上 下
36 / 67

五章 生きる為の価値を求めて ――敗北――

しおりを挟む
「さて、それでは頭も冷えてきたと思うので話の続きというか、本題に入りましょうか」

 気を利かせたのか。

 それとも単に理恵が飲みたかったからなのか。

 殺気飲んだのはほうじ茶だったのに、今は紅茶になっていた。

 湯呑みから紅茶の香りが漂ってくるのは、人によっては不思議に感じるだろう。

「えーと……」

 だが正吾は特に気にした様子もなく理恵の言葉について考える。

 そもそも最初にどういう話をしていたか、時間が経ち過ぎて思い出せなくなっていたからだ。

「自分に価値があるのかという話でしたが――」

(ああ、そういえばそういう話だった)

 言われてようやく思い出す。

 そもそも最初にしようとした話は、自分の価値についてだった事に。

「西山君は学校から補助金を貰ってますし、その補助金で生活していますよね?」

「あ、はい。補助金とか色々出してもらっていますが……」

 高校に入ってからの正吾の生活費は全て学校側が負担している。

 住んでいるマンションの家賃とかもそうだし、食費なども補助金から出していた。

「その時点で普通なら解りそうなものですが、そもそも価値のない人間に補助金を出す程、うちの学校は甘くないです」

 はっきりと正吾に価値があると告げて、理恵は話を続けていく。

「特に西山君は早退してばかりですし、一度ボヤ一歩手前の騒ぎを起こしてますよね?」

「その節はご迷惑をお掛けしました」

 理恵の指摘通り、正吾は過去にボヤ騒ぎを起こしている。

 これは少しでも食費などを減らそうと自炊しようとしたものの、油も引かずフライパンで物を焼こうとした挙句、中々焼けずに時間を持て余したので勉強を始めた結果、勉強に集中して火に掛けている事を忘れてしまったのが主な原因だ。

 おまけに気付いた時には火だるまになって燃え上がっていた肉に、水を掛けてしまったのがトドメとなった。

 水を掛けられた肉は一気に燃え上がり、天井まで届くほどの火柱をあげた。

 幸い、すぐに火は消せたものの、火災探知機は盛大に鳴り響きマンションの管理人から大目玉を受けている。

 その後、試行錯誤の末に正吾は学んだのだ。

 煮物なら余程の事がない限り燃える事はない。

 最後にカレールウを突っ込んどけば食えないような味にはならない、と。

 正吾が一人暮らしになっても尚、食事に無頓着なのは余計な事して失敗した方が面倒になるというのも大きな理由であった。

「そこは反省してくれたようですし、また事件起こした訳じゃないのでいいと思います。よくなかったら学校の方で補助金打ち切ったり退学にしているでしょうしね」

(つまり学校側が援助を打ち切ってない以上、先生からは何も言う気はないって事か)

 一教師でしかない理恵が学校の決定にどうこうは言えないだろう。

 けれど、こうして相談にのってくれているところから解る通り、理恵は相当世話焼きな方である。

 にも関わらず、その辺りの事情を綺麗に切り分けて考えているのが妙に意外で新鮮に正吾の目に見えた。

「それでは西山君。そんな問題だらけのあなたがどうして補助金を出してもらえると思いますか?」

「全国模試とかいうやつで良い点数を出しているからですかね?」

 正吾は全国学力調査という名目の模試を定期的に受けていたり、その結果を学校のパンフレットに記載したりしている。

 『快挙。我が校の生徒が学力調査で上位を独占』なんて教育機関としてそれはどうなのか、という見出しの学校新聞があったくらいだ。

「そうですね。他には未来の話になりますが、良い大学に行ってもらっても学校の宣伝になるからですよ」

「ああ、なるほど」

「要するに学校から見た西山君の価値というのは、どれだけ学校の評判を上げられそうか。ただその一点に尽きますね」

 実に解りやすかった。

「実はこの辺に関して突っ込んだ話をすると西山君は凄く運が良かったと言えます」

「そうなんですか?」

「ええ。もし西山君だけが飛び抜けて勉強が出来ていた場合、実は学校側としてはそれほど西山君に価値はなくて、きっとボヤ騒ぎを起こした時に補助金は打ち切られていたでしょう。それどころか退学も十分有り得ましたというか、多分退学でした。何故そうならなかったか解りますか?」

