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「ふーん。御堂が作った薬で不老不死に、私と立花さんとの気持ちだか何だかが入れ替わった、ねえ……」
学校を終えた正吾は奈緒の家を訪ねていた。
そして、知る限りの事件の全容を説明した結果が今の反応である。
「スマン、信じられない話だとは思うんだが――」
「むしろ腑に落ちたわよ。そうでもなきゃ生きてない状況だったし、アンタの態度も素でアレだったって言われるよりは、よっぽど納得出来るわ」
(腑に落ちたって、随分古風な――)
「……そっか。私に向けてた顔は全部、立花さんに向けてた顔って訳ね」
「……その、スマン」
妙に寂しそうに語る奈緒の顔が申し訳なく思いつつ。
他に言う言葉が見当たらなくて正吾は短い謝罪を告げる。
「謝ってんじゃないわよ。責めてる訳じゃないんだからさ」
そこで言葉を区切ると奈緒は何かを考えるように、中空を仰ぎ見る。
「って事は御堂君が薬完成させたら、そこで初めてアンタの目に私は殺人者に映るって事ね」
一分も満たない僅かな時間の後。
奈緒は自嘲気味に笑って呟く。
「あれは事故だろ。でも、そうなったら、もう会わない方がいいと思う」
「ま、そうよね。本来なら自分を殺したような相手の顔なんか――」
「違う!」
自虐的な奈緒の言葉を正吾は否定する。
「酷い言葉とか言って、全部なかった事にしたくないんだ」
入れ替わった感情のお陰で成立してただけの偽りの関係。
感情が戻れば崩れだろう事は簡単に想像出来る。
「治った後の俺がどう思うかまでは解らない」
酷く罵るのかもしれない。
あるいは奈緒が想像したように責任を取れと身体を求めるのかもしれない。
「けど、間違いなく今の俺は有栖川さんと過ごした時間は楽しかった」
そんな事を想像して、汚してしまうのが嫌になるくらい。
そうなるくらいなら綺麗なままで残しておきたい程に。
奈緒との日々だって、平穏で満ち足りたものだった。
「……なら、また会いたくなるような事言うんじゃないわよ」
「ごめん」
ボソリ、と独り言のように呟かれた声に謝る。
「こういう言葉は聞こえないフリでもして黙ってなさいよ」
そんな正吾に奈緒は笑う。
どこか力のない寂しげな顔で笑う。
「……なあ、有栖川さん」
その奈緒の表情があまりに弱々しくて彼女に似合わず。
原因は自分なんじゃないかという不安が正吾の頭に過ぎる。
「今更で悪いけど有栖川さんの方こそ、俺を恨んでないのか? 薬盗まれて……」
「本当、今更ね……」
それは、もう随分と前。
弁当を食べながら話した時に、終わった話題の筈だ。
「悪い。昌に言われるまで薬の値段、三万円だと思ってたんだ。通貨が違う事に気付いてなくて……」
けれど、それは薬の値段を正確に把握していた奈緒からすればの話であって。
値段を知った今となっては、正吾には納得出来るものではなかった。
「ああ、なるほどね。何か色々抜けてるアンタらしいわ」
「三万くらいの物で殺されたと思ったから、俺の命なんてその程度かって思って納得出来なかった。けどさ。三百万もした物奪われたって言うなら、もし殺されていたとしても、仕方ないと思ってる」
「……じゃあ何? 今からでも死んで償うとか言いたいワケ?」
すっと奈緒の目が細くなる。
心底、不機嫌だとでも言いたげに。
それに気付かず正吾は言葉を続ける。
「ああ、静音に全部事情話してその後でなら有栖川さんが望むなら――」
言葉の途中で乾いた音が鳴り響いた。
奈緒が正吾の頬を平手打ちしたのだ。
「ふざけないで」
ヒリヒリと痛み始める頬の感覚が、自分の事なのに正吾には遠くに感じた。
そんな痛みなんて些細に感じる程に目を奪われるものがあった。
「仮にね。もしアンタがこれから死にそうな目にあって三百万どころか三千万あれば、それでアンタが助かるって言うなら惜しくなんてない。情けなく親に泣き付いてでも、何をしてでも集めてみせるわ」
怒りと悲しみが入り混じった顔で奈緒が正吾を見ていた。
正吾が自分の母親との話をして以来、どこか余所余所しくマトモに顔すら合わせなかったのに。
射貫くように真っ直ぐ、正吾だけを見ていた。
