々な情報網から、聖の実家を探れば、嫌な予感は的中していた。
何度も、警告したあのアルファが、俺の聖に手を出していたのだ。
父親にハニートラップを仕掛け、聖の逃げ場所を奪い、あのいやらしい笑顔で耳馴染みの良い言葉を並べて、その手中に落としたのだ。
それを寮の自室で聞いた時に、騒ぎを不審に思った生徒会の仲間が止めに来なければ、間違いなく部屋を全壊させていたであろうほど、暴れてしまった。怒りの衝動を止めることが出来なかった。
そのせいで、謹慎は食らうわ、ずっとうまく隠して立ち回っていた母親に異変を察知されるわで、身動きが取れにくくなってしまった。それでも、人目をかいくぐり、聖の手がかりを少しでも手に入れようとした。そのため、予想以上に時間がかかってしまったのだ。
毎夜、ようやく寝付けても、聖の夢を見て、苦しくて起きてしまう。聖がいないと、眠れない身体になってしまっていた。聖を思うと、食事も喉が通らなかった。
聖を連れ去った北条柊の住み家は全くと言っていいほどうまく隠されていた。その住み家よりも、北条の怪しいビジネスの方が先に見えてしまう。
イギリスで、若手実業家として名を馳せていたが、もともと祖父の会社は国内に留まる小さなものだった。それをここまで手広く育てるには、必ず裏がある。それが、他国から安値で仕入れた薬物を、高値で他国へと売りさばく商売だった。貿易商とつながりがあったグレイスの家にとって、裏の売買に手を染めるのは簡単なことだった。北条の祖父は昔気質な男だったが、本人は違った。薬物は、様々な種類のものがあった。中でも人々に人気なのは、セックスドラックだった。発情期を強制的な促すものや、ベータであってもオメガのように発情させる麻薬のものもある。それらを知らせる前に、十人ほどの大男が俺を取り囲んでおり、以前のような凄惨な現場にはならなかった。
聖をあいつの元には置いておけない。
微笑む聖を抱きしめると、泡のように消えてしまう。
毎日、そんな夢を見た。どんなに捕まえても、聖は簡単にいなくなってしまう。
俺は、聖がいないと、生きていけないというのに。
もともと社交界で知り合った警視庁の大人と連絡を取り、北条の逮捕に踏み切ろうとした。もともと、馬鹿げた婚約発表会があるというのは知っていた。北条から、招待券が送られてきていたからだ。呑気で余裕を見せつけてくるあいつのもとから、必ず聖を取り返さなければならなかった。
どこからも情報が洩れないように細心に注意を図り、当日、会が始まる前に、逃げられる前に事に及ぶ予定だった。しかし、やつの優秀な部下たちによって、北条は警察の踏み込む一歩手前で会場を脱していた。
海沿いを走り回る内に、俺は最後の賭けに出た。
やつのもとに、必ず聖がいる。
聖なら、俺に気づける。気づけるはずだ。聖なら。
俺たちは、運命の番なのだから。
聖がベータだと医師に言われた。検査結果も見た。それでも、聖から匂う甘い香りは、間違いなく、俺のオメガの香りだ。
海風に乗せて、俺は自分のフェロモンを放出した。風が波と共に、確かに香りを運んでいった。俺の香り。聖なら、必ず、反応する。
本当に、これが最後だと思った。
これで、聖が応えなければ、それは聖がもうやつのものになってしまったということだから。
騒音の中、瞼を降ろすと、簡単に俺の中の聖は微笑んでくれた。それは、幼い頃から、最近の聖へと替わる。いつだって、俺にとって、唯一は聖だけだった。最近の聖は、潤んだ瞳で、じっと俺を見つめていた。その瞳に、恋情を感じていたのは、勘違いではないはずだ。そう、信じていたかっただけかもしれない。それでもいい。
今度こそ、本当の気持ちを伝えたい。
今まで、拒絶され、終わりにされることが怖くて、逃げてきた。今、本当に聖を手放すことになるかもしれないと思うと、後悔ばかりが募って、死ぬに死ねないと思った。
(聖…)
穏やかな波音が、鼓膜をくすぐる。
(好きだ…)
柔らかい海風が、頬を撫でる。
(俺には、ずっと聖だけだ…)
全身から、聖への思いを香りにして届けと願う。
(俺は、聖のアルファだ)
瞼を上げると、水面がきらりと反射して、まぶしかった。
(聖も、俺だけのお姫様だろ…)