「え、と……」

 少し考えてみる正吾だが全く答えが出なかった。

 そもそも自分の価値の話なのに、他の誰かが居る事で自分の価値が変動するという事が正吾にはイマイチ想像出来なかったからだ。

「聞いてしまえば簡単な答えですよ。一人だけ勉強が出来る場合、それは学校の教え方が上手いとかそういう話ではなく、単に優秀な人が一人入学してきただけだからです」

 あくまで学校が欲しいのは、学校の評判を上げてくれる人材なのだ。

 その為には学校の教育で学力が上がった、という形なのが一番有難い。

 けれど一人だけ飛び抜け過ぎた人材が居る場合、それはもう学校の教育など関係なく勉強が出来る人物が入学してきたようにしか見えないだろう。

「それはそれで本来なら喜ばしい事ではあるのですが、西山君の場合、それを帳消しにするほど色々あるので本来はそこまで西山君の価値は高くありません。大学受験まで様子見するには一年目で問題が多過ぎますしね」

 元々の特殊な家庭事情。

 異常な出席状況。

 極め付けはボヤ騒ぎである。

 学校側もある程度は想定していたし、出席関係も学校内の事な上に事情が事情なので学校側も最初から多少目を瞑る予定だった。

 だが、最後のボヤ騒ぎに関しては本当ならアウトだったのだ。

「しかし近いレベルの人がもう一人居るとなると話は結構変わってきます」

「もう一人と言うと昌、いえ御堂君ですか」

「言い直さなくても大丈夫ですよ。お二人が仲が良いのは知っていますから」

 親しい友人が居るのは良い事です、と独り言のようにぼやいて理恵は尚も話を続ける。

「普通なら西山君の成績は飛び抜けていて、単に優柔な人材が偶々入学してきただけで学校の教育がどうこうとは思われないでしょう。ですが、そんな飛び抜けた人材が二人も同時に居る。となった場合、話は違ってきます」

「優秀な指導者が居るか効率がいい教育が行われていると思われる、と。けど、それは――」

「事実がどうなのかは関係ありませんよ。外からどう見えるか、が重要なので」

 正吾の疑問を先回りするように理恵が言葉を紡いていく。

 実際のところを言えば、正吾も昌も学校の授業とはほとんど関係なく成績を維持している。

 けれど内情を知らない人間からすれば、そういう二人が居る場所ならさぞ優れた教育をしているに違いない、と見える訳だ。

「しかも二人は塾にも何も通っていません。これは学校側からすると、実は結構有難いんですよ。二人とも同じ塾に通っているとなれば、全部塾の功績になっちゃいますからね」

 その事に拍車を掛けるのが学力調査の模試の結果だ。

 これは点数以外にも塾名などの所属が記載されるのだが、正吾や昌の場合は学校でしか受けていないのだから学校名以外が記載された事がない。

 つまり外から見る分には学校と家での勉強だけで全国模試の上位に名を連ねる人間が二人居る事になる。

「西山君は興味なさそうですが、これでも授業には大分力を入れている学校なんですよ。事実、二人が飛び抜けているだけで他にも優秀な方は何人も居ますしね。学校側が何か特別効率の良い授業をしているとか優秀な指導者が居ると思われても別段おかしくはないでしょう」

 おまけに順位こそ正吾達より多少落ちるものの、他にも優秀な生徒が数名居るとなれば信憑性はより高くなる。
 学力的な宣伝効果は、うなぎ上りだろう。

「要するに西山君が今の学力を維持してくれて、これ以上問題を起こさない限り、補助金を出す価値自体は十分あります」

 そういう意味では間違いなく、正吾には商品価値と呼べるようなものがあった。

 けれど――
しおりを挟む

処理中です...