「私は死にそうな人間が居るからって誰でも助けたいとかいう善人じゃないわよ。私の知らないところで、私の知らない誰かが千人救えるから千円払えって言われたって絶対払わない。助けたいヤツ以外にわざわざ何かしようなんて思わない」
どこか距離を置いたような態度を忘れるくらい鮮烈で力強い。
エネルギーに満ち溢れた姿。
「もしアンタが死んだら泣くわよ。ドン引きするくらい泣いてやる。泣き過ぎて吐いたって、それでも泣くわ。絶対に」
それでいて。
繊細で情に厚い、ここ最近ずっと見ていた姿。
「……」
正吾は言葉もなく奈緒を見詰め、声を聞く。
その言葉の全てが。
彼女なりに精一杯の言葉で。
自分の事を大事に思ってくれていると伝えてくれているのが解って、ドクンドクンと心臓の鼓動が高鳴っていく。
「それでもし。もしも、よ。私のせいでアンタが死ぬような事とかになったら、本当に死んだって解るまでは絶対諦めてなんてやらない。けど、それでも駄目だったって解ったら、後を追うわ。私のせいで死んだんだって、そんな苦しみ抱えて生きてなんていけない」
「いや、そこは生きてくれ」
そういう話でない事なんて正吾にも解っていた。
それでも、その言葉だけは黙って聞き流せなかった。
「そのくらい大事だって言いたい事くらい解れ、この馬鹿」
最後に僅かに照れたように吐き捨てると――
これで話は終わり。
とばかりに奈緒は口を閉ざした。
「……」
正吾は何を言っていいか解らなかった。
人殺し。
役立たず。
出てけよ。
死ねよ。
そんな言葉なら何度も強くぶつけられてきた。
けれど――
自分を大事だという言葉を。
これ程精一杯ぶつけられる事になんて初めてで、慣れてなかったから。
「……その、何か言いなさいよ」
だが、言った奈緒本人としては反応の一つもなければ怖いらしい。
怯えたような目で正吾の返事を待つ。
「いや、その、うん。ありがとう」
かろうじて正吾がそんな言葉を口にするのと同時に――
奈緒に打たれた頬が赤く染まる。
と、打たれてない頬もほんのり赤く染まっていく。
「……解ればいいのよ」
そんな正吾の姿に奈緒は、ふん、と顔を背けて黙り込んだ。
「…………」
二人の間に静寂が満ちていく。
気まずくて落ち着かなくて居心地が悪い。
それなのに、この場から離れたくない不思議な空気。
学校を終えた正吾は奈緒の家を訪ねていた。
そして、知る限りの事件の全容を説明した結果が今の反応である。
「スマン、信じられない話だとは思うんだが――」
「むしろ腑に落ちたわよ。そうでもなきゃ生きてない状況だったし、アンタの態度も素でアレだったって言われるよりは、よっぽど納得出来るわ」
(腑に落ちたって、随分古風な――)
「……そっか。私に向けてた顔は全部、立花さんに向けてた顔って訳ね」
「……その、スマン」
妙に寂しそうに語る奈緒の顔が申し訳なく思いつつ。
他に言う言葉が見当たらなくて正吾は短い謝罪を告げる。
「謝ってんじゃないわよ。責めてる訳じゃないんだからさ」
そこで言葉を区切ると奈緒は何かを考えるように、中空を仰ぎ見る。
「って事は御堂君が薬完成させたら、そこで初めてアンタの目に私は殺人者に映るって事ね」
一分も満たない僅かな時間の後。
奈緒は自嘲気味に笑って呟く。
「あれは事故だろ。でも、そうなったら、もう会わない方がいいと思う」
「ま、そうよね。本来なら自分を殺したような相手の顔なんか――」
「違う!」
自虐的な奈緒の言葉を正吾は否定する。
「酷い言葉とか言って、全部なかった事にしたくないんだ」
入れ替わった感情のお陰で成立してただけの偽りの関係。
感情が戻れば崩れだろう事は簡単に想像出来る。
「治った後の俺がどう思うかまでは解らない」
酷く罵るのかもしれない。
あるいは奈緒が想像したように責任を取れと身体を求めるのかもしれない。
「けど、間違いなく今の俺は有栖川さんと過ごした時間は楽しかった」
そんな事を想像して、汚してしまうのが嫌になるくらい。
そうなるくらいなら綺麗なままで残しておきたい程に。
奈緒との日々だって、平穏で満ち足りたものだった。
「……なら、また会いたくなるような事言うんじゃないわよ」
「ごめん」
ボソリ、と独り言のように呟かれた声に謝る。
「こういう言葉は聞こえないフリでもして黙ってなさいよ」
そんな正吾に奈緒は笑う。
どこか力のない寂しげな顔で笑う。
「……なあ、有栖川さん」
