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三十六話
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「へ、陛下……」
花に囲まれた庭園に突如として現れた人物に、思わず声をあげてしまう。
眉間に刻まれた皺も不機嫌そうな顔つきも、この和やかな庭園には似合わない。私の正面に座っていたレイチェルもぎょっと目を見開いたかと思うと、慌てて立ち上がり一礼した。
「このたびは、陛下にお会いでき、光栄です」
「オブライエン伯爵令嬢。そうかしこまる必要はない。……楽にしていろ」
「あ、ありがとうございます」
睨むように言われ、恐縮しきったレイチェルが椅子に座る。そしてオーギュストが私たちを見回し、空いた席に座った。今日はなんとなく四人掛けのテーブルを用意しておいてよかった。これで椅子がふたつしかなかったら、オーギュストのことだ。すぐにそっぽを向いて帰っていただろう。
せっかくオーギュストがレイチェルと話す気になったのだから、私は邪魔をしないように無になろう。
「して、今は何を話していたところだ」
「え、それは……陛下のお耳に入れるような、お話では……」
「何を話していた」
オーギュストはかちこちに固まっているレイチェルから視線を外し、私に向けてきた。私を無にしてくれるつもりはないようだ。
主催者なのだから、しっかりもてなせと、そう言いたいのだろう。しかたない。
「たわいもないお話ですが、それでもよろしければ。……どこの誰が恋仲であるとかの、可愛らしいお話をしておりました」
「くだらんことを話しているな」
侍女が急いで用意したカップにお茶が注がれ、オーギュストが口に運ぶ。
急いでカップを取りにいったせいか侍女の肩が上下に揺れているので、労わりの視線を送っておこう。
「ですので、陛下のお耳に入れるようなお話ではないと……もしよろしければ、国の政務などの身になる話をいたしましょうか?」
「議会を終えたばかりだ。こんなところでまでするつもりはない。……まあいい、好きに話していろ」
おざなりに手を振り、好きにしろと言うが、レイチェルは完全に恐縮しているし、他人の恋愛事情に花を咲かせていられるような空気じゃない。
それにオーギュストとレイチェルが親密になってくれないと困るので、勝手にこっちだけ盛り上がるわけにはいかない。
「……ええと、では……陛下はどのような女性が好みか、などはあるのですか?」
「あると思うか」
しかたなくオーギュストに話を振ったらじろりと睨まれた。
誰も愛する気はないと言っただろうとか、そんなことを思っていそうだ。
「少しぐらいはあるのではないですか? 可愛いほうがいいとか、髪の色とか、目の色とか」
「見苦しくなければそれでいい」
あっさりきっぱりと切り捨てるように言われ、話が続かない。この男がレイチェルを愛し、どんな愛の言葉を語ったのかまったく想像がつかない。それぐらいの一刀両断ぶりだ。
でもたしかに、オーギュストはレイチェルを愛していた。今の不機嫌そうな顔ではなく、慈しむような眼差しを彼女に向けていた。
むすっと閉ざされた口元をほころばせ、柔らかな笑顔を彼女に向けていた。そっと彼女のお腹に当てる手も優しくて――何度、そんな場面を見て、打ちのめされたことか。
私にはそんな顔を見せたことはなかったのに、優しい言葉をかけてくれたこともなかったのにと、何度思ったことか。
「……どうした?」
私は誰にも愛されないのだと、夫になった人も愛してはくれないのだと、ずっと思っていた――夢の中で抱いていた気持ちをお乱し、沈みかけていた私にオーギュストが眉をひそめる。
それに必死で取り繕った笑みを返す。
「いえ、なんでもないのでお気になさらずに……それはそうと、レイチェル嬢は前に陛下を素晴らしい方だとおっしゃっておいでで……陛下は皆さまに慕われていらっしゃるのですね」
素晴らしいと言っていたのはオーギュストではなかったような気もするが、この際誤差だ。本人を前にして違うとは否定できないだろう。
