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四十話 ※サイラス視点
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サイラスはシェリルが自分のことを親の決めた婚約者で、月に一度しか会わない相手としか思っていないことをわかっていた。
だからこそ、一方的に婚約を反故という不義理な真似をすれば、自身の義務を忠実に守っている彼女は怒るだろうと思っていたのだ。
泣かせるつもりは毛頭なく、泣くとは微塵も考えていなかった。
角を曲がり、シェリルの気配を感じなくなるとサイラスは大きく息を吐いた。
泣かせたことや失言、そして好きだと何度も言ったこと。羞恥と後悔が胸の内にうずまき、その場で項垂れる。
「……何をやっているんだ、俺は」
「本当に、何をしてるんだか」
聞こえてきた声に顔を上げると、少し離れたところにアルフが立っていた。呆れているのかなんなのか、微妙な表情をしている彼にサイラスは苦笑を返す。
「どうしてあそこで引き下がるかな」
「聞いてたのか?」
「聞こえたんだよ」
シェリルと話していた場所は、アルフといたところからそう離れていなかった。声をひそめていたわけでもなく、しかも途中では大きな声すら出している。
聞こえた可能性は十分あったことに気づき、サイラスは溜息をついた。
「不甲斐ないところを見せたな」
「何を今さら」
肩をすくめて言うアルフにサイラスは苦笑を浮かべる。
アルフがシェリルからどこまで聞いているのかはわからないが、わざわざ助言しにくるぐらいだ。それなりに聞いてはいるのだろう。
それならば、今さらだと思うのも当然だ。
サイラスはシェリルの状況を正確に把握する前に動きはじめた。それから状況を知るにつれて方法を模索していたのだが、稚拙な行動ばかりで、不甲斐ないと思われてもしかたないだろう。
それをわかっているからこそ、サイラスはただ苦笑を浮かべるに留めた。
「彼女は君との婚約に否定的なわけじゃないんだから、開き直ればよかったんじゃないかな」
「……聞いていたのならわかるだろう。剣しか能のない俺は彼女にふさわしくない」
シェリルを守る剣になると志しておきながら彼女の異変に気づかず、気づいて起こした行動は空回りし、しまいには泣かせた。
つい先ほど目にしたばかりの泣き顔を思い出してサイラスが自責の念に駆られていると、アルフが溜息を落とした。
「君もたいがい自己評価が低いね」
「俺は事実を言っているだけだ」
剣しか能がないのも、考えが甘く、シェリルに釣り合っていないのもすべて本当のことで、否定する要素はどこにもない。
それを自己評価が低いと言われればそうなのかもしれないが、少なくともサイラスは自分のことをそう思ってはいなかった。
「……まあ、君と彼女がどうなるのかは知らないけど、路頭に迷ったらうちで雇えないか聞いてあげるよ」
「雇うと約束してはくれないのか?」
一度交流を断った相手だ。本気で言っているのではなく、見るに見かねてのものなのだろうと考えて自分軽口を叩くと、アルフが皮肉げな笑みを浮かべ肩をすくめた。
「一文官になる予定の僕が騎士の人事権を持てるわけないでしょ。それにうちは大勢雇えるわけじゃないから、武だけの騎士はいらないんだよ。今からでも勉強したら約束するかどうか考えてあげてもいいよ」
シェリルとの婚約がなくなる場合、順当にいけばアシュフィールド家で騎士になるだろう。だが、それは可能性が高いだけで絶対ではない。
長兄と次兄はしかたないと受け入れてくれるだろうが、父親がどう出るかは予想がつかなかった。婚約の決めたのは父親で、サイラスはそれを勝手に反故にしようとしている。
怒られることは予想しているが、騎士として受け入れるかどうかまではわからない。息子としては許しても、当主の決めたことを反故にした男を騎士として信頼できるかどうかは話が別だ。
「それに君は容姿も生まれもいい。どこに勤めたとしても、連れ歩かれることになるだろうから、色々学んでおいたほうがいいよ」
「……それも、そうだな」
サイラスは自分の考えの甘さを痛感したばかりだ。苦手だからと避けていてはいけないと思い直し、アルフの言葉に頷いた。
「なら、放課後……鍛錬が終わってからでいいから僕の部屋に来てよ。教科書とかはこっちで用意しておくから」
「ん? お前が教えてくれるのか?」
「当たり前でしょ。全教科教える余裕があって、武術科生相手でも気後れしないのなんて僕ぐらいだよ」
今年度の科目の選択はすでに終わっている。教師を私的理由で独占するわけにもいかず、かといって武術科と学術科の両方で学んでいる生徒はそのほとんどが次期当主で、教える暇はない。
かといって学術科専攻の生徒は武術科生に対して苦手意識を持っている者も多く、アルフの言う通り適任と言えるのは彼ぐらいだろう。
「それもそうか。……なら、よろしく頼む」
サイラスが頭を下げたところで、一つ目の鐘がなりアルフは学術科に帰っていった。
