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四十七話
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その日は思いのほか早くやってきた。
家に帰ってきたから二週間。ひと月ある長期休暇の半分を過ぎた頃、朝食が終わってすぐ、シェリルは父に呼び出された。
向かった先は父親の執務室。領地に関して学ぶ際にのみ入室が許されている部屋に、シェリルはためらうことなく入室する。
いつもはアリシアや継母の話に相槌を打ち朗らかな笑みを浮かべていた父が、二、三日前から何やら難しい顔をしていた。
領地で何かあった、ということはないだろう。領地で行われている政策などの途中経過はシェリルも聞いている。急を要するような用件は今のところなく、どれも順調に進んでいた。
だから考えられる可能性は、シェリルとサイラスの婚約についてだろう。
「アシュフィールド公から手紙が届いた」
そしてシェリルの推測通り、父は重々しく口を開いた。執務机の上に肘をつき、組まれた両手の上に顎を乗せている姿からはその内心までは読み取れない。
怒っているのか呆れているのか。はたまたたいして気にしていないのか。
「サイラス様との婚約に関して、ですね」
だからシェリルも静かに返す。
サイラスとの婚約がなくなって父がどう出るか予想できるほど、シェリルと父の間に親密なやり取りはない。
次期当主として学ぶことはあれど、それ以外では表面的な父と子の会話しかしたことがなかった。
「母が母なら子も子か。男一人繋ぎとめられないとはな」
どこか嫌味のこもった口振りにシェリルは目を瞬かせる。
アンダーソン家は栄えていて、特別公爵家との繋がりを必要としていたわけではない。だからか、サイラスとの関係について父が口を出してきたことはこれまでなかった。仲が良好なのかどうかすら聞かれていなかったのだ。
そのため、サイラスとの婚約がどうなろうと痛手はないと考えて、サイラスに好きにすればいいと伝えた。どうなろうと、誰も気にしないだろうと考えて。
だが今シェリルを困惑させたのは、父が婚約について苦言を漏らしたことに対してではない。
「……お母様?」
今は亡き母の話が、父の口から出てきたことに対してだった。
何しろ、継母を迎えてからというもの、父が母について語ることはほとんどなかった。元々、忙しいからとあまり家に帰らずに外に愛人を作っていたのだから、母に対して格別な感情を抱いてはいなかったのだろうと思っていた。
「どうしてそこで、お母様が出てくるのですか」
男一人、というのは父に対してかと考えかけたが、すぐに否定する。もしもそうなら、あまりにも侮辱した発言だ。さすがにそこまで、歪んだ性格はしていないだろう。
「お前の母親はアシュフィールド公の筆頭婚約者候補だった。だが、どうなったかは今を見れば明らかだろう」
皮肉めいた言い方に上がった口角。目の奥に潜むわずかな憎しみに、シェリルはゆっくりと口を開く。
母がアシュフィールド公爵の筆頭婚約者候補だったとしても、それぞれ別の相手と結婚している。つまりそれは、母がなんらかの形で誰かに負けた、ということだろう。
そしてその結果、母は父と結婚した。
「……お父様は、お母様のことを嫌っていたのですか」
体があまり丈夫ではなく、中々子宝に恵まれなかったこともあり、子を一人しか産むことができなかった。
しかも筆頭候補でありながら婚約者の座を射止めることのできず、他の女性に競り負けた。貧乏くじを引いたと考えていたとしても、不思議ではない。
「他の男を好いている女を、どうして好きになれる」
吐き捨てるような言い方に、シェリルは膝の上で手を握りしめた。
家に帰ってきたから二週間。ひと月ある長期休暇の半分を過ぎた頃、朝食が終わってすぐ、シェリルは父に呼び出された。
向かった先は父親の執務室。領地に関して学ぶ際にのみ入室が許されている部屋に、シェリルはためらうことなく入室する。
いつもはアリシアや継母の話に相槌を打ち朗らかな笑みを浮かべていた父が、二、三日前から何やら難しい顔をしていた。
領地で何かあった、ということはないだろう。領地で行われている政策などの途中経過はシェリルも聞いている。急を要するような用件は今のところなく、どれも順調に進んでいた。
だから考えられる可能性は、シェリルとサイラスの婚約についてだろう。
「アシュフィールド公から手紙が届いた」
そしてシェリルの推測通り、父は重々しく口を開いた。執務机の上に肘をつき、組まれた両手の上に顎を乗せている姿からはその内心までは読み取れない。
怒っているのか呆れているのか。はたまたたいして気にしていないのか。
「サイラス様との婚約に関して、ですね」
だからシェリルも静かに返す。
サイラスとの婚約がなくなって父がどう出るか予想できるほど、シェリルと父の間に親密なやり取りはない。
次期当主として学ぶことはあれど、それ以外では表面的な父と子の会話しかしたことがなかった。
「母が母なら子も子か。男一人繋ぎとめられないとはな」
どこか嫌味のこもった口振りにシェリルは目を瞬かせる。
アンダーソン家は栄えていて、特別公爵家との繋がりを必要としていたわけではない。だからか、サイラスとの関係について父が口を出してきたことはこれまでなかった。仲が良好なのかどうかすら聞かれていなかったのだ。
そのため、サイラスとの婚約がどうなろうと痛手はないと考えて、サイラスに好きにすればいいと伝えた。どうなろうと、誰も気にしないだろうと考えて。
だが今シェリルを困惑させたのは、父が婚約について苦言を漏らしたことに対してではない。
「……お母様?」
今は亡き母の話が、父の口から出てきたことに対してだった。
何しろ、継母を迎えてからというもの、父が母について語ることはほとんどなかった。元々、忙しいからとあまり家に帰らずに外に愛人を作っていたのだから、母に対して格別な感情を抱いてはいなかったのだろうと思っていた。
「どうしてそこで、お母様が出てくるのですか」
男一人、というのは父に対してかと考えかけたが、すぐに否定する。もしもそうなら、あまりにも侮辱した発言だ。さすがにそこまで、歪んだ性格はしていないだろう。
「お前の母親はアシュフィールド公の筆頭婚約者候補だった。だが、どうなったかは今を見れば明らかだろう」
皮肉めいた言い方に上がった口角。目の奥に潜むわずかな憎しみに、シェリルはゆっくりと口を開く。
母がアシュフィールド公爵の筆頭婚約者候補だったとしても、それぞれ別の相手と結婚している。つまりそれは、母がなんらかの形で誰かに負けた、ということだろう。
そしてその結果、母は父と結婚した。
「……お父様は、お母様のことを嫌っていたのですか」
体があまり丈夫ではなく、中々子宝に恵まれなかったこともあり、子を一人しか産むことができなかった。
しかも筆頭候補でありながら婚約者の座を射止めることのできず、他の女性に競り負けた。貧乏くじを引いたと考えていたとしても、不思議ではない。
「他の男を好いている女を、どうして好きになれる」
吐き捨てるような言い方に、シェリルは膝の上で手を握りしめた。
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