オーギュストの視線がレイチェルに向くと、彼女は恥じらうように頬を染めた。
花に囲まれた庭園に突如として現れた人物に、思わず声をあげてしまう。
眉間に刻まれた皺も不機嫌そうな顔つきも、この和やかな庭園には似合わない。私の正面に座っていたレイチェルもぎょっと目を見開いたかと思うと、慌てて立ち上がり一礼した。
「このたびは、陛下にお会いでき、光栄です」
「オブライエン伯爵令嬢。そうかしこまる必要はない。……楽にしていろ」
「あ、ありがとうございます」
睨むように言われ、恐縮しきったレイチェルが椅子に座る。そしてオーギュストが私たちを見回し、空いた席に座った。今日はなんとなく四人掛けのテーブルを用意しておいてよかった。これで椅子がふたつしかなかったら、オーギュストのことだ。すぐにそっぽを向いて帰っていただろう。
せっかくオーギュストがレイチェルと話す気になったのだから、私は邪魔をしないように無になろう。
「して、今は何を話していたところだ」
「え、それは……陛下のお耳に入れるような、お話では……」
「何を話していた」
オーギュストはかちこちに固まっているレイチェルから視線を外し、私に向けてきた。私を無にしてくれるつもりはないようだ。
主催者なのだから、しっかりもてなせと、そう言いたいのだろう。しかたない。
「たわいもないお話ですが、それでもよろしければ。……どこの誰が恋仲であるとかの、可愛らしいお話をしておりました」
「くだらんことを話しているな」
侍女が急いで用意したカップにお茶が注がれ、オーギュストが口に運ぶ。
急いでカップを取りにいったせいか侍女の肩が上下に揺れているので、労わりの視線を送っておこう。
「ですので、陛下のお耳に入れるようなお話ではないと……もしよろしければ、国の政務などの身になる話をいたしましょうか?」
「議会を終えたばかりだ。こんなところでまでするつもりはない。……まあいい、好きに話していろ」
おざなりに手を振り、好きにしろと言うが、レイチェルは完全に恐縮しているし、他人の恋愛事情に花を咲かせていられるような空気じゃない。
それにオーギュストとレイチェルが親密になってくれないと困るので、勝手にこっちだけ盛り上がるわけにはいかない。
「……ええと、では……陛下はどのような女性が好みか、などはあるのですか?」
「あると思うか」
しかたなくオーギュストに話を振ったらじろりと睨まれた。
誰も愛する気はないと言っただろうとか、そんなことを思っていそうだ。
「少しぐらいはあるのではないですか? 可愛いほうがいいとか、髪の色とか、目の色とか」
「見苦しくなければそれでいい」
あっさりきっぱりと切り捨てるように言われ、話が続かない。この男がレイチェルを愛し、どんな愛の言葉を語ったのかまったく想像がつかない。それぐらいの一刀両断ぶりだ。
でもたしかに、オーギュストはレイチェルを愛していた。今の不機嫌そうな顔ではなく、慈しむような眼差しを彼女に向けていた。
むすっと閉ざされた口元をほころばせ、柔らかな笑顔を彼女に向けていた。そっと彼女のお腹に当てる手も優しくて――何度、そんな場面を見て、打ちのめされたことか。
私にはそんな顔を見せたことはなかったのに、優しい言葉をかけてくれたこともなかったのにと、何度思ったことか。
「……どうした?」
私は誰にも愛されないのだと、夫になった人も愛してはくれないのだと、ずっと思っていた――夢の中で抱いていた気持ちをお乱し、沈みかけていた私にオーギュストが眉をひそめる。
それに必死で取り繕った笑みを返す。
「いえ、なんでもないのでお気になさらずに……それはそうと、レイチェル嬢は前に陛下を素晴らしい方だとおっしゃっておいでで……陛下は皆さまに慕われていらっしゃるのですね」
素晴らしいと言っていたのはオーギュストではなかったような気もするが、この際誤差だ。本人を前にして違うとは否定できないだろう。
オーギュストの視線がレイチェルに向くと、彼女は恥じらうように頬を染めた。
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