全教科という言葉に疑問を抱いたのは放課後の鍛錬が終わる頃で、気づいた時には手遅れだった。
鬼教官と呼ばれるアルフの手腕は、勉強でも遺憾なく発揮された。
だからこそ、一方的に婚約を反故という不義理な真似をすれば、自身の義務を忠実に守っている彼女は怒るだろうと思っていたのだ。
泣かせるつもりは毛頭なく、泣くとは微塵も考えていなかった。
角を曲がり、シェリルの気配を感じなくなるとサイラスは大きく息を吐いた。
泣かせたことや失言、そして好きだと何度も言ったこと。羞恥と後悔が胸の内にうずまき、その場で項垂れる。
「……何をやっているんだ、俺は」
「本当に、何をしてるんだか」
聞こえてきた声に顔を上げると、少し離れたところにアルフが立っていた。呆れているのかなんなのか、微妙な表情をしている彼にサイラスは苦笑を返す。
「どうしてあそこで引き下がるかな」
「聞いてたのか?」
「聞こえたんだよ」
シェリルと話していた場所は、アルフといたところからそう離れていなかった。声をひそめていたわけでもなく、しかも途中では大きな声すら出している。
聞こえた可能性は十分あったことに気づき、サイラスは溜息をついた。
「不甲斐ないところを見せたな」
「何を今さら」
肩をすくめて言うアルフにサイラスは苦笑を浮かべる。
アルフがシェリルからどこまで聞いているのかはわからないが、わざわざ助言しにくるぐらいだ。それなりに聞いてはいるのだろう。
それならば、今さらだと思うのも当然だ。
サイラスはシェリルの状況を正確に把握する前に動きはじめた。それから状況を知るにつれて方法を模索していたのだが、稚拙な行動ばかりで、不甲斐ないと思われてもしかたないだろう。
それをわかっているからこそ、サイラスはただ苦笑を浮かべるに留めた。
「彼女は君との婚約に否定的なわけじゃないんだから、開き直ればよかったんじゃないかな」
「……聞いていたのならわかるだろう。剣しか能のない俺は彼女にふさわしくない」
シェリルを守る剣になると志しておきながら彼女の異変に気づかず、気づいて起こした行動は空回りし、しまいには泣かせた。
つい先ほど目にしたばかりの泣き顔を思い出してサイラスが自責の念に駆られていると、アルフが溜息を落とした。
「君もたいがい自己評価が低いね」
「俺は事実を言っているだけだ」
剣しか能がないのも、考えが甘く、シェリルに釣り合っていないのもすべて本当のことで、否定する要素はどこにもない。
それを自己評価が低いと言われればそうなのかもしれないが、少なくともサイラスは自分のことをそう思ってはいなかった。
「……まあ、君と彼女がどうなるのかは知らないけど、路頭に迷ったらうちで雇えないか聞いてあげるよ」
「雇うと約束してはくれないのか?」
一度交流を断った相手だ。本気で言っているのではなく、見るに見かねてのものなのだろうと考えて自分軽口を叩くと、アルフが皮肉げな笑みを浮かべ肩をすくめた。
「一文官になる予定の僕が騎士の人事権を持てるわけないでしょ。それにうちは大勢雇えるわけじゃないから、武だけの騎士はいらないんだよ。今からでも勉強したら約束するかどうか考えてあげてもいいよ」
シェリルとの婚約がなくなる場合、順当にいけばアシュフィールド家で騎士になるだろう。だが、それは可能性が高いだけで絶対ではない。
長兄と次兄はしかたないと受け入れてくれるだろうが、父親がどう出るかは予想がつかなかった。婚約の決めたのは父親で、サイラスはそれを勝手に反故にしようとしている。
怒られることは予想しているが、騎士として受け入れるかどうかまではわからない。息子としては許しても、当主の決めたことを反故にした男を騎士として信頼できるかどうかは話が別だ。
「それに君は容姿も生まれもいい。どこに勤めたとしても、連れ歩かれることになるだろうから、色々学んでおいたほうがいいよ」
「……それも、そうだな」
サイラスは自分の考えの甘さを痛感したばかりだ。苦手だからと避けていてはいけないと思い直し、アルフの言葉に頷いた。
「なら、放課後……鍛錬が終わってからでいいから僕の部屋に来てよ。教科書とかはこっちで用意しておくから」
「ん? お前が教えてくれるのか?」
「当たり前でしょ。全教科教える余裕があって、武術科生相手でも気後れしないのなんて僕ぐらいだよ」
今年度の科目の選択はすでに終わっている。教師を私的理由で独占するわけにもいかず、かといって武術科と学術科の両方で学んでいる生徒はそのほとんどが次期当主で、教える暇はない。
かといって学術科専攻の生徒は武術科生に対して苦手意識を持っている者も多く、アルフの言う通り適任と言えるのは彼ぐらいだろう。
「それもそうか。……なら、よろしく頼む」
サイラスが頭を下げたところで、一つ目の鐘がなりアルフは学術科に帰っていった。
全教科という言葉に疑問を抱いたのは放課後の鍛錬が終わる頃で、気づいた時には手遅れだった。
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