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五十六話

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 応接間に戻り、ソファに腰を下ろす。走り終わったら父は執務室に戻り、アシュフィールド公と滞在中について話をするだろう。
 そしてサイラスは応接間に来るはずだ。侍女にここで待っていると伝えているし、当主同士の話し合いにサイラスが席を共にする必要はない。

 侍女の淹れたお茶を飲み喉を潤していると、遠慮がちなノックの音が響いた。シェリルがそれに入室を促すと、開かれた扉の先からサイラスが現れる。

「話がある、と聞いたが……どうかしたのか?」

 むしろ今の状況を思えば話がないほうがおかしいと思うのだが、シェリルは曖昧に笑って机を挟んだ向こう側のソファに座るように勧める。

「……婚約についてですが」

 そしてサイラスが座ったのを確認すると、さっそく本題を切り出した。
 花を咲かせるような世間話がない、というのも理由の一つではあるが、何よりも回りくどい話をしても、サイラスが困惑するだけだと思ったからだ。

 何を考えているのかわからない婚約者ではあったが、ここ最近の付き合いである程度はサイラスがどういった人物であるのかをシェリルは掴みはじめていた。
 実直というべきか愚直というべきか、とにかく腹の探り合いのようなものは苦手だろう、と。

「サイラス様は本当に婚約の解消をお望みですか?」

 だから問いかけも単刀直入になる。
 サイラス本人はそんなことを聞かれると思っていなかったのか、眉間に皺を寄せ、視線をさまよわせた。

「……もちろんだ。お前には、俺よりもふさわしい相手がいる、と思う」

 そして少し間を置いてから、ゆっくりと頷いた。
 サイラスの言うふさわしい相手というのは、シェリルが何も訴えずとも境遇に気づき、様々な才能に溢れた人物のことだろう。
 だがそんな相手がいるとはとうてい思えない。いや、世の中は広いから探せばいるのかもしれないが、少なくとも今現在、シェリルの知る限りではどこにもいない。

「そのような方がいらっしゃる保証などどこにもありません」
「いや、いる、かもしれないだろう。……アルフ、とか」

 言われた名に、シェリルは苦笑を零す。たしかにアルフは多才ではあるかもしれない。だがそれは、彼がこれまで努力してきたからに過ぎないし、それに何よりも――

「彼は友人でしかありません。それに、彼自身が立身出世を望んでおりません」

 アルフはエイトケン侯爵が市井の娘との間に作った子供だ。
 そういう話は珍しいことではなく、たいていの場合は余計な諍いを生まないためにも認知されることなく捨て置かれるのが普通だ。
 だが運がいいのか悪いのか、アルフは赤子の頃から病弱だった。ことあるごとに医者にかからねばならない我が子の身を案じ、エイトケン侯爵はとても珍しいことにアルフを我が子として侯爵家に招き入れた。

 そしてさらに珍しいことに、エイトケン侯爵夫人と、腹違いの兄二人はアルフを家族として受け入れ、彼が熱を出すたびに寄り添い、気遣った。
 エイトケン侯爵夫人は夫の子供なら我が子も同然だと言い、二人の兄は弟ができたことを喜んでいたのだ。

 だからアルフはその恩に報いるためにも、自分のできる最大限の努力をし、兄二人を支えていこうと志している。

「彼は貴族同士の力関係が崩れるのを嫌っておりますし、エイトケン領で文官として働く準備も進めてますので、私との婚約をよしとしないでしょう」
「……そうか」

 難しい顔をしているサイラスにシェリルは苦笑を深める。

「私は、サイラス様が婚約者でもよいと……考えております」
「だが俺は……剣を振るう以外、何もできない」
「私のために心を砕いてくださっているではありませんか」
「それは、婚約者として同然のことだ」
「それでは、サイラス様のために心を砕こうとはしなかった私は婚約者失格ですね」

 置かれている状況に気づかなかったことが汚点となるのなら、それはシェリルにも言えることだ。
 サイラスがシェリルのためだけに用意された婚約者だとは、これまで夢にも思わなかった。

 結局のところ、サイラスもシェリルも同じだ。自分のことで手一杯で、相手のことにまで気を回せなかった――要は、それだけの話だとシェリルは小さく息を吐く。

「サイラス様が婚約者失格な私でもよいとお思いでしたら、私はこのまま婚約を継続したいと思っております」
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