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第21.5話
しおりを挟む担任の先生に、「今すぐ資材室に行きなさい」と入れて、柊は疑問に思いながら、言われた通りに朝のホームルーム前に席を立った。クラスでは、目立たないように過ごしている柊は特別に先生と仲が良いわけでも、日直でもないのに、自分に声がかかったことに、元からきな臭さは感じていた。
人がほとんど来ない埃っぽいその部屋をノックするが返答はなく、ドアを開けると日差し差し込む窓辺に腰掛け、こちらを睨みつける姿を認識してから、事の理由を悟った。
「…既に忠告したはずだ」
アルファらしい鋭い目でまっすぐに柊を睨みつけ、威圧のフェロモンを出す咲弥に柊は、何も感じない風をしてドアを閉めてから、睨み返す。
「あなたに指図される覚えはありません」
先週、いつも通りに人気のない第二図書室へと行こうと鼻歌混じりで軽やかな足取りで廊下を歩いている時に、まったく接点のないはずの西園寺咲弥に柊は声をかけられていた。
あの図書室は一般利用は禁止だ、近づくな、と。
なぜですか、と理由を聞いても、以上だ、と言われて、有無を言わさずに咲弥は去っていった。今と同じように威圧のフェロモンで強く言われたが、柊もそう簡単には引けない。なぜなら、あの場所は特別だから。場所、というよりも、そこにいる人が、柊にとっては特別なのだ。
学園の全員から、認識されているにも関わらず、誰も関わりを持たない。いや、持てない。いつも無表情だが、潤んだ瞳と艶やかに光る黒髪は白い肌と対照的で、彼の持つ東洋人らしい美しさを強調するかのようである。庇護欲そそる瞳かと思いきや、桃色に染まる唇と泣き黒子はあでやかで、被虐心をくすぐる。その人は、人目を避けてひっそりと咲く月見草のような儚さと美しさを持っていた。誰も触れない、近寄れない、尊いその人は、無表情と視線の冷たさから、氷の花とも呼ばれていた。
それだけ、周りから関心が高いのに、誰も近寄れないには理由があった。話しかけられたら睨まれたとか無視をされたとか、裏社会とつながっていて消されるとか、色々な噂が尾びれをつけて、集団の中では広まっている。誰も関わらないから関わってはいけないと同調圧力のようなものが作用されている。しかし、その実は、裏で、彼に関わるものを操作する存在がいるのだ。公にはもちろんならない。
それが、目の前で睨みをきかせる人物だと、柊は勘付いていた。
なぜなら、同じニオイがするからだ。
柊がはっきりと返したことに、咲弥は眉をぴくり、と引きつらせ、さらに威圧を強める。
「あの部屋は閉鎖されている」
ぶる、とその強さに柊は寒気が走る。しかし、絶対に折れない理由が柊にもある。
「生徒が学園の図書室を使うのに、あなたの許可がいるんですか?」
横暴ですね、と笑い飛ばすと、咲弥が近づいてきて、柊の胸倉を掴み、棚に巨体を叩きつける。
「あれに近づくな」
ぎり、と強く締められ、息苦しさに眉をひそめる。眼鏡が飛んで、足元がガラスが踏まれる音がする。
「大切な人を“あれ”呼ばわりするあんたにそんなこと言われる筋合いはねえっつってんだよ」
襟を握っている腕を、柊が掴むと、ぎし、と鈍い骨の音がする。エメラルドの輝く瞳を濁らせて柊は続ける。
「俺は、あの人を傷つけたあんたを一生許さない」
「っ、何にも知らない部外者が口を挟むな!」
声を荒げた咲弥は、柊の襟ぐりから手を離して、棚に柊を突き飛ばした。しかし、解放された柊の身体は動かなかった。まっすぐ柊は睨みつけるが先に視線をそらしたのは咲弥だった。
「あんたにはかわいいオメガがたくさんいんだろ?」
咲弥は舌打ちを鳴らして険しい顔でドアを睨んでいる。固くなった首の筋肉を、ごきりと鳴らして柊は低く言い放つ。
「俺にはあの人しかいない」
「黙れ」
「もうあの人は、とっくにあんたなんか縁切ってるんだよ」
「黙れ!」
悲痛な叫びをあげた咲弥に、柊は口角をあげる。一つ、深呼吸をした咲弥は持ち直したように、柊に向き合って、再度鋭い眼光で睨みつける。
「あいつには近づくな」
それに息を吐きだすように、柊は笑い飛ばして長くて邪魔な前髪をかき上げる。いつも視界を遮っている伊達眼鏡は足元で粉々になっていた。広かれた視界には、ずっと見ていたいあの人ではなく、憎たらしい男がいる。
「名前を変えて近づいたところで、お前なんかが相手されると思うなよ?」
瞠目する柊に、今度は、咲弥の口角が上がる番だった。
「お前がその気なら、こちらにも考えがある」
息を飲む柊を見下ろすように見てから、咲弥はドアに手をかける。
「次はない」
背を向け、威圧のフェロモンを強く出しながら、低く唸りあげ、咲弥は部屋を出ていった。
足音が遠のき、咲弥がいなくなったことを確信してから、柊は膝から崩れ落ちる。よく見ると指先もかすかに震えていた。おそらく腕っぷしだけなら、自分は負けない。そのために、日々身体を鍛えている。しかし、あの圧倒的上位アルファの威圧に、気合いだけで耐えた自分を褒めたいと思うほど、相手は力ある者だった。
それでも。
それでも、あの人を渡すわけにはいかない。
柊は、片膝を抱えて大きく深呼吸してから、目を開く。
たった一人の、俺の、大切な人。
あの人に再び会うために、俺は、ここに入学した。日本に帰ってきたんだ。
瞼を降ろすと、あの人の笑顔が浮かび上がる。そうするだけで、胸は高鳴り、勝手に頬がゆるむ。
会いたい。
会って、抱きしめて、一緒に笑いたい。
だから、俺は諦めることはできない。
立ち上がると、また足もとで小さく、レンズが割れる音がする。
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