そう心の奥底で強く唱えると、前髪を風向きを変えた風圧が攫う。その時、ふわり、とわずかながら、甘い香りがした。金木犀のような、優しく濃密で、俺を惑わす匂いだった。
すぐさま、風を追って匂いを辿り、夢中で駆けた。喉が焼き切れるのではないかというほど、熱く息も苦しい。それでも、聖に会えない苦しみよりも、遥かにマシだった。建物の角を曲がると、遠くに、水面の反射により光の輝きの中に、白いドレスを纏った、想い人の背中があった。
「見つけた…っ!」
もう、なんだって良い。
聖の傍にいられるのであれば。なんだって良いのだ。
たとえ、首裏にアルファの歯型がついていようと、散々あのアルファに汚されようとも、聖は聖なのだから。俺が、愛するたった一人の存在なのだから。
病室で、真っ青な顔で眠る聖のもとで何度も眠りについた。起きる度に、聖が死んでしまっているようで急いで何度も呼吸を確認した。握りしめる手は、氷のように冷たかった。それでも、聖が生きていて、今目の前にいることだけが、俺の救いだった。
だから、聖に嫌いだと泣きながら叫ばれても、身が割かれる思いがあっても、あの笑顔を向けられなくても、瞳が合わなくても、どんなに苦しくても、嫌われても、それでも聖の傍にいたかった。
医者から話を受けた。
聖が、オメガであること。自然的にこれからオメガになっていくこと。それから、まだ、誰の番でもないこと。
それらの事実の中で、俺が最も安堵したのは、聖が健康体であることだった。それ以外は、二の次だった。
ずっと不安だった。
あいつに変な薬でも打たれていたら。聖の身体に万が一のことがあったら。聖が、この世からいなくなってしまったら。
安堵で膝の力が抜けて、廊下に崩れ落ちてしまった。その俺のもとに、膝をついて、背中を擦ってくれたのは、国内で一番の腕をもつバース専門医の山野井先生だった。
聖が北条に連れ去られ、やつの素性を知ってから、もしもの時のために、探していたバースの名医が山野井先生だった。事前に先生には、聖のことや北条の薬のことなどを伝えてある。現在の聖の体内からは、自国内で違法とされる薬物は検出されていないと報告を受けた。そして、オメガとして生きていく人々の身体の繊細さを医学的に説明された。オメガの、特に男性のオメガの体内は、通常ではありえない進化を遂げた形をしており、現代の医学をもってしても、明確に発見されていることは非常に少ない。それほど、複雑なのだという。それを上位種と言われるアルファが一番理解しなければならないことも諭された。
何よりも、聖はずっとオメガであることを教えてもらった。バース性の判定には、アルファのホルモンかオメガのホルモンにしか反応しない検査を行っている。そのため、思春期のホルモンバランスの不安定さから、どちらのホルモンも薄く出る人間は一定数いるのだという。聖はその一人だった。
俺が感じていた聖の匂いや本能的な結びつきは、間違っていなかった。
その事実を知った時、俺は、病院の廊下にも関わらず、涙を抑えることが出来なかった。
聖を信じることが出来なかった自分を恨んだ。
どれだけ聖を傷つけたかを思うと、自分を殺したくもなった。
なんで、自分を、聖を、もっと信じられなかったのかと憎しみに駆られた。
聖がベータだと医師に告げられて、俺はずっと騙されていたのかと驚愕した。しかし、あの匂いも笑顔も瞳も、一つだって嘘をついているわけなかった。
一瞬でも、愛する人を疑ってしまった自分が情けなくて、恐ろしくて、その嫌悪を、あろうことか幼い俺は、聖に向けてしまった。それからのことは、悔いても悔いても悔やみきれない過去として、残り続けてしまう。それは、俺への罰なのだ。
「恋愛は本能で行うものです。しかし、人は、理性での愛を求めるものです」
俺の背中を擦って慰める山野井先生は、まっすぐに俺を見つめてそうつぶやいた。
そうだ。
たとえ罰でも、それでも。
それでも、俺は、聖と共にありたい。
聖に謝りたい。
許してもらえるまで、ずっとずっと謝りたい。
聖と話したい。
本当の俺を、気持ちを伝えたい。
聖の話を聞きたい。
どんなことを思っているのか、知りたい。
聖に、愛を届けたい。
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