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五十七話
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静かに告げたシェリルにサイラスの目が瞬く。
「俺は、お前を婚約者失格などと思ったことはない」
「でしたら、サイラス様にも同じことが言えるかと思います」
そもそも、卒業まで後半年ほどしかない。すでに将来の道を決めている者も多い。それなのに有望な人材を今から見つけ、婚約を打診するとなれば、時間はいくらあっても足りない。
しかも、サイラスが言うような信頼関係を築けるかどうかは未知数だ。
「私は結婚相手に多くを望んではおりません。……ですが、生涯を共にするのなら、私のために心を砕き、好いてくださる方であれば、とは思います」
母は父を愛していたし、父も母を憎からず思っていたはずだ。だがそれでも、二人の間にすれ違いは生まれ、解消されることなくここまできてしまっている。
父と母の間に何が足りなかったのかはシェリルにはわからない。だが少なくとも、こうしてシェリルのことを好きだと公言するサイラスとの間であれば、同じようなすれ違いは生まれないだろうと思えた。
「だが、しかし……お前は、それでいいのか」
「先ほどからそう申し上げているではありませんか。……もちろん、サイラス様が婚約の継続をどうしてもしたくないとおっしゃるのでしたら、否とは言いません」
サイラスの青い目が泳ぐ。戸惑っているのか混乱しているのか、定まらない視線の奥で何を考えているのかはシェリルにはわからない。
だからこそ、シェリルは急かすことなくサイラスの次の言葉を待った。ゆっくりと紅茶の入ったカップを傾けて喉を潤し、カチャリをカップをソーサに置く小さな音が立つ。
「俺は……お前のそばにいたい、とは思う。それがどんな形であろうと……構わない、と思っていた」
婚約者ではなく騎士になると言ったのも、その表れなのだろう。ずいぶんと無茶な決心だと、シェリルの口元に苦笑が浮かぶ。
「私はずっと不思議に思っておりました。婚約を破棄する必要はあるのだろうか、と。……サイラス様が私のそばにいたいと思っているのでしたら、なおさら婚約を破談にする必要はないのでは?」
「だが、本当に……俺でいいのか? 俺には足りない点が多すぎる」
「そばにいたいと、そう思ってくださるお気持ちだけでも十分です。それに、サイラス様は私にないものを持っております。私は折れたりするほどか弱くはありませんが、それでも剣を振るうことはできません」
剣を振るうには筋力も技術も足りていないだろう。だが、それでいい。シェリルがするべきことは、剣を振るうことではないのだから。
「足りない部分は互いに補い合えばよろしいのではないでしょうか。それでもなお、より精進したいとお考えなのでしたら……これから覚えればよろしいでしょう」
何も学園を卒業するまでにすべて習得する必要はない。結婚した後でも、いくらでも教えることができるし、覚えることができる。
「知識を得ることはそう難しいことではありません。ですが、相手を想う気持ちを育むのは……容易ではないのは確かです」
サイラスが自分を想うほどに、自分もサイラスを想っている、とはシェリルも考えていない。サイラスは初めて会った時から好きだったと言っていたが、シェリルはそうではない。
ただ将来結婚する相手、としか見ていなかった。
「……それでも、想いを育み良好な関係を築くのであれば、私はサイラス様がよいです」
言い切ると、シェリルはソファから立ち上がり扉に向かった。サイラスに考える時間を与えるべきだろうと考えたからだ。
「いつまで滞在される予定なのかはわかりませんが、どうぞゆっくりお考えてください」
そう言って、ノブに手をかける。だがシェリルがノブを回しきる前に、サイラスの声が応接間に響いた。
「か、考えるまでもない! 俺は、お前がそばにいてもいいと言うのなら……不甲斐ない俺でもいいと、そう言ってくれるのなら、それに異議などあるはずがない!」
サイラスの言葉にシェリルはノブから手を離し、振り返る。
「……サイラス様でもいいのではありません。サイラス様がよいのです」
