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四十一話

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 部屋に帰り着いたシェリルは扉を閉め、深く息を吐きだした。

「……ああもう、何してるのよ私……」

 扉に背を預けながらずるずると座りこみ、昼休憩の時のやり取りを思い出して羞恥に駆られる。
 泣いて、しかも袖口で拭くのは淑女にあるまじき行為だ。しかもその後のサイラスの真剣な顔で紡がれた言葉に、思わず話を逸らそうとしてしまった。

 婚約の解消と破棄の違いを知らず、同じようなものと考えて婚約の破棄を宣言したのなら、彼がシェリルを好きだという言葉に偽りはないのだろう。
 だが誰かに好きだと言われたのは、母親が亡くなって以来のことだった。慣れない言葉と感情を向けられ、肉という言葉に過剰に反応してしまったのはそのせいだ。

「当主になるのに……これでは駄目ね」

 数少ない女当主として立つ以上、むやみやたらと感情を露わにしてはいけない。安易に泣けば女だからと見くびられるだろうし、好意を向けられてうろたえては遊びやすい女として見られてしまうかもしれない。
 ほてり熱くなっている頬に手を当て、シェリルは顔を俯けた。

「ねえさ――え? なんでそんなところにいるの?」

 その時、背を預けていた扉が開かれ、体が後ろに倒れかける。慌てて体勢を整えたのはいいが、扉の向こうにいたアリシアが目を丸くしていた。

「……今日はどうしたの?」

 アリシアの質問に答えることなく問いかけると、アリシアは少しだけ不満そうに口を尖らせてから「今日、刺繍の授業があったの」と言った。
 またいつものかと思い、シェリルはアリシアを部屋に招いて扉を閉める。アリシアの手に握られた布が今日出された課題なのだろう。
 いつものように受け取ろうと手を差し出したのだが、アリシアはもじもじとして渡す気配がない。

「きょ、今日は……その……刺繍を教えてもらおうかと思って来たの」

 もじもじと動く手が布をしわくちゃにするのを見ながら、シェリルはアリシアの発した言葉に首を傾げる。

「構わないけど……どうして?」
「いつまでも姉さまに頼ってられないもの。来年からは自分でやらないといけないから……それだけよ」
「そう。それじゃあ、そこに座って……とりあえず、布を伸ばしましょう」

 アリシアは刺繍の授業がはじまって早々、シェリルに丸投げしていた。授業中どうしていたのかは知らないが、技術はほとんど身についていないと考えていいだろう。

 縫い方の種類ぐらいは知っているだろうかとか、それともまずは糸通しの存在を教えるべきかとかを――布を伸ばし終わり糸を針に通そうと悪戦苦闘しているアリシアを眺めながら悩んだ。

「……糸通しを持ってくるのを忘れたのね。貸すから使って」

 自分の裁縫道具を開け、中に入っていた糸通しを差し出すと、アリシアはわずかに頬を染めながら受け取った。

「その、あ、ありがとう」
「いえ、いいのよ。……気にしないで」

 昔は、シェリルのものをもらうたびにアリシアはお礼を言っていた。だけどいつからか、もらうのが当然になり、何かしてもらうのが当然になり、アリシアからお礼を言われることはなくなった。
 久しぶりに聞いた言葉に、シェリルは今日は久しぶりなことばかりだと苦笑を浮かべた。
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