その奈緒の表情があまりに弱々しくて彼女に似合わず。
原因は自分なんじゃないかという不安が正吾の頭に過ぎる。
「今更で悪いけど有栖川さんの方こそ、俺を恨んでないのか? 薬盗まれて……」
「本当、今更ね……」
それは、もう随分と前。
弁当を食べながら話した時に、終わった話題の筈だ。
「悪い。昌に言われるまで薬の値段、三万円だと思ってたんだ。通貨が違う事に気付いてなくて……」
けれど、それは薬の値段を正確に把握していた奈緒からすればの話であって。
値段を知った今となっては、正吾には納得出来るものではなかった。
「ああ、なるほどね。何か色々抜けてるアンタらしいわ」
「三万くらいの物で殺されたと思ったから、俺の命なんてその程度かって思って納得出来なかった。けどさ。三百万もした物奪われたって言うなら、もし殺されていたとしても、仕方ないと思ってる」
「……じゃあ何? 今からでも死んで償うとか言いたいワケ?」
すっと奈緒の目が細くなる。
心底、不機嫌だとでも言いたげに。
それに気付かず正吾は言葉を続ける。
「ああ、静音に全部事情話してその後でなら有栖川さんが望むなら――」
言葉の途中で乾いた音が鳴り響いた。
奈緒が正吾の頬を平手打ちしたのだ。
「ふざけないで」
ヒリヒリと痛み始める頬の感覚が、自分の事なのに正吾には遠くに感じた。
そんな痛みなんて些細に感じる程に目を奪われるものがあった。
「仮にね。もしアンタがこれから死にそうな目にあって三百万どころか三千万あれば、それでアンタが助かるって言うなら惜しくなんてない。情けなく親に泣き付いてでも、何をしてでも集めてみせるわ」
怒りと悲しみが入り混じった顔で奈緒が正吾を見ていた。
正吾が自分の母親との話をして以来、どこか余所余所しくマトモに顔すら合わせなかったのに。
射貫くように真っ直ぐ、正吾だけを見ていた。
「私は死にそうな人間が居るからって誰でも助けたいとかいう善人じゃないわよ。私の知らないところで、私の知らない誰かが千人救えるから千円払えって言われたって絶対払わない。助けたいヤツ以外にわざわざ何かしようなんて思わない」
どこか距離を置いたような態度を忘れるくらい鮮烈で力強い。
エネルギーに満ち溢れた姿。
「もしアンタが死んだら泣くわよ。ドン引きするくらい泣いてやる。泣き過ぎて吐いたって、それでも泣くわ。絶対に」
それでいて。
繊細で情に厚い、ここ最近ずっと見ていた姿。
「……」
正吾は言葉もなく奈緒を見詰め、声を聞く。
その言葉の全てが。
彼女なりに精一杯の言葉で。
自分の事を大事に思ってくれていると伝えてくれているのが解って、ドクンドクンと心臓の鼓動が高鳴っていく。
「それでもし。もしも、よ。私のせいでアンタが死ぬような事とかになったら、本当に死んだって解るまでは絶対諦めてなんてやらない。けど、それでも駄目だったって解ったら、後を追うわ。私のせいで死んだんだって、そんな苦しみ抱えて生きてなんていけない」
「いや、そこは生きてくれ」
そういう話でない事なんて正吾にも解っていた。
それでも、その言葉だけは黙って聞き流せなかった。
「そのくらい大事だって言いたい事くらい解れ、この馬鹿」
最後に僅かに照れたように吐き捨てると――
これで話は終わり。
とばかりに奈緒は口を閉ざした。
「……」
正吾は何を言っていいか解らなかった。
人殺し。
役立たず。
出てけよ。
死ねよ。
そんな言葉なら何度も強くぶつけられてきた。
けれど――
自分を大事だという言葉を。
これ程精一杯ぶつけられる事になんて初めてで、慣れてなかったから。
「……その、何か言いなさいよ」
だが、言った奈緒本人としては反応の一つもなければ怖いらしい。
怯えたような目で正吾の返事を待つ。
「いや、その、うん。ありがとう」
かろうじて正吾がそんな言葉を口にするのと同時に――
奈緒に打たれた頬が赤く染まる。
と、打たれてない頬もほんのり赤く染まっていく。
「……解ればいいのよ」
そんな正吾の姿に奈緒は、ふん、と顔を背けて黙り込んだ。
「…………」
二人の間に静寂が満ちていく。
気まずくて落ち着かなくて居心地が悪い。
それなのに、この場から離れたくない不思議な空気。
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