そしてそう言って小さく笑むと、サイラスの顔がみるみるうちに赤く染まった。
「俺は、お前を婚約者失格などと思ったことはない」
「でしたら、サイラス様にも同じことが言えるかと思います」
そもそも、卒業まで後半年ほどしかない。すでに将来の道を決めている者も多い。それなのに有望な人材を今から見つけ、婚約を打診するとなれば、時間はいくらあっても足りない。
しかも、サイラスが言うような信頼関係を築けるかどうかは未知数だ。
「私は結婚相手に多くを望んではおりません。……ですが、生涯を共にするのなら、私のために心を砕き、好いてくださる方であれば、とは思います」
母は父を愛していたし、父も母を憎からず思っていたはずだ。だがそれでも、二人の間にすれ違いは生まれ、解消されることなくここまできてしまっている。
父と母の間に何が足りなかったのかはシェリルにはわからない。だが少なくとも、こうしてシェリルのことを好きだと公言するサイラスとの間であれば、同じようなすれ違いは生まれないだろうと思えた。
「だが、しかし……お前は、それでいいのか」
「先ほどからそう申し上げているではありませんか。……もちろん、サイラス様が婚約の継続をどうしてもしたくないとおっしゃるのでしたら、否とは言いません」
サイラスの青い目が泳ぐ。戸惑っているのか混乱しているのか、定まらない視線の奥で何を考えているのかはシェリルにはわからない。
だからこそ、シェリルは急かすことなくサイラスの次の言葉を待った。ゆっくりと紅茶の入ったカップを傾けて喉を潤し、カチャリをカップをソーサに置く小さな音が立つ。
「俺は……お前のそばにいたい、とは思う。それがどんな形であろうと……構わない、と思っていた」
婚約者ではなく騎士になると言ったのも、その表れなのだろう。ずいぶんと無茶な決心だと、シェリルの口元に苦笑が浮かぶ。
「私はずっと不思議に思っておりました。婚約を破棄する必要はあるのだろうか、と。……サイラス様が私のそばにいたいと思っているのでしたら、なおさら婚約を破談にする必要はないのでは?」
「だが、本当に……俺でいいのか? 俺には足りない点が多すぎる」
「そばにいたいと、そう思ってくださるお気持ちだけでも十分です。それに、サイラス様は私にないものを持っております。私は折れたりするほどか弱くはありませんが、それでも剣を振るうことはできません」
剣を振るうには筋力も技術も足りていないだろう。だが、それでいい。シェリルがするべきことは、剣を振るうことではないのだから。
「足りない部分は互いに補い合えばよろしいのではないでしょうか。それでもなお、より精進したいとお考えなのでしたら……これから覚えればよろしいでしょう」
何も学園を卒業するまでにすべて習得する必要はない。結婚した後でも、いくらでも教えることができるし、覚えることができる。
「知識を得ることはそう難しいことではありません。ですが、相手を想う気持ちを育むのは……容易ではないのは確かです」
サイラスが自分を想うほどに、自分もサイラスを想っている、とはシェリルも考えていない。サイラスは初めて会った時から好きだったと言っていたが、シェリルはそうではない。
ただ将来結婚する相手、としか見ていなかった。
「……それでも、想いを育み良好な関係を築くのであれば、私はサイラス様がよいです」
言い切ると、シェリルはソファから立ち上がり扉に向かった。サイラスに考える時間を与えるべきだろうと考えたからだ。
「いつまで滞在される予定なのかはわかりませんが、どうぞゆっくりお考えてください」
そう言って、ノブに手をかける。だがシェリルがノブを回しきる前に、サイラスの声が応接間に響いた。
「か、考えるまでもない! 俺は、お前がそばにいてもいいと言うのなら……不甲斐ない俺でもいいと、そう言ってくれるのなら、それに異議などあるはずがない!」
サイラスの言葉にシェリルはノブから手を離し、振り返る。
「……サイラス様でもいいのではありません。サイラス様がよいのです」
そしてそう言って小さく笑むと、サイラスの顔がみるみるうちに赤く染まった。
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