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「誰か来たと思ったら万年学年二位の西山と不動の一位の御堂じゃない」

 晶に抱えられ、保健室へ辿り着いた正吾に掛けられたのは、保険医の心配する言葉ではなく隣のクラスにいる女生徒の嫌味交じりの言葉であった。

 どうやら保険医は留守らしく、彼女以外に人の姿は見えない。

「有栖川さんか。保健室で見掛けたのは初めての気がするな」

 嫌味を特に気にした様子も無く、正吾は晶に抱えられたままの姿で有栖川と呼んだ少女へと視線を向ける。

 ポニーテールにした真っ赤な髪が目を惹く長身の少女だった。切れ長で強い意志を感じさせる目のせいかキツイ印象を与えるものの、はっきりした顔立ちは間違いなく美人と言えるものであり、その整った容姿のお陰か。本来なら浮くだけになりかねない赤い髪が映え良く似合っていた。

「ええ。毎日毎日来てるアンタと違って来たのは初めてよ」

 長身に美人の顔立ち。この二つの要素を持ちながら、ある別の要素を持っているせいで彼女には大人っぽいという言葉を当てはめるのが難しい。

 というのも身体の線が妙に滑らかなのだ。具体的には何だか胸部に凹凸とか丸みがない。スレンダーやアスリート体型と言った言葉を使えば聞こえこそいいものの、それで大きいとか柔らかいという言葉と無縁な体型が変わる訳でもない。

 赤髪の貧乳美人。

 それが多くの人間が感じている有栖川奈緒の印象である。

「……歩けないくらい体調悪い人間に、その態度はどうなのかな?」

 が、晶から見た奈緒の印象は全く違う。

 友人に嫌味を言いまくる嫌な人でしかないようであり、無表情気味の晶の眉が極僅かだが不機嫌そうに曲がっていた。

「そんなに体調悪いなら今日は家でしっかり休んで次の日から頑張ればいいでしょ? 無理して登校してきてすぐに健室に行くよりも、その方がよっぽど真面目だわ」

「確かに有栖川さんの言うとおりだとは思うけど、同じようにこんな時間から保健室に居る貴女が言える事かな?」

「お生憎様。寝不足が原因の貧血だったみたいだし、少し休んだらすぐに授業に戻るわよ」

 そこで抱えられている男と違ってね。

 という言葉が声にしないでも伝わってくるくらい奈緒の言葉は刺々しい。しかも、その言葉以上に正吾を見る奈緒の目は侮蔑の色で染まっているのだから解りやすい。

「毎回思うけれど嫌味ばかりだね。正吾が貴女に何かしたかな?」

 奈緒は今日だけ特別機嫌が悪くて、刺々しくなっているのではない。

 正吾に対しては、いつもいつでも妙に刺々しい態度を取るのだ。

「直接は何もしてないわよ。ただね――」

 そこで言葉を区切ると正吾を睨み付けたままだった視線を晶へと向けた。

「登校してきたと思ったらすぐに保健室に行ったり早退したり。そんな出席日数稼ぎとしか思えない不真面目な態度で授業受けてて、隣の私のクラスどころか学校中で噂になっているようなヤツがよ。毎回毎回テストの順位表で二位の場所に名前がある。そのすぐ下に居る私としては少しくらい何か言いたくならないかしら?」

「……何か言いたくなる気持ちは解らなくもないよ。けれど何も勉強しなくて点数が取れるほど甘くないのは有栖川さんだって解っているよね?」

「ええ。ただの八つ当たりなのは私だって解っているわ。私が知らないだけで色んな努力をしてるんでしょうし、苦労もあるんでしょうね。それでもね、言わずには居られないのよ。御堂だって気持ちは解らない事もないって言ったでしょ?」

 同意を求める奈緒の言葉に晶は何も返さない。

 実際の所、奈緒の言い分だって解るし、晶だって正吾には休んで欲しいと何度も言っている。それを無視して勝手に来ているのは正吾本人なのだ。

 あまりに嫌味だらけの奈緒の態度に怒りこそ覚えているが、本当は反論どころか昌も大いに賛成したいくらいなのだから。

「こっちからも一つ言わせて貰うわ。そういう言葉は本人が言うべきよね? 友人が悪く言われて怒るのは解るけど、だからって本人が黙ってるってのに横からごちゃごちゃ言うのはどうなのかしら?」

 何も反応しない晶の態度から晶の気持ちを予測したのだろう。

 自分と同じく晶の言葉も八つ当たりだと奈緒は糾弾する。

「それは確かに有栖川さんの言うとおりだとボクも思うのだけれどね……」

 そこで晶は今までと違い、歯切れ悪く言葉を濁すと正吾をチラリと覗き見た。

「ん? 別に俺は文句言う気ないぞ。そりゃこんな早退繰り返してばっかの人間が点数取ってたら真面目な人間なら怒るのは当たり前だと思うしなあ……」

 視線を向けられ答えた正吾だったが、言い返す気はまるでないらしい。

 どうやらずっと黙っていたのも単に反論する気がないからだったようだ。

「真面目な、ね。八つ当たりしているって言ってた私に対する嫌味かしら?」

「悪い。そんなつもりはなかったが確かに言い方悪かった……」

「……謝んないでよ。八つ当たりしてるのはこっちなんだしさ」

 あまりに淡白な正吾の態度に苛立ち混じりに言い返した奈緒だったが、申し訳なさそうに謝られて逆にバツが悪くなったらしい。

「……その、さ。本気で言ってるなら休むなり何なりしたらどうなのよ。そんな出席日数稼ぎみたいな事してなかったら私だってアンタに文句言う気ないのよ。体調悪くなるのは仕方無いし、身体弱いんだったら無理しろなんて言わないわ。それでも来ないといけない事情があるなら担任の先生に相談したら保健室で授業受けるようにしたりとか出来るんじゃない?」

 睨んでいた目線を逸らしつつ、口にしたのは嫌味などない心配交じりの言葉。

 それは不当な要求でも何でもなく、むしろ正吾の事を考えた上で出来る最大限の提案だった。

「いや、うん。スマンな」

 しかし、正吾は提案を受け入れるどころか完全に拒絶した。

 謝罪こそ入れているものの、ほんの僅かすら考える素振り一つ見せない正吾の態度。拒否する理由すら話そうともしない。

「……もういいわ。このままアンタと話していると何か怒鳴り付けそう」

 せっかく心配した気持ちすら無視された形となり、やるせなさに似た怒りが込み上げてきたのだろう。

 奈緒は正吾から視線を外すと、いくつかあるベッドの中で一番奥のベッドへと入る。

 音もなくカーテンが閉じられると、奈緒はそれっきり顔を見せるどころか声一つあげる事すらなかった。

「それじゃあ正吾は利用者名簿書いといて。ボクは薬取ってくるからさ」

 話が終わったのを確信したのだろう。

 抱えていた正吾を扉近くにある名簿の前に座らせると、返事も待たず奥の方へと薬を取りに行く。

 もはや常連な正吾の為に、例え保険医が居なくてもこの時間には薬だったり栄養食品だったり、正吾用に何か用意されているのが当たり前になっているのだ。

(薬飲んで少し休んだら、今日こそは授業に戻らないとな……)

 そんな事を考えながら利用者名簿を書いている正吾だが、残念ながらその願いは叶わない。

 何故なら、晶が置いてあったと言って持ってきた栄養ドリンク。

 その味は賞味期限が切れているとかそういう次元を遥かに超えた恐ろしい味であり、吐き気でどうしようもなくなった正吾はそのまま早退したからである。
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