上 下
17 / 25

ユズ

しおりを挟む
それならなんて説明すれば良かったのだろうか?

私が首をひねりながら悩んでいると、退勤時間になった。
一旦バックヤードに下がり、支度を済ませ店舗の入口で柚希先輩と落ち合った。

んー、なんだか雰囲気がよそよそしくない?
先輩はとても無口で、私はハラハラしてしまう。

帰りしな、なんとかそんな雰囲気を柔らかいものにしようと、努めて明るく話しかけた。

「先輩、今日は迎えに来てくれてありがとう」

そう言うと、先輩は私の目を真っ直ぐに見てため息を吐いた。

「美結、ごめんな。あんな態度を取って大人気おとなげなかった」

私はかぶりを振った。

「えーと、私がお兄ちゃんと言ったのが不味かったんだよね」

先輩は立ち止まり、星空を仰いだ。

「俺、結構ショックだったんだ。お兄ちゃんって言われた事」

「えっ?」

「美結にとって、俺はお兄ちゃんなのか?」

「ええっ?!!」

なんなのー、この会話は!

どういう意味どういう意味?!

私にとって柚希先輩は決してお兄ちゃんではなく、大好きな人だ。

でも、今それ言うの?
うわぁ、心の準備が!

私があたふたしていると、先輩はうつむいてしまった。

「美結、俺は卑怯だ。自分の気持ちも言わずに美結に聞くのは間違ってた」

そう言うと、柚希先輩は顔を上げふわりと微笑む。
そして私の頭を優しく撫でた。

「美結、俺は···」

そう言いかけた時、『トゥルルル』と、先輩のスマホの着信音が鳴り響いた。
先輩は、ため息を吐いて電話を取った。

「はい。ハル、悪い。今忙しい···そうか、ん。分かった。良かったな···」


先輩が今言いかけた言葉は何だったのか?

凄く気になる。

でも、陽貴先輩との電話は、なんだか長くなりそう。

私は柚希先輩の近くで、電話が終わるのを待っていると、制服の袖口がツンツンと引っ張られた。

なんだろう?
振り向くと、そこには薄茶色の毛足の長い大型犬が、尻尾を振りながら愛らしい瞳でこちらを見ているではないか。

わあ!かわいい。
犬が大好きな私は、よしよしとその犬の頭を撫でる。
でも、なんでこんなところに犬がいるの?

よくよくその犬を見ると、リードが付いている。飼い主から離れて来てしまったようだ。

とても人懐っこいその犬は、クーンと鳴くと私の袖口を咥えて引っ張った。

「うわっ、待って待ってー!」

そんなに引っ張ったら、制服が破れちゃうよ!
それに、先輩からどんどん遠のいていく。

犬は遊んでいるつもりみたいで、尻尾をぶんぶんと振り私を引っ張って行くけど、一体どこまで連れて行くつもりよー!

困ったな。ここは何処なのか?

いつの間にか知らない場所に来てしまった。
私は犬のリードを掴み、やっとのことで止まらせる事ができた。

キョロキョロと辺りを見回すと、遠くから女の子の叫び声が聞こえてきた。

「ルン!」

その声を聞いた犬は、耳をピクッと動かし、またもやぶんぶんと尻尾を振り始めた。
体全体で喜びを表している。

あの女の子が飼い主だろう。

女の子は走って私の元へとやって来た。
小学生かな?お下げのかわいい女の子は、ハアハアと息を切らしている。
大きな犬をこの子が一人で散歩するのは大変だろうな。

「お姉ちゃん、ルンを捕まえてくれてありがとう」

この犬はルンと言うんだ。ルンは尻尾を振りながら女の子の頬を舐めている。
飼い主さんのことが大好きみたい。

「どういたしまして。一人でルンを連れて帰れる?」

女の子は大きく頷いた。

「うん!一人で連れて帰れるよ」

「そう?気を付けて帰るのよ」

ルンのリードを女の子に手渡すと、ルンはおりこうなことに、女の子の左側にピタリとついて座った。

「お姉ちゃん、バイバイ」

「またね」

手を振りながら、帰っていく女の子とルンを見送り、さて、どうしたものかと腰に手を当てた。

またしても、先輩とはぐれてしまったから。そして、これはれっきとした迷子である。
なんだか最近、このパターンが多い気がする。

「美結!」

大きな声で呼ばれ、その声の方を見ると、柚希先輩が走って来るところだった。
ずっと探してくれていたらしく、息遣いが荒い。

「先輩!」

私も走り寄ると、先輩はひしっと私を包み込んだ。

うわぁっ?!

何が起こったの?

ちょっと待って。

もしかして私、抱きしめられてるの?

ひゃー!
頭の中はまっ白で、何がなんだかわからないよ。

「あ、あの···」

そう呟くけれど、先輩は抱きしめる腕の力を強め、耳元で囁いた。


「良かった···。また、いなくなったのかと思って焦った」

熱い吐息と共に紡がれたその言葉に、ドキドキしっぱなしだ。

ん、でも待って。

いなくなったって先輩は言うけれど。
ああ、そうか。
私が初めて家に来た日、柚希先輩の前で家を飛び出した。
きっとそのことを言っているんだろう。
私、もうどこにも行かないのにね。
先輩は結構心配性なのかも知れない。

「先輩、私はもういなくなったりしないよ」

そう呟けば、先輩はゆっくりと私を解放し、まじまじと私の目を見つめた。
うわ!
じわじわと顔に血が昇って行くのがわかる。

「美結、頼む。俺の手の届くところにいてくれないか?」

「えっ?」

それはどういう意味なんだろう?
家族なんだから、いつも近くにいると思うんだけどな。
私が小首を傾げていると、柚希先輩は私の手を取りしっかりと握ると歩きだした。


「美結、初めて会ったあの日の約束、覚えてる?」

約束?

何のこと?
私、先輩と何か約束した?

どうしよう、全然分からない。

初めて会った日というと、私が高熱を出した時の事だろうか?
私、意識が朦朧としていて、ほんとに何も覚えていないんだよね。

「ごめんなさい、私何も覚えてないよ」

先輩は目を見開いて、悲しげな表情を見せた。

ああ、そんなに悲しまないで。
私まで悲しくなる。

「そっか、やっぱり······あの時は熱が高かったから、仕方がない···」

「先輩、その約束って何なの?教えては貰えないの?」

先輩は目を瞑って、首を横に振った。

「いや、もういいんだ···」

いいんだって言うけど、ちっともいいなんて思ってないよね。

私は立ち止まり、先輩の手を引っ張った。

「先輩!ちゃんと言ってくれないと私、全然わからないよ。それに、そんなに悲しい顔されたら、気になって夜も眠れないんだからね!」

先輩は瞠目して、立ち止まった。

そして、口に手を当てたかと思うと、くすくすと笑っている。

そのうちにお腹を抱えて笑いだした。涙が滲んできているのは気のせいだろうか。

「ねえ、私何か変なこと言った?」

「いや、ごめん。そっか、夜も眠れなくなっちゃうのか」

くすくす笑う先輩を見て、凄く安心した。ああ、良かった。悲しみは何処かへ飛んでいっちゃったみたいだ。
そんな先輩を見たら私もついつられて、えへへと笑ってしまった。

「美結、初めて会ったあの日のこと話して欲しい?」

「へっ?う、うん」

なんだか、先輩の様子がおかしい。

なにか企んでいるような、イタズラっ子のように見えるんだけど?

「そっか。それじゃあ、あの恥ずかしい話しもしなくちゃならないな」

「ほえっ?!恥ずかしい話し?」

······

ちょっと待って。
そういえばあの日、私は先輩のパジャマを着ていたよね。
あれはびしょ濡れだった私の服を、先輩が着替えさせてくれたと思うんだけど。

もしかして、その時に先輩が私の裸を見たとか見ないとか、そんな話しじゃないの?!

うわあぁぁぁー!!!
恥ずかし過ぎるでしょ!

「せ、せ、先輩!やめて!お願いだからそれだけはやめて」

「えー、どうしようかな」

な、なんなのー!

今日の先輩、なんだか面白がって遊んでない?
そんな一面もあるのね。

って、感心している場合ではないのだ。

そんな恥ずかしい話しを聞かされたら、私立ち直れないほどへこむ自信がある。

私が涙目で先輩を見上げていると、「あははは」と笑って私の頭をぐりぐりと撫でた。

「そんなに嫌なら話すのはやめておこう」

ああっ!
助かった。

恥ずかしい話しを聞かずに済んだので、ほっと胸を撫で下ろす。

でもそうなると、あの日の約束のことも聞けないんだよね。
それについては残念な気がする。

いつか、思い出せればいいんだけどね。

「ねえ美結」

「なあに、先輩」

「そろそろ、俺のこと先輩って呼ぶのやめない?」

「ええっ?!」

もう、先輩と呼べないの?
それなら、なんて呼べば良いのか?

「えっと···柚希さま、ユズさま···」

なにか違う気がする。
私が頭を捻り神妙な顔をしていると、先輩は「なんでさま付け?」と言って、またしてもくすくす笑っている。

「ユズって呼んで欲しいな」

えええええーー?!
ユ、ユズ?!

いきなり、ハードル高くない?
なにげにドキドキしてきたんですけど。
だけど、先輩がそう言うんだから、これからはユズって呼ばないとならないよね。
私は意を決して口を開いた。

「ユ、ユズ···」

ひえぇぇ。
名前を呼ぶだけなのに、顔から火が出そうなのは何故?
これは慣れるまで大変だ!
名前を呼ぶたびに、こんなに心臓がバクバク言ってるんじゃ、私の身がもたないよ。

「美結?」

「な、なに?···ユズ···」

ひぃっ!ハズ!

ユズは凄く優しげに微笑むと、私の頭をぽんぽんと撫でた。

「可愛い!ありがとう」

はいっ?

可愛い?!私が?

な、何を言ってるの、ユズは。

言われたことの意味を理解しようと思って、一生懸命頭を働かせるけど、なんだかぐるぐるしてしまう。

ダメだ。もう、これ以上何も考えられない。

私はぼーっとなりつつ、ユズに手を引かれ家路についた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